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生きる、ということ

死んだらどうなるか?

死とはなにか
生とはなにか
って人間にとって
永遠の命題ですよね。

未知の世界だから
当然怖いし
ずっと生きていたい
とも思いますよね。

だから見ないようにする。

でも見ないから
生を大切にできないときもある。


私たちは生まれてきて
やがて死ぬっていうことだけは
決まっています。

残念ですが
少なくともこの地球では
避けられない決まりです。


人は死なない

というタイトルの本があります。
東大医学部の救急医学の分野で
働かれていた医師の
矢作直樹さんという方が書かれた本です。


西洋医学のおそらく日本で最先端の
場所で働き
救急というおそらく最も死が身近な
お仕事をされていた先生が
「人は死なない」と言ってるんですね。


魂があるから
本質的な「死」はない。
この世での「死」は
肉体というスーツを脱ぐだけ
ということをおっしゃっているのだと
思います。

私もそんなふうに感じています。

「輪廻」がなくなる

特にその中でいろいろ感じていることもあって
これまでは「カルマ」というものが
一応あって
それを解消するために
生まれていた
ということ。


本来の魂って
実は輪廻の中にあるわけじゃなくて
魂の源に戻ってい魂の源に戻っていて
そこからまた分かれてどこかに生まれて
くるんじゃないかと思うんです。
ただ、必要な記憶を引き継いでくる。
だから生まれつき得意なことがあったり
たまに前世や過去世の記憶がある人がいる。


だけど、この地球って
しばらく魂の源であるおおもとに
戻れなくなっていて
地球の中をぐるぐるぐるぐる
輪廻転生をしていたように思うんです。

地球の周りに
そこに戻れない膜あみたいなのが
あったというか・・・
弾かれて戻されるというか・・・
ゲームの世界観のようですが(笑)

だから苦しみを感じたり
精神性を高めなきゃと考えたり
解脱しようと考えたり
してきたと思うんですね。


なんですが、
最近その膜がはがれてきてるんじゃないかと
思うんです。

つまりおおもとの方へ戻れるってことです。


私自身、
もう地球には生まれないな
これが最後だな
みたいな感覚がありまして(笑)

急に怪しい感じになりましたが
ある日突然そう思ったんですよね。

ああ、今世で地球から離れるわ
って。

だからやると決めてきたことやらなきゃ
やりたいことやらなきゃ
って思ったんですよね。


で、おおもとに戻った後は
そのままそこにいるのかもしれないし
またそこから離れてちがう生命となって
どこかに生まれるのかもしれません。


ただの妄想かもしれないですが
同じようなことを感じている方が
何人もいるようなので
そういうこともあるかもしれないな
ま、妄想だけど
くらいに聞いてもらえたらうれしいです(笑)


輪廻を飛び出す

のにどうするかというと
本質の魂である自分を思い出して
そこと一致していくことだと思うんですね。


それは「これが私の魂だ」という感覚ではなくて
心からこの世界や、身体があることを
楽しんで喜んで愛を感じること。

結局好きなことをして
生きていることを
めいっぱい感じて
感謝して祈ること。

だと思うんです。


偽の愛じゃなくて
本当の本質の愛や光として
生きること
だと思うんです。


いや、もう怪しさ満点なんですが(笑)


これまでやっぱり
人の目を気にしたり
いや、これってなんの根拠もないし
人に伝えるのは・・・
って思っていたのだけれど
もう早く伝えなきゃ!
って気持ちの方が強くなってしまって。


愛ってなんだよって話なんですが。
言葉にするとそれしかないんですよね。


ちょっと前に愛とは?な記事も
書いたのでもしよかったらこちらも。


そもそも輪廻を飛び出す必要があるのか?

と言われたら別にないかもしれません。
ずーっと地球でいてもいいのかも。

だけど、
私たちって本来自由です。

地球にいてももちろんいいけど
ちがうところにいてもいい。

苦しさとかアップダウンとか
人生楽ありゃ苦もあるさを
楽しんでももちろんいいんだけど
そういう自由もあるのだけれど・・

これまではそれを選ぶしかなかったり
その外側へ行くことが難しかったかも
しれないからこそ
こういう世界しか知らなくて
その中での自由だったと思うんですが
これからはその外側を選ぶことが
できるようになっていくんですね。

その自由を知るってことです。


で、そういう自由があるって
わかったときに
どうしたいのか?

をちょっと意識してもいいのかな、と。


目の前のことに一生懸命生きてたら
そんなことまで考えなくてもいいのだけれど
「今どう生きたいか」は
常々意識しながら
一生懸命生きていたいですよね。

楽しみたいのか
幸せを感じたいのか
苦しみたいのか
悲しみたいのか。


命を使う、ということ

死なない、とはいうものの
それは「意識」という
所謂、魂の話で
やっぱりこの地球の現世を去るときに
肉体は手放していきますよね。

その瞬間までにここで生きるということは
今あるこの命を使う、ということ。

すべてのものに命があり
魂が宿っている、と
昔の日本人や先住民族などは
考えていましたが
本当にそうですよね。

小さいころって、
お人形に話しかけたり
お花に話しかけたり
していませんでしたか?

大人になった今でも
森から声をかけられているような
気がするとか
落ちているゴミに話しかけられてるな
って思うときとか
大切にしていたものを手放す時に
そのものと言葉以上の会話を
交わすようなことってありませんか?


そんなふうに感じることが
私もよくあります。

ついついものを雑に扱ってしまったときに
ごめんねって思います。


と同じように私たちにも
そういう命が宿っていて
それって尊くて大切なものだと
思います。


生きていることがすべて
とは思わないけれども
ここで生きていることって
とっても奇跡的でありがたいことなんだな、と。


生きている
ということは
命を使い続ける
ということ。


この命をどう使いたいのか
今の自分自身がどう思うのか
生まれる前にはどうしたいと思っていたのか
今、自分の魂はどう感じているのか
と向き合うことは大切です。

したいことをせずに
ここを去ってしまうの
嫌じゃないですか?


希望にあふれて
たくさんの光をみて
産道を通ってきたはずです。


生まれたくないと思いながら
生まれてきた人は
1人もいないでしょう。

ドキドキはしていたかもしれないけど
怖さも感じていたかもしれないけど
きっとそれも含めて
生まれたくて生まれてきたはず。


大切に
自分のために
やりたいことをやるために
この命を使いましょう。


去ってしまうことは悲しい

実はとても大切な友人が
旅立ってしまったんです。

つい最近までやりとりをしていたし
すぐに元気になると思っていました。

また帰国したら会いに行こう
って思っていました。


でもそれが叶わなくなって。
それが叶わなくなった実感もまだあまりなくて。


もうこの世で会えないと思うことは
やっぱり悲しい。

だけど、その友人との完全な別れとも
思ってはいなくて。

たぶん、この地球でやろうと思っていたことを
やりきったから去ることを決めたのだと思うし
悲しいし寂しいけれど
仕方ないってことも頭ではわかります。


だから普通に悲しいし
悲しむけれど
そこに飲み込まれなくていいし
カラ元気になることもなくて。


ただ、その知らせを聞く数日前に
ちょうどその子と一緒に
よく行っていたお店とか居酒屋さんとか
一緒に行った旅行とかを思い出していて。

余計になんだかなぁ・・・
渡米前に会いに行けばよかったなぁとか
いろいろ考えてしまって。


人間だから
悲しいんですよね。


きっとまた違うところで
会えると思いながらも
やっぱりこの一期一会の時間、
瞬間を大切にしなくちゃ
と感じたときでした。


命を使う大切さ
自分を大切に扱うということ
丁寧に生きるということ
やりたいことはやりたいときにやること

改めてそういうふうに生きたいなと
思いました。


人は生きると決めたところまで生きる
ってちょっと前に自分でも書いています。
心からそう思っていても
誰かが旅立ってしまうことは悲しいですね。


瞬間を丁寧に

たとえば、お風呂に入って体を洗うとき。
たとえば、ごはんをつくるとき。
たとえば、洗濯物をたたむとき。
たとえば、こどもと一緒に布団にくるまるとき。

私たちが生きている間にすることは
すべてが愛おしいものです。

身体がなければ体験できないものです。

私もついつい
ながら、でやってしまいます。

でも1つ1つ、
味わって丁寧にすること。

自分の所作を楽しむことや
触れている物や空気の感触を
確かめて感じることは
生きていると実感する
とても幸せなことです。

やっつけ仕事や
雑に済ますのではなく
そういうものに丁寧に取り組むことは
自分の命を大切にするということでも
あるんじゃないかなと思います。

忙しくて
丁寧に、ゆっくりと、じっくりと
なんてしている暇ないよ!
って思うかもしれないけれど
1日にほんの少しの時間だけでも
そうやって丁寧に過ごせるときが
あるといいですよね。


ということで、
今日の一瞬一瞬も大切に。
喜びあふれる1日をお過ごしください。


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