watashi wa dare

女性。エネルギーかなり強め。 幼少期から「私は誰?」という疑問が頭から離れなかった。ど…

watashi wa dare

女性。エネルギーかなり強め。 幼少期から「私は誰?」という疑問が頭から離れなかった。どう生くべきか。 そんな私の頭の中を綴りたい。 結局、人生は自分を愛する旅なのだ。 普段、割と表に出てます。 絶対に身バレしないようにします。。。 ここでは、誰にも言えない心の中を。

最近の記事

流れに逆らわない。

私はまだ若者である家族がある日突然死ぬという経験を受けて、目に見えない力のようなものを信じざるを得なくなった。 それは霊とかそうゆう話ではなく、もっと現実に根付いているこの世の法則の様なもの。 スピリチュアルとか自己啓発とか、目に見えないものは胡散臭い、不確かだと片付けてしまいがちだけど、やはり「自然の法則」というものは、何も動物や森にだけ存在するなどとは説明がつくはずもなく、やはり人間にも例外なく働く力なのだなと、最近ようやく視えるようになってきた。 変化は怖い。現状

    • 自分が不自然なら世界も不自然になる

      人間の価値は、金持ち、見た目、肩書きなど全ての条件に関係なく、存在する。 もう、そんな事十分分かっているつもりだった。 なのに、、、 どうもここ数年、私がおかしい。 そして周りの世界もおかしい。 誰かに綺麗だねと言われたい。 誰かに好きだよと言われたい。 誰かにお前が欲しいと言われてみたい。 寂しい。苦しい。怖い。 この現実から逃げたい。 そんな現実ばかりが起きるようになった。 嘘をつくしかなかったり、 人に言えないような事件も起きた。 おかしい、どう考えても自分

      • ふと神社に行きたくて

        今日は日曜日。 いつもなら家族と過ごすのだけど、自分1人で過ごす選択をした。 夫と子供のいつも行く先が、自分にはしんどくなってきている事を素直に受け入れ、いつの間にか自分で決めてしまった良い母親像、良い家族像を捨てて、「私は行かない」と言った。 とは言え、一緒に行かない私を夫は何て思うだろう、子供の希望に寄り添えない母親なんて、、、などと否定的な言葉が頭をかすめてなかなかワクワク出来ないまま当日の朝。 さて、どんな日にしよう。 何がしたい? そう自分に問うたら、何故か

        • 解放されたい

          昨日、とっーーても久しぶりに夜、飲みに出かけた。子供連れだったが、子供も楽しんでいたし、何より私自身が本当に本当に、めちゃくちゃ楽しくて鼻血出るかと思ったよね。 飲みのメンバーは全員7年以上付き合いのある良く知る人物。 でも、肩書きだけ見れば、私以外は全員、政治家、もしくは大臣クラスの第一秘書、というまぁ、客観的に見たら普通はない面子だった。 昼間、仕事とプライベートで良く絡む、マブダチ。派閥もごちゃ混ぜ。 でも、普段は表だって聞けない政治の話を、夜、お酒の席でがっつり

        流れに逆らわない。

          本当の強さとは

          結局、人として強いっていうのは、、、 嫌な事や嫌な人に巡り合わない様に頑張るとか、力をつけて社会的に認められるとか、お金を持つとか、安全安心な道を選ぶ能力とかでなくて、、、 「何が起きても大丈夫な自分」 「自分=現実」 である事を悟る事だなと思う。 他人の言動や起こってくる事や、その結果に左右されない事。 結局、現実を変える事にやっきになっても究極的には無意味で、そこにはたどり着けなくて、「自分=現実」これを本当の意味で悟る事が本当の自由なのだと。 そんな事を自

          本当の強さとは

          自分の周りは全て「自分の本音を映し出す鏡」

          自然の法則:自分の周りは全て「自分の本音を映し出す鏡」 このnoteは決して身バレしないように、私が「私はだれ?」を追求する、完全に自己完結型の文章の寄せ集めです。  ※今日は自然の法則のKengoさんのユーチューブより、学んだことを書き記します。 自然の法則:「自分の周りは全て、自分の本音を映し出す鏡」という事について。 自然の法則には大きく分けて以下の2つに分けられる。 ●形而下(けいじか)の科学・・・目に見えるもの。学校で習ったり数字に出来るもの。この事象はこ

          自分の周りは全て「自分の本音を映し出す鏡」

          誰かの嫌な部分は自分の投影

          私が周りを見ていると、モヤッとする事。 それは、自分の中に抑圧した何かがあるから、モヤッとする。 それは自分の深層心理の何がそうさせているのか、簡単に書き出してみた。 →(   )は、私の心の中。 認めたくないし、見たくないけど、少しずつ覗いてみる。 ・家族が全て!家族第一思考な人 →(私が、本当は家族という呪縛から逃れて、母でも妻でもなく1人の人間として生きたい) ・狭い世界で生きている人 →(私が広い世界で生きる事にこそ、価値があると思いこんでしまっている。)

          誰かの嫌な部分は自分の投影

          共依存

          私は自己否定していたり、満たされていない寂しい人を見ると、自分でも制御できない程に、「私なら貴方を愛せるよ。受け入れるよ。」と手を差し伸べたくなる。 私は長年、これらを愛だと思っていた。 でも、その裏には、、、こんなメッセージを隠し持っている自分に気がついた。 「ほら、だから貴方には私が必要でしょ。」 そう。共依存だ。 それは、私こそが満たされていないからなのだ。 私は私で満たす。 そう在りたい。

          夜になると、、、

          夜になると誰かに縋りたくなる。 私を抱きしめて、と胸に飛び込んでしまいたくなる。 ごめんなさい、言葉を選ばずに言うと、、、私、表に出る仕事をしていた事もあり、本当に沢山の男性から声をかけられます。 ※ここでは絶対に身バレしないようにしてます。 会社経営者をはじめ、名の知れたアスリートや著名人も中にはいて、、、女性としての自分が満たされる反面、そんな自分をはしたない!汚らわしい!自分がいけないから、男性が寄ってくるのだ、、、とずっと責めてきました。 でも、そんな自分も愛し

          夜になると、、、

          鏡の法則

          現実とは結局、全て自分の鏡だなと実感する。 心理学者ユングの言った「現実は認識の投影」という言葉が突き刺さる。 自分の認識にないものは、そもそも見えないのだ。 許せないあの人の欠点は、必ず自分の中にもあるから、そこに存在する。 自分の認識、思考が現実を創造する。 鏡の中の自分だけを、先に笑わせる事は出来ない。 だから、、、どこまで言っても自分と向き合う事でしか、現実は変わらない。 自分を愛する事から始まる。 人生とは愛を知る旅なのだな。

          ホントの強さ

          結局、寂しさを誰かに満たしてもらおうとしても、それはまやかし。叶わない。 自分を自分で愛する事でしか、解決しないのだなと、ようやく気がついた。 元気なふりして誰かに会いに行く事、がむしゃらに仕事に没頭する事、否定はしないけど、自分の寂しさと向き合わずに、あるものをない事にして、元気なふりをしても、その場しのぎに過ぎず、また振り出しに戻される。それは前向きさを履き違えている。 この寂しさは本来の自分から随分、遠くまで来てしまった証拠。 そこに向き合わずして、幸福はない。

          ホントの強さ

          寂しさからの行動

          どうも私は今、とてつもなく寂しいらしい。 結婚して子供もいながら、家族以外の誰かにその寂しさを埋めて欲しくて仕方ない。 恥ずかしい。 汚らわしい。 そんな言葉をつい自分にかけてしまいそうになる。 でも、それも自分なのだ。 許してあげるしか、道はない。 しかし、寂しさや不足感から生まれる行動は、さらに寂しさと不足感を募らせる。 誰かに助けてと飛び込んでしまいたくなる。 抱きしめて、と叫びたくなる。 すると、同じ様に寂しい人間が寄ってくる。 いくらでも寄ってくる。

          寂しさからの行動

          きっともうすぐそこに

          私は昔、若い家族を亡くしました。 人は本当に死ぬのだ。  しかし、あのヒトは死んだが、私は生かされている。 何故なのか? まだ10代だった私には大き過ぎる人生の宿題を残して、あのヒトはある日突然、煙のように消えてしまった。  そこから、私の「生」が始まった。 そこから、私の「愛」が始まった。 そんな1人の女の「生」と「愛」を誰にも知られず書き残したい。 きっと、、、もう少しで見えそうなのだ。

          きっともうすぐそこに