幼なじみの話

大学院に進学してからの1年半は、自分が人生を掛けて生業にしようとしていたものへの熱量が冷めていき、手放すことになったのだが、ある意味、本当に自分が大切にしたいと思えるものにやっと気付けた時間だったのかもしれない。

僕には小学校、中学校、高校と一緒に過ごしてきた友人がいる。同じ学校で、中学のときは同じ部活、でもたまに遊ぶくらいで、学校ではそこまで話すこともなかった。お互い求めているわけでもなく、拒んでいるわけでもなく、気付けば近くにいたようなそんな関係であった。

大学では別々になり、それ以来会ったのは成人式くらいだったが、僕は大学院を進学し、その友人は社会人になって隣町に住むようになった。僕は新しい街にきて、友人もいなかったので、その友人と会うようになった。

もう良い大人になったよなと言いながらも、僕たちの関係はとくに変わったこともなく、子供のころから延長線上にあるような生暖かい空気をまとったその時間のなかで、大学から目を背けるように毎週末その友人と遊ぶようになっていった。

お互い恋人もおらず、対した趣味もないものだから、酒を飲むか、街で女をひっかけるか、それもできなければ、金を払って女を抱いた。男2人が揃ってやることなんて、数えるほどしかない。僕たちはこのなにも失うものも得るものもないような過ぎていく時間をただただ消費するように街を彷徨っていた。

大学に行かなくなると、フリーターも同然のような生活で、そのなにか欠落してしまった心の隙間を惰性で埋めていくような気分であった。

金と時間と心を浪費して友人の家の天井を眺めながら、明日をどう生きようかとぼんやりしていると、太宰治の人間失格の葉蔵と堀木をふと思い浮かべる。お互いを嘲笑して、お互いを期待せずに、ただただ沈んでいく。荒廃し続ける生活の先にはなにも残らない。この男2人の共依存的な自暴自棄に終わりを見出さなければと、居心地の良い破壊の中でぼんやりと思う。

友人は俺は未来でこの時間を笑えるようにいまを生きているんだと、よく話していた。

友人は僕がこの街から去るときは、会社をやめて海外で働くといっていた。大学院をやめたいま、僕がこの街にいる意味は、この怠惰な時間に生活のギリギリまで身を委ねることくらいであった。もう少しでこのなんでもない低く鈍い音を立てながら沈み続けていく生活の終わりが近づいている。