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40歳になったので、思い切り迷うことにする。

本日2021年6月9日、40歳になった。
40と言えば、「不惑」。

論語でよく聞く、

「吾(われ)、十五にして学を志す」

から始まって、二十、三十ときて、四十がこれ。

「四十にして惑わず(四十而不惑)」

よくある日本語訳だと、
「40歳になると、心に迷いがなくなる」

「いやいや、そんなのムリでしょー」と思い、ひいては「論語のような清らかな生き方は、私には到底ムリだ」というイメージを抱いたりもしていたのだけど、ある本をきっかけに、ひろく知られる「不惑」の意味が、孔子の実際の意図とは異なる可能性があることを知った。

本当に、「不惑」=「心に迷いがなくなる」なのか?

この本の趣旨は、「論語」を、「孔子の生きた時代(紀元前500年頃)の文字に直して読む」こと、そして、身体によって芸を修める能楽師である著者が「身体感覚を用いて読む」こと。

それに従うと、「四十にして惑わず(四十而不惑)」はどうなるかというのを、本の記述を引用しながら紐解いてみる。

まず、そもそも孔子はこんな言葉を言っていなかったと考えることができるという。

どうも「惑」という漢字は孔子時代には使われていなかったらしいということがわかったのです。孔子は四十にして「惑わず」とは言っていなかった、そんな可能性もあるのです。(文庫版、P42)

そもそも、「心」という文字が生まれたのは漢字の歴史(最古の漢字は紀元前1500年頃?)の中ではとても新しくて、孔子が生きた時代の500年前だったとか(紀元前1000年頃)。現代では「心」のグループに属する漢字が一番多いそうなので、紀元前1000年頃から爆発的に増えたと考えられる。

では、孔子が「惑わず」と言っていなかったのだとしたら、何て言っていたのか?
当時のことを正確に理解することはできないので、ここからは推測していくことになる。
当時、存在していなかった漢字を推測する一番手っ取り早い方法は、「部首を取ってみる」という方法。そして、「惑」の部首「心(したごころ)」を撮ってみると、「或」となる。古代音では、「或」と「惑」は同じ音らしいし、「或」という漢字は孔子以前の記録にも残っているから、こういう想像をすることができる。

孔子は、「或」のつもりで話していたが、いつの間にか「惑」に変わってしまったのだろう(文庫版、P43)

詳しい説明は本書に譲るとして、結論は次のとおり。

「或」は、分けること、すなわち境界を引くこと、限定すること(文庫版、P44)
「不惑」が「不或」、つまり「区切らず」だとすると、これは、「そんな風に自分を限定しちゃあいけない。もっと自分の可能性を広げなきゃいけない」という意味になります。(文庫版、P44)

「自分を限定しない」「自分の可能性を広げなければいけない」と「心に迷いがなくなる」だと、ずいぶんと意味が違ってくる。

"Sky is the limit"とは言えないけれど、「限界」は思った以上に遠くにある

そう教えてくれたのは、30代の一時期にずいぶんと時間を費やした「フルマラソン」の経験だ。
2014年(当時32歳)の東京マラソンに当選して以来、縁あって7回のフルマラソンを完走している。しかも7回中3回は東京マラソン(一般エントリー)という、ランナーにとっては何ともラッキーな話なのだけど。

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(参考:東京マラソン3回分の完走メダル)

引っ越した先の近所に素敵なコースがあり(善福寺川緑地)、気持ちよさそうに走っているランナーを見て「なんとなく走ってみようかな」と思ったのがきっかけだったのだけど、最初は100メートルで息が切れた。でも、5キロ走れるようになり、10キロ、ハーフ、30キロ……と練習に比例して距離が伸びていき、タイムも速くなり、気づいたら山を走るトレイルランにまで手を出したりしていたわけなのだど……

だからと言って、「やればできる! だから限界なんて設けずにがんばろうよ!」と、努力へと誘うつもりは、まったくない。「努力によって越えられない壁はない」と言いたいわけでもない

ただ、自分や他人が「自分」だと思っている自分は、「自分」のほんのごく一部なのではないか、とは感じている。

私たちの行動の9割以上は、「無意識」的に行われているというのは、よく聞く話だけど、自分が意識化できていることなんて、ほんのごく一部。可能性に目を向けると、今の自分が、「自分だ」と思っているものが「自分のすべて」だなんて、とても言えないというのが私の感覚だ。

そして、「無意識」に関して、近ごろつくった本で、「なるほどなぁ」と思った部分があるので引用したい(この本は、以下以外にも引用したいところだらけなので、ぜひ読んでください)。

 (中略)実はこの言葉(無意識)には歴史的にさまざまな意味が与えられてきており、同じ言葉を用いていても、そこで意図されている意味を明確にしないと、混乱が生じることになる。
 こうした問題を回避するために、ケン・ウィルバーは著作The Artman Project(『アートマン・プロジェクト』)の中で「無意識」という言葉に与えられている代表的な意味を整理している。ここで簡単に説明したい。

というわけで紹介されているのが、次の5つだ。

①基盤の無意識:将来的に創発することになる潜在的な可能性の集積
②太古の無意識:生物学的に継承された無意識的要素(集合的無意識など)
③沈潜した無意識:過去には意識されていたが、今は無意識化されているもの(影(シャドー)など)
④組み込まれた無意識:現在、自己が立脚している意識構造(発達段階)
⑤創発する無意識:「基盤の無意識」の中でまだ創発していない可能性(潜在意識など)

無意識における”可能性”(①⑤)の割合までは分からないけれど、それでも自分が意識できている自分以上に、大きな可能性が眠ってることはイメージしていただけるのではないかと思う。

実際に、「もう限界だ」と思っていても、本当の限界はずいぶん向こう側にあるというのは、体験的に感じおられる方は多いと思う。

私も、前に出したマラソンでも、何度もそれを感じた。
フルマラソンは正直、きつい。
「なんで、私はこんなひどい仕打ちに遭っているのか」と、走ることを決めた自分を呪わなかったことは、ものすごく調子が良かったいぶすきマラソン1回だけだ(それ以外は一度のマラソンで少なく見積もっても3回は「ああなんでエントリーしちゃったんだろう。お金まで払ってバカみたい」と思っている)。
「あ〜もう無理!次に地下鉄の駅が見えたら電車で家に帰る!!」と思うくらい脚が疲れて、息も絶え絶えになっていたとしても、沿道の「がんばれー」という声を聞くと、なぜか力が湧いてきて、一歩進むことができる。そして、一歩進むとまた次の一歩を、身体が勝手に出してくる。そうして、一歩一歩進んでいくと、やがてゴールにたどり着く。
私のフルマラソン経験の大半がこんな感じだ。

ここでお伝えたいのは、限界を超えていくきっかけは「がんばれ」という「自分以外の力」によって与えられたというところ。いつも・何事においてもというわけではないけれど、時折、ふと自分以外の力が働いて、自然と限界を超えていけることもあるのが、とても不思議なからくりだと思う。

「自分以外の力」って、周りの誰かの応援だけじゃなくて、「時流」や「タイミング」も大きいと思う。あるタイミングでは”10000”の力を発揮しても動かなかったものが、別のタイミングだと、”10”の力を出さずともスルリとうまくいってしまうこともある。

いつでも、なんでも努力によって解決するとは決して思えないし、限界なんてものはないとも思っていない。"Sky is the limit.(可能性は無限大)"なんて、手放しに思えるわけでもない。
ただ、「今、限界だと思っている自分」を問うことはできるし、他者や”流れ”が背中を押してくれるタイミングにうまく乗っていくことはできる、ということは、忘れずに40代に持っていきたいと思う。

「初心」ーー自分自身に「ハサミ」を入れる

さて、話は戻って、「こちらの書籍が素晴らしい」と書いたけれど、とある本でご一緒したのをきっかけに、著者の安田登さんと直接お話をする機会に恵まれた。

その時、「もうすぐ40歳になるんですけど、安田さんのご著書の”不惑”の記述に勇気をいただきました」という話をしたら、こんな言葉をかけていただいた。

「40代になるということは、”初心”に返るタイミングでもありますね」と。これもまた安田さんのご著書から引用すると、「初心」とは、、、

着物を作るために、まっさらな反物に鋏を入れる。もったいないし、失敗の可能性を考えると怖くもある。だが、それをしなければ着物はできない。だから勇気をもってバッサリいく。そのような心で、自分自身をバッサリ断ち切って、新たな自分を見つけていく、それが「初心」です。(『身体感覚で『論語』を読み直す』文庫版P47)

このことは、誰にとっても大切なことだと思う。
10代だって、20代だって、変化を拒むことなんてできない(そもそも、認める認めないに関わらず、事実として変化し続けるわけだし)。

ただ、行動経済学の「保有効果の罠」ではないけれど、自分が保有しているものは、どうしても失い難く感じてしまうのが、人間の特徴なんだと思う。
私だって、そうだ。

そして、なんと孔子先生は、ここまで見越して「不惑」と言っていたのではないか、というのが安田さんの指摘。

 しかし、年齢を重ね、さまざまなことを積み重ねてきた自分を捨てるというのはそう簡単にできることではない。
 それが本当に怖くなるのは当時でいえば四十歳、今ならば五十〜六十でしょうか、だから四十が「不惑(或)」なのです。(文庫版P50)

いやぁ、ここまで人の本質を見抜いていたのだとしたら、「論語」すごいです。見直します。
「今まで誤解しててすみません。ちゃんと読み直します」という気持ちにさせられた。

"No Plan"の40代の幕開け

さて、前段が長くなったけれど、最後に40歳にあたっての決意を。
とはいえ、全くかっこいいことは言えない。
むしろ、今、私は、ものすごく混乱しているのだ。

まだうまく言葉にできないのだけど、今までやってきたことにコミットすることができないような、大きな”矛盾”に気づいてしまったーーというのが、私の現在地。
本当は、少し前からその”矛盾”は見え隠れしていたけれど、タイミングを得てやっと言動に移せるようになってきたというのが、より正確な表現かもしれない。

そんなタイミングで迎えてしまったところで迎えた40歳なので、正直なところ"No Vision"

そして、だからこそいっそ、いったん自分自身にハサミを入れるしかないと思っている。

というわけで、家族の事情も相まって、2021年7月から休職期間に入ることにした。
期限は一年の予定。
「本をつくる」という仕事は、行わない。
(が、キレイに区切れるわけでもないので、現行動いているお仕事は、水面下でちょこちょこしたりはします)

少なくとも、この一年は、思い切り道に迷おうと思っている。


これから先について、何も手がかりがないわけではない。
でも、今のところ、何がどう繋がるのか、よくわからないし、大きな手応えも感じられない。だから、「これでなんとかなるだろう」という自信もないまま、道なき道を進んでいくという、そんな感じの”No Pran”で迷いながら進む日々が、間もなく始まっていくことになる。

とはいえ、頼りの身体は、繁忙期で疲れ果て、頭もクリアに働かない。
なんとか目の前の仕事をこなすことで精一杯……(ああ、そろそろ今週末のイベントやら、来週のワークショップの準備もしないと)

もはや、「初心」という美しい言葉で表現できるような状態ではなく、単なる「迷走」なんじゃないかとすら思えてくるけれど。
それでも、今、私にとってはこれがしっくりくる決断のようなので、流れに乗っていこうと思う。

オチも何もない文章を、ここまで読んでくださったみなさま、そして日頃、大きな支援と生きる勇気をくださるみなさまに、心からの感謝を込めて。

*お仕事関係のみなさま、本来は先にご報告すべきところを、連絡が追いついておらず、先にこうした形でご報告する形になってしまったとしたら申し訳ありません。
 引継ぎ先などは、追ってご連絡いたしますm(_ _)m

*家族の事情という、のっぴきならない事柄があるとはいえ、「休職」という希望を受け容れてくださった職場に対して、心から感謝を申し上げます。
「私の会社、社員の人生・成長をしっかりと考えてくれるいいところですよ」と、敢えて身内贔屓をしておきたいと思います。

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