どれだけ時が経っても変わらないもの
後世まで残る作品とは
以前、一緒に演技訓練をしていた仲間が出産して育児に専念している。
子どもはまだ生後100日祝いの「お食い初め」がやっと終わったくらい。不眠不休の育児から、少し一息して短いながらも自分のことにも気が回せるようになる頃。
そんな彼女がソートン・ワイルダーの「わが町」を久しぶりに引っ張り出して読もうと思うと、つぶやいていた。
わたしも「わが町」は最近になって読んだ。(若い頃は漫画漬けの日々で戯曲や小説はほとんど読んでこなかった)
この作品を読んで感じたのは、時代を超えて共感できるシンプルな内容。
かつ、シンプルだからこそ、読み手の年齢によって感じ方が変化していくんだろうなぁ。ということ。
きっと後世までずっと残っている作品とは、このようにいつの時代でも普遍的なものがテーマになっているものなのだろう。
「わが町」を読み終えて、自分の内面の動きを感じながら、ふっとそんな風に思ったものだった。
なので、産後の彼女も家にあった「わが町」の戯曲を読み返してしてみたくなる気持ちに共感できた。
演劇とは「関係性の芸術」
演劇は「関係性の芸術」と言われている。
これは演技訓練のなかでコーチが教えてくれた言葉だ。その言葉はわたしのなかにピタリと来るものがあった。
なぜ、「わが町」が読まれ続け、上演され続け、産後の彼女はまた読み返そうと思ったのか?
すべての答えが「関係性の芸術」ということに繋がっている気がする。
「わが町」という作品は、ある小さな町のなかで暮らす人々の人生を綴っている作品だ。家族に子どもがいて、大人になり、子どもが生まれ…と長い人生を役者の演技だけで見せていく。
人は生まれて誰かと生きているだけで大きなドラマを背負っていると言うことを教えてくれる。
人は必ず誰かから生まれる。誰でも必ず家族がいる。縁を切ろうが、疎遠になろうが、生まれた瞬間に必ず誰か家族がいて、関係性を構築しながら成長していかなければならない。
そこには既にドラマが発生している。
まさに人生という「舞台」に立ち演じ続けているのである。
すでに舞台に立ってスポットライトを浴びているのだから、特に目立ったことをしたり、特別に人の役に立とうとしなくても、誰かと時間を共にしたり、想いを誰かと語り合ったりするだけでもドラマになる。
人はこうして生まれた瞬間から、誰かとの「関係性」のなかで演じ続けながら自分自身を構築しているんだと思う。
ご存知あるだろうか?
生後すぐの赤ちゃんに無表情で接し続けると死んでしまうという研究が過去にあったのを。
私たち人間は生まれた瞬間から他者との関係性を必要としながら生きているのだ。
「関係性」とは人間にとって時代を超え常に普遍的なテーマなんだろうと考える。
自分が成長するにつれて作品の見え方が変わる
自分が子どもだった頃「わが町」に出会っていたら、どうだろう?
登場人物が子どもから大人になってからの内容は未知の世界として、ワクワクと読んでいたかもしれない。
しかし、人生も折り返しの年齢になり、実際に子どもを育てている現在のわたしが読んだら…
子ども時代に読んだ時とは全然違う部分に対して感情移入しているはずだ。
とすると、自分が成長していくことで、同じ作品なのに違う作品にも見えてくる可能性がある。
子どもの頃に読んだ絵本を大人になって読み返してみたら、深い内容でびっくりした。そんなことはないだろうか?
自分が成長することで同じ物を見たり、読んだりしてるのに感じ方が変わっているのだ。
「普遍的なもの」の素晴らしさって、ココにあるのではないか?と考える。
自分の年齢、環境、その時の状況で感情移入する部分や、感じることが全然変わってくる。観客のその時の状態次第で作品から受け取るものが変化するわけだ。
産後の仲間がこのタイミングで「わが町」を再び手に取ってくれた、その感性に大きな敬意を!!
そして生まれてきたすべての命に感謝を!!!
そうしてまた、私の「演技を探求する」旅は続く。