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「その記事、何のために書いていますか?」〜文章を書く「目的」を考える

熱を入れて書いたのに、反応がない……
伝えたいことがあるのに、届かない……

それって、とても残念なことですよね。
だけど、安心してください。これ、誰もがぶつかる悩みです。
どんなに著名な書き手(たとえば本を出しているような人)も、多かれ少なかれ抱いてきたことです。


アイデアはいいのに、文章は残念すぎる……

私が編集の仕事を始めたのは、18年ほど前のことです。
当時は、入社1〜2年目の頃。私は、よく同期に愚痴をこぼしていました。

うちの会社は考え方やアイデアはいいのに、コンテンツが残念すぎる!!

何が残念かといえば「読みづらい」「わかりづらい」「つまらない」…etc

ちゃんと読めば「良いこと」を言っているのに、読みづらい(読む気になれない)。一生懸命なのはわかるけれど、わかりづらい。あと話すと「ステキ」なのに、書くと途端に「つまらなく」なる。

考え方アイデアは素晴らしいし共感できるものでした。だけど文章などの「コンテンツ」「表現物」になると、途端に「残念…」になるんです。

この状態がとてもいやで「何とかしたい!」と思っていました。
で、若かった頃の私は、色々と意見をしました。「ここがわかりづらい」「ここがつまらない」「ここは、もっとこうしたほうがいい」などと。
そして、それでも直らない部分は自分で工夫をして(修正案をつくってみて)具体的に提案して……なんてことをくり返していたら、気づけば、コンテンツをつくる仕事をするようになっていた——これが私が「編集者」になったきっかけです。
当時やっていたことが「編集」だったとは、知りませんでした。
ただ「残念なものを何とかしたい!」と思っていたわけです。

そもそも「魅力」がない文章はない

とても悲しいことに、世の中には残念なコンテンツ、残念な文章がたくさんあります。

でも、文章・コンテンツには別の側面があります。
どんなコンテンツにもそれぞれの「良さ」があるのです。

特に文章は、その人の分身のようなもの。
魅力のない人がいないように、文章も、たとえ読みづらくても、わかりづらくても、つまらなくても、じっくりと向き合っていくとそれぞれの「味」や「魅力」が見えてきます。

だけど、人と人が簡単にすれ違ってしまうように、文章もちょっとしたボタンの掛け違いで、本来は伝わるべき「味」や「魅力」が伝わらなくなってしまっている……私にとってはその状況が何より残念なのです。

だとしたら、「どうしてそうなってしまうのか」の原因を突き止めて、より伝わる方法を建設的に考えていくほうがいいですよね。
ここでの残念を解消する技術、つまりその人が本来もつ「味」や「魅力」をスムーズに伝える技術こそが「編集」です。
編集は、そのギャップを埋める力をもっているわけです。

「なんのため」に書いている?

ここからが今日の本題です。

本来は魅力をもっているはずなのに、どうして文章が”残念なもの”になってしまうのか。

先に結論を言います。
いちばん大きな理由は「目的」がハッキリしていないことです。

私たち書き手は「目的」をもって文章を書いている——はずです。
でも、いざ「この文章は、なんのために書いたのか?」「この文章で達成したいこと?」と質問すると、答えに詰まってしまう方が多い。
たとえ返ってきたとしても、その答えはとても曖昧なものばかり……
これは、編集者として数々の書き手と接してきて実感していることです。

「目的」が大切なのは、文章に限った話ではありません。
あらゆる仕事は「目的」あってのものです。
プレゼンにしても、商談にしても「目的」を達成するために、必要なもの(プレゼンであればスライドや配布資料、トーク内容)を準備していく。
これが仕事の基本であり、デキる人ほどこの基本が身についています。

「目的」にあわせて、表現を工夫する
仕事も文章も、そのくり返しです。

だから……
”残念な文章”を脱け出すためには「目的」を明確にすることから始めよう!

結論はこれに尽きるのですが、もう少し掘り下げていきます。

「目的」を因数分解する

「文章を書く目的を明確にしよう!」と言われて、どう感じたでしょうか。
「やれそうだ」という手応えは感じられたでしょうか?

「文章を書くときは、まず目的を明確にすべき」

理屈としては正しいです。
たぶん教科書にもそう書いてあります。
だけど、この手の「正論」には怖さがあります
「反論」の余地を残さないことで「思考停止」を招いてしまうことです。

「目的を明確にしましょう」
「はい、そうします」
(わかった気はするけれど「やり方」がわからないから、「わかった気」になったままで、結局は残念な状況から抜け出せていない……)

こんな状況になってしまっては、私がこの文章を書く「目的」が果たせません。

さて、ここまで「目的」という言葉をなんとなく使ってきました。
この「目的」という言葉を「自分なり」に説明するとしたら、どのように伝えますか?

あなたは「目的」を、どんな言葉を使って説明しますか?
あなたの頭の中にある「辞書」の「目的」の欄にはどのような「定義」を書かれていますか?

「文章を書く目的」の「目的」とは何か。
なんだか禅の公案のようになってきたけれど、ここが明確にならないと、文章を書く目的は、いつまで経ってもハッキリしてきません。
そして、目的が定まらないままでは、表現を工夫しようがないんです。
どれだけの敏腕編集者がいたとしても、目的の決まっていない文章は編集できないのです。

自分なりに「文章を書く目的」を定義できるならば、最高です。
ただ、いきなりは難しいという場合は、私の「定義」を参考にしてみてください。

【文章を書く「目的」とは?】

この文章を読み終わった後

 ①
 ②どうして(どうなって)欲しいのか
を端的に(できるだけ短い言葉)でまとめたもの

文章を書く目的は、
①「誰に向けた文章か」
②「その人(読み手)に望む変化」

この2つに因数分解できます。

このnoteで言えば、私はこんな目的を掲げて書いています。

①誰に:
 
(読まれない、伝わらない等)「文章」に悩む方に
②どうして(どうなって)欲しいのか:
 
「文章を書く目的」を振り返る時間をとってほしい

①②が明確になったとき、初めてそれを実現するための「手段」を考えられるようになります。
そして、いい感じの手段を見つけられたとき、表現の中身はよりシャープになります。そして、シャープなものほど届きやすくなるのです。

外在化|目的を知るための、シンプルな方法。

さて、ここからは「文章を書く目的」を考えていきます。

最初に断言します。

「目的」は、考えて見えてくるものではありません。
たいていの場合、目的は「書いてみて初めてわかるもの」です。

心理学に「外在化」という言葉があります。

「外在化」とは、心のなかで起きている事柄(問題、悩みなど)を、言葉にしたり、名前をつけたりすること
問題や悩みがある時は、なんとなく「モヤっと」します。
でも、その”なんとなく「モヤっと」”したままでは、どんなことで悩んでいるのかわかりません。何で悩んでいるのかがわからなければ、解決しようがありません。ドラえもんも困ってしまいます。

だからこそ、いったん「モヤっと」したものを言葉にすることで、自分の内側から外に出す。そうして客観的に見えるようになるだけで、問題や悩みとの向き合い方が変わってくる——カウンセリングやコーチングなど「対話」を介したセラピーでの原理は、こういうことです。

この原理を活かしてみてはいかがでしょうか?

「書く」ことは、どうしてこんなにも難しいのか。
それは「形のないもの」を扱っているからです。
「考え」や「気持ち」「感覚」は、普段は自分の内側にあって、手で触ったり、形を確認したりすることができません。だから、料理のようにスーパーに行けば必要な材料が揃えられる……わけではないんです。

「何かを書く」ためには、まず自分の内側にある「素材」を、自分の力で見つけに行く必要があるのです。

「書きたい」「表現したい」という意欲はある。
だけど、何をどう書けばいいだろうか……を考えると「モヤっと」してしまう。

こういう「文章を書く目的が定まらない状態」は、自分の内側にある「素材」が何かがわかっていない状態です。これは「書きたいことが外在化できていない状態」と言い換えられるでしょう。

ここまでわかれば、やることはシンプル。
「モヤっと」しているのであれば「外在化」すればいいのです。

具体的には、まず書いてみることをお勧めします。
誰かに見せるためではなく「自分が何を書きたいのか」を知るために書く。自分と対話をするように、書く
自分の中にある「ジューシーな素材」と出会うために書く

大切なことなのでもう一度言います。
「誰かに見せる」ためではありません。
まずは「自分のために」書いて欲しいんです。

数分で終わるかもしれないし、30分かかるかもしれない。
いずれにしても、まずは思い切り書いてみてください

そのうえで、もう一度「目的」に戻って、次のフレームに当てはめてみてください。

【文章を書く「目的」とは?】

この文章を読み終わった後

 ①
 ②どうして(どうなって)欲しいのか
を端的に(できるだけ短い言葉)でまとめたもの

以前よりはずっと「書く目的」がクリアになっているはずです。

ここから先は「体験」の世界。やってみなければ分かりません。
ただ、ひとつだけ明らかなのは、机の前で「うーーーん」と唸っていても何も始まらないということ。

”残念な文章”を脱け出したいのであれば、試してみませんか?

なお「書く」のが苦手だという人もいるでしょう。
そんな人にこそ「自分のために書く」をやって欲しいのですが、それさえしんどい時は、自分が得意な「表現」の手段を使っていきます。

「話す」のが好きならば、まずは話してみる。
絵を描くのが好きならば、スケッチしてみる。
資料作成が好きならば、まずはプレゼン資料をつくってみる。

とにかく「頭」の世界で悶々と悩む状態を抜け出す
そのために、まずは「身体」を使って具体的な「行動」をしてみてください。

さて、ここで自分自身と対話するようにしてできあがった「自分のための文章」は、ものすごく尊いものです。荒々しさだったり、素朴さだったりが現れていて、そういう文章もすごくいい!!!

でも「自分のための文章」は、文字通り「自分」のためのもの。
誰かに見せる必要はありません。
自分のためにしまっておいてください。
自分の「聖域(サンクチュアリ)」がある人は、すごく魅力的です。

じゃあ「他者に見せる文章」は、どうやって書けばいいのか。
「自分のための文章」ができたら、あとは簡単です。
それを「目的」に沿ったものに「編集」すればいいのです。

いい文章は「素材」が9割

じゃあ「編集」とは何なのか。

ものすごくシンプルに言えば、編集は「料理」のようなものです。

自分の内側から掘り起こしてきた「自分のための文章」を素材に、「目的」にあわせて、組み合わせたり、分量を調節したり、味付けをしたり、煮たり、焼いたりしていくのが「編集」です。

それぞれの工程ごとに「コツ」や「技術」は必要です。
(そのコツや技術は、この後のマガジンで少しずつお伝えしていきます)

ただ、料理がそうであるように、「素材」「材料」がなければ文章はいつまで経っても完成しないのです。

「料理は素材で95%決まります。僕が手を加えるのは残りの5%だけ」

https://cuisine-kingdom.com/ne-quittez-pas/

これはフランス料理店「ヌキテパ」のオーナーシェフ田辺年男さんの言葉ですが、文章も同じなのです。

文章の良し悪しは「素材」が規定します。
そして、「素材」の根幹は「文章を書く目的」です。
目的「だけ」では完成しないけれど、「目的」がなければ何も始まらない
目的がクリアになればなるほど、目的が良質なものになればなるほど、あなたの味が伝わる文章になっていきます。

というわけで、あらためて質問します。

あなたが、その文章を書く目的は何ですか?
誰に、どうなって欲しい(どうして欲しい)と感じていますか?

あなたの言葉が、必要な方に届いていきますように!
さいごまでお読みくださりありがとうございました。

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