かなわない、叶わない、適わない。

 12月の電気代の請求額を見て絶望しました。
 いつかのツイッターのトレンドに電気代が跳ね上がる、みたいな記事を読んだ気がして、それかな? と職場の同期の女の子に話していると、「関西電力は関係ないからね」と先輩に言われて、改めて現実を目の当たりにしました。

 いや、確かに今年は帰省しなかったし、外に出てはいけない、ということだったので自宅にいることが多く、エアコンも点けていた。更に言えば、コタツも点けてました。

「あぁ、ダブルで点けてたら電気代は万を超えるね」

 と先輩に言われ、諦める他ありません。
 映画泥棒ならぬ電気泥棒が我が家にいて、日夜知らぬ間に電気を使われていた、という可能性はなく、あくまで僕一人が電気を使って12月の請求スコアを叩き出してしまった訳ですね。

 一人暮らしをして、もう十年を超えましたけど、本当に見たことがないスコアならぬ、請求額でしたよ。
 一応、僕オール電化の部屋にも住んでいたことがあるんですけど、その時にもこんな金額見たことなかったんですよ! いや、ほんと。
 これがコロナウィルスの影響ですか(ただの自業自得)。

 やはり、コロナウィルスには立ち向かっていきたい所存なので本日、外では雨がしとしと降っておりますが、エアコンを点けずに毛布に包まって、今この文章を書いています(単なる節約です)。

 さて、今回のエッセイは2020年1月9日にカクヨムで更新した内容になっています。
 一年くらい前の僕の日常(?)の話です。
 よろしくお願い致します。

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 僕の実家は広島で帰省する為には、高速バスか新幹線のどちらかに乗る必要があります。

 料金は圧倒的に高速バスが安いのですが、乗車時間が五時間を超えてきます。
 新幹線は二時間ほどの代わりに料金は高速バスの二倍に跳ね上がります。

 毎年、この二つのどちらで帰るか僕は悩んでしまいます。
 お財布的に優しいのは高速バスなのですが、少し憂鬱な理由から即決できない部分がありました。

 憂鬱な理由を的確に説明ができないので、三浦哲郎という作家のエッセイの言葉を借りたいと思います。
 1931年生まれの三浦哲郎が少年の頃を思い返して旅行を「誰でも、多かれ少なかれ自分が人間であることに耐え」るもので、「苦行なもの」だと書いています。

 三浦哲郎が「あのころ」と表現しているので、正確な年代は分かりかねますが1940年代でしょう。
 その頃の旅行の困難さは僕の想像を絶するものがあるのは前提として、「自分が人間であることに耐え」る感覚を僕は帰省の度に感じていました。

 まず、高速バスの狭い座席の隣にはまったく知らない人間がおり、また五時間もの間、車の揺れに耐えなければならないことが苦行じみています。
 その上で僕はイヤホンで音楽を聴きながら、本を読もうとするのですが、当然ながら酔います。
 ふと周りを見ると高速バスの座席には一つの空席もない光景が目に入ります。

 なんとなく空気がよどんでいる気もしますが、窓を開けることもできません。
 息苦しさと車の酔いが合わさった時、「人間であることに耐えて」いるなぁと言う気持ちになります。

 一番楽なのは車内で無理矢理寝てしまうことです。
 そういう意味では、寝ている時の僕たちは人間ではない時間を生きているのかも知れませんね。

 そんな苦行と分かっていながら、頑なに本を読もうとする僕は愚か者と呼ばれて相違ないと思います。
 ということで(?)、今回の帰省の為に選んだ本は二冊あります。
 阿部和重「シンセミアⅡ」と植本一子「かなわない」です。

 どちらも帰省の行き帰りの間には読み切ることはできませんでした。
 「シンセミアⅡ」は、ある人物が奥さんをストーキングして浮気相手の車に乗って行くシーンまで読み、「かなわない」は2012年の章に突入したところまで読みました。
 ひとまず「シンセミアⅡ」は置いておきましょう(全4巻の2巻目なので)。

かなわない」はエッセイと植本一子の2011年から2014年までのブログが収録されている本です。
 植本一子は写真家で、出身が広島でした。

 僕が読んだ2011年のブログの中でも広島へ子供と一緒に帰省する話が出てきます。
 広島への帰省の最中に植本一子の帰省の話を読むのは面白い偶然だなと呑気に思っていたのですが、植本一子と僕自身を重ねることはできませんでした。

 女であること、原発事故後の東京での生活と子育て、休日にデモへ行く夫、写真家としての仕事……。
 男であり、未婚で、子供なく、デモに参加したこともなければ、東京に暮してもいない僕。

 出身地は確かに一緒だけれど、僕と植本一子の間には果てしのない隔たりがあると感じました。
 読書の面白さの一つとして、自分とはまったく別の人生を味わえるというものがあります。

 僕は他人の人生として「かなわない」を読んでいき、
 ある地点から植本一子のような状況に立っていないのは単なる幸運で、いつか遠くない未来に僕も彼女のような場所にいる可能性は十分にある、
 と思うようになりました。

 おそらく、それは日本という国で生きている以上は逃れられないものなんだと納得している自分もいました。
 ただ、それは僕自身の納得であり、「かなわない」の本質からは少々ずれてしまうことを理解しています。

 その為、今回は少々別のアングルから「かなわない」について書いてみたいと思います。

 文芸誌のすばるで以前、金原ひとみと植本一子の対談が載っていました。少々引用させてください。

金原 植本さんは本当のことしか書けないって言っていましたけど、もちろん、本当のことを書いていても、書いた端から物語になっていき、自分の中でも物語として認識していく、みたいなところもあるじゃないかな。
 そういうことに対する葛藤ってなかったですか。

 金原ひとみの問いに対し、植本一子の答えは以下のようなものでした。

植本 露悪的って言われがちなんですよね。
 でも、そういうふうにしか書けないから、書き方については、葛藤はないかも。
 起きたことや感じたことを、そのまま書かないことのほうが、気持ち悪いから。

 植本一子の答えの後に金原ひとみは
その迷いのなさが表に出ているのが、ものすごく力強いし、衝撃的なんですよね
(植本さんの文章の)その「まんま感」に鳥肌が立ちます
 と言います。

 僕は金原ひとみに全力で同意します。
 植本一子の文章に僕は衝撃を受け、鳥肌が立ちました。

 冒頭で引用しました三浦哲郎は私小説である「忍ぶ川」で芥川賞を受賞し、それからも私小説を書き続けた方でした。
 三浦哲郎が亡くなった時、「最後の私小説作家」と見出しをつけられていたのを見かけたこともあります。

 私小説は金原ひとみの言う「本当のことを書いていても、書いた端から物語になっていき、自分の中でも物語として認識していく」ことで書かれる部分があります。

 つまり、三浦哲郎の私小説を読む時、彼が体験したことを物語というフィルターを通して読んでいる形になります。
 三浦哲郎はその物語というフィルターを作るのが非常に上手い作家でした。
 ある種、彼の文学性はそのフィルターの使い方の自覚によって、徐々に深まっていった印象もあります。

 物語というフィルターは私小説には必ず必要なものですが、植本一子の「かなわない」はエッセイです。
 エッセイであっても物語というフィルターは挟まるはずなのに、植本一子の文章にはそれがまったくない。
 その部分に僕は衝撃を受けました。

 今、僕が書いているのも名目上はエッセイです。
 しかし、植本一子の文章と比べると、あまりにも曖昧で自分で設定したフィルターや物語を挟み込んでいます。

 それが必ずしも悪いと思った訳ではありませんが、植本一子のような文章に憧れを抱いたのも確かです。
 植本一子の「かなわない」の背表紙の帯には以下のような文字が並んでいます。

 愛はこういうことだよ

 僕がどれだけ言葉を重ねても、おそらく「」というものを示す文章は書けません。
 それが少し悔しい。

 愛でなくても良いけれど、今よりも確かなことを書きたい。
かなわない」を読みながら、そのように僕は感じました。
 まだ全てを読んでいる訳ではないので、続きを大事に読み自分に書ける確かなものを探っていきたいと思っています。

 ちなみに「かなわない」にはフリーペーパーが挟まっており、そこで「植本一子が選ぶ22冊!」という本の紹介がありました。
 その中に岸政彦の本が二冊選ばれていました。

 植本一子が岸政彦を好きって言うのは、すごく分かる。
 と思いつつ、『断片的なものの社会学』のコメントで笑ってしまったので最後に紹介させてください。

 去年読んだ本の中で一番衝撃のあった本。
 かなわないをまとめる前に読んだので、「かなわない」のあとがきを書くにあたってかなり影響を受けました。
 今後文章を書く上で、大事に読み返すであろう一冊。
 facebookで覗く、岸政彦先生の「奥さんラブ」加減が凄まじく、天然記念物を見るような目になってしまう。

 良いじゃん、「奥さんラブ」加減が凄まじくたって!


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