【小説】西日の中でワルツを踊れ23 そうして『川田元幸』くんは今、ここにいる。
事態を正確に理解したのは、藤田京子の部屋を去って数日が経過した頃だった。職場に一人の男が現れた。
片岡潤之助、彼はそう名乗った。
僕はその名前に聞き覚えがあった。
「川田元幸のお父さんですか?」
確か川田くんが飲み会の席で父親の愚痴をした時の名前が、それだった。
当の片岡潤之助は実に不快そうな表情を浮かべていた。
「血の繋がりで言えば川田元幸は息子になるが、今日はあんな奴の為に来た訳じゃないんだよ」
「では、なんの為に?」
その前に、と片岡潤之助は言った。「西野ナツキくん。死者と会ったり話をしたりできるって、言われたら信じる?」
「信じません」
即答だった。
「だろーな。まぁ良いか。藤田京子の件だ」
不思議なことに、そうだろうと僕は分かっていた。
だから、自然と頷くことがきでた。
「はい」
「お前が殺したんだな?」
「おそらく」
「つーと?」
「記憶が曖昧で……」
「だから、警察に言わないのか?」
僕は黙った。
片岡潤之助が彼女の名前を出した瞬間に、僕はどこかでホッとしていた。
自分の中での納得と向き合うことなく、殺人犯という結果を与えられる。
刑務所に入れば、少なくとも彼女を殺めてしまったことを周囲に黙っている苦しみからは解放される。
しかし、片岡潤之助は僕を楽にはしてくれなかった。
「警察に名乗りでるのは、本人の自由だ。好きにすればいい」
「では、何の為に、ここに来たんですか?」
「俺は俺が抱いた女を殺した男の顔を見に来ただけだ。お前が警察に捕まろうと、どうなろうと興味はねぇよ」
「どうして?」
その問いは何の意味が含まれているのか、僕自身にも分からなかった。
片岡潤之助は煙草を咥え、何でもないことのように言った。
「お前を殺したからと言って藤田京子が戻ってくる訳じゃないからな。ただ、俺はお前に地獄を見せる」
「地獄?」
咥えた煙草にライターで火を点けた後、片岡潤之助は僕を見くだすような笑みを浮かべた。
「俺が抱いた女を殺したんだから、当然だろ?」
よく分からない理屈だと思った。
片岡潤之助自身、僕に分かるように話すつもりはないようだった。
「さて、じゃあ、まぁその時まで精々苦しみ続けるんだな」
言って潤之助が腰を上げた。
「あの」と僕は咄嗟に、彼を引きとめた。
潤之助は煙草を吸いつつ、僕に視線を向けた。
「貴方が藤田京子の想い人だったんですか?」
煙を勢いよく吐き出してから
「好き勝手、俺を追い回して、うんざりするくらい面倒な女だったよ」
と言った。
片岡潤之助が去った後、藤田京子の部屋から持ち出した煙草に視線を落とした。彼が吸っている煙草と同じ銘柄だった。
なるほど、ストーカーは藤田京子だった訳だ。
煙草を一本取り出し、ライターで火を点けた。
初めての煙草はただ息苦しいだけだった。
藤田京子の望む西野ナツキにならなくて良い日々は、やりたいことに満ち溢れていた。
僕は仕事をする度に浮かぶアイディアを形にして、リフォームに取り入れていった。
いつ藤田京子の殺人によって逮捕されるか、そういう気持ちが僕をより仕事へのめり込ませていった。
田宮由紀夫が僕の前に現れたのは片岡潤之助と話をして二ヶ月ほどが経った頃だった。田宮組の一人息子、田宮由紀夫。
彼の話の内容は、ひどく単純だった。
殺人の事実をばらされたくなかったら金を払え、と。どうやらやくざの方には僕の殺人の事実が露見してしまったようだった。
それを知らせたのは片岡潤之助なのかも知れない。
何にしても何故、警察に通報しないのか分からないが、僕は彼らの揺すりに抵抗しなかった。
僕はただ藤田京子に支配されない状態で仕事がしたいだけだった。
問題があるとすれば、田宮由紀夫が迂闊な人間だったこと。
僕をゆする際、彼はあまりに派手に動きすぎていて、それに気付く人物がいた。
川田元幸くんだ。
彼は僕の力になろうとしてくれた。それは僕にとって迷惑でしかなかった。
事実として僕は人を殺していたのだから。
しかし、そんな僕の態度を川田くんは被害者のそれとして受け入れ、田宮由紀夫をどうにかしようと動きはじめた。
その為に会社を辞め、髪を染めて田宮由紀夫のグループに入った。
田宮くんはあの性格だ。
川田くんが僕の揺すりのネタを知るのは簡単だっただろう。
嘘偽りのない真実を知れば、川田くんは僕に幻滅し田宮由紀夫のグループに属するなんて、馬鹿げたことをやめると思っていた。
けれど、僕の予想はあっさりと裏切られてしまった。川田くんは田宮由紀夫と距離を取るどころか、更に深く潜り込み、僕の殺人の情報を持った人間を特定するまでに至った。
ヤガ・チャン。
それが僕の殺人の事実を突き止めた人間だった。
僕も一度だけ会ったけれど、常に白衣を着た胡散臭い男だった。彼は田宮組の相談役で、シャイニー組という大陸の組に属していた。
相談役にして、他の組の人間。
田宮由紀夫と仲良くしているだけの川田くんでは、おおよそ接触することのできない人間が、僕の情報を持っている。
そう理解した川田くんはトラブルを待った。
相談役の人間がわざわざ出向かなければならないトラブル。
それが田宮由紀夫と川島疾風の接触事故だった。チャンが現場に出向いたのは田宮の父親が朝から酒を飲んでいた為の代わりだった。
言ってしまえば単なる偶然だったが、川田くんからすれば大きなチャンスだった。
何故なら、田宮由紀夫と川島疾風の事故はチャンに一任された、と知ったから。
川田くんの思惑は一つだった。
事故を事件にし、事を大きくすること。
ヤガ・チャンがわざわざ出向き、骨を折って、事件を鎮静化させなければならない事件にする。
その為に、わざわざ中谷優子という人間を探し出し、職場の前で見張って彼女の帰宅を狙って拉致。性的な暴行を加えた後に、カメラに収めて、川島疾風に送り付けようとした。
目に余る行動だった。
川田くんは、僕の為という免罪符を楯に、暴走しているようにしか見えなかった。
そこで連絡を取ったのが片岡潤之助だった。どういう形であれ、川田元幸は片岡潤之助の息子だ。
何かしら交渉ができるのではないか、と僕は思った。
片岡潤之助は、近い内にやくざ側は西野ナツキが人を殺した情報を警察に差し出すつもりでいる、と言った。
その上での提案は以下のようなことだった。
西野ナツキに憑いた藤田京子の一部を片岡潤之助に渡すこと。
川田元幸を助ける代わり、彼には記憶を失ってもらうこと。
「今回は、俺の息子が混ざっている以上、譲歩する余地をやるよ。西野ナツキ。お前の望みはなんだ?」
僕の望みはただ仕事がしたい。
それだけだった。
その為に僕は僕の半身を、記憶を失った川田元幸に与えることを、一つの望みとした。
その半身とは『名前』であり『携帯電話』だった。
片岡潤之助は僕の望みは承諾した。
そうして川田元幸くん、いや『西野ナツキ』くんは今、ここにいる。
■■■
「ヤガ・チャンはすでに警察へ僕の情報を売った。今日の夜にも僕は警察に捕まるだろう。チャンは僕を利用して、警察の動きを操作するつもりのようだね。聞き齧った話では僕が藤田京子を殺した凶器は湖に捨てた、ということになるんだとか」
皮肉気に手に持ったビール缶をあおってから「まぁ、その湖を捜索させる意図がどこにあるのか、僕には分からないけれどね」と言って、足元のビニール袋から新しい缶ビールを取り出した。
「『ナツキ』くんも、新しいのいるかい?」
ぼくは首を横に振った。頭の中が混乱していてビールなんて、飲める状態じゃなかった。
それでも、口を開かない訳にはいかなかった。
明日には西野ナツキはぼくの前から消えてしまうのだから。
「どうして、西野さんは僕に名前を渡したんですか?」
「深い意味はないよ。名無しくんよりは名前があった方が良いだろ?」
言って、西野ナツキは弱い笑みを浮かべた。「いや、それは建前だね。ただ僕は僕のことを君に聞いてほしかったんだ。でも、人が人を殺す、そんな話、誰も聞きたくないだろ?」
僕は何も言えなかった。
「だから、賭けたんだ。『西野ナツキ』と名乗る川田元幸がここに来たら、全部話そうって。迷惑だろうし、僕の自己満足でしかないけど。君には知っていてほしかった」
「ぼくに背負えと?」
西野ナツキが缶ビールをあおる。
「僕なんかと関わったんだ。諦めてもらうしかないよ」
しかし、それこそが川田元幸が求めていたものなのだ。
西野ナツキの誠実な話。彼が抱えた現実の一部を背負う事実。
問題はぼくが川田元幸ではなく、また西野ナツキでもないことだった。ぼくは何も答えられない。
ただ、問うことしかできない。
「西野ナツキさん。ぼくが記憶を失っていない川田元幸の状態だったとしても、話をしてくれましたか?」
「話さなかっただろうね」
予想通りの答えに、ぼくはため息を漏らすように頷いた。
つまり、西野ナツキは現在のぼくでは背負えきれないと理解した上で、今の話をしたのだ。
「悪人」
小さな声でぼくが言うと、西野ナツキがどこか楽しげに笑った。
「君もね」
更に、ぼくが口を開こうとした時、体育館の扉が開く音がした。
つづく
サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。