ここは味気ないほど辛い現実だけれど、楽園を垣間見ることはできる。三浦しをん『墨のゆらめき』について。
友達の誕生日会を我々がよく行く居酒屋でおこなうことになった。
約束の時間は21時だったけれど、僕の仕事はそれよりも前に終わっていて、ほかに寄る場所もなかったこともあり、20時には居酒屋についてしまった。
カウンターだけの小さなお店だから、人でいっぱいだったら近くの居酒屋で時間をつぶそうと決めていた。
昼はカレー屋をやっている、そのお店はとても人気で、理由は店主の人柄もあるだろうけれど、毎日ちがう料理がメニュー表にあって、そのどれもが美味しいことが一番の要因だと僕は思っている。
さいわい席は残っていて、半分ほど埋まっている程度だった。
「あ、」
と僕を見て、僕の名前を一人の女性が呼んだ。
このお店の常連の一人だった。
「お久しぶりです! 師匠」と僕は言った。
僕はこの女性の方と初めて隣同士で座った時、店主の方が「この子、めっちゃ本読む子なんだよ」と僕のことを紹介してくれた。
店主の方は僕と、もう十年ほどの付き合いになる。
僕が小説を学ぶ専門学校に通っていて小説家志望であること、本をよく読んでいることを知っていた。
その女性の方は「何を読んでいるの?」と尋ねてくれて、僕はそのとき読んでいた凪良ゆう「美しい彼」の話をした。
まったくの偶然だけれど、その方も「美しい彼」が好きで、というかBL全般の作品が好きだと話してくれて、僕はおすすめを聞いた。
それから、その女性のことを僕は「BLの師匠」と呼んでいる。
師匠は「久しぶりだね」と柔らかく笑ってくれて、その横に座っている女性の方も「あ、お久しぶり!」と声をかけてくれた。
名前までは覚えていないけれど、何度か話したことのある女性だった。
どうやら、このお店で知り合った女性陣で集まって、女子会をする日だったらしい。
そのあと、もう一人がきて(こちらは一度も話したことがないけど、顔は知っている人だった)、三人がガールズトークに花を咲かせていた。
僕は僕で誕生日の友人もきて、男三人でわいわいと酒を飲んだり、おいしい料理を食べた。
ときおり、聞こえてくるガールズトークは縦横無尽でありつつ、師匠がいることもあって、基本的にはBL的な内容が多いようだった。個人的に、その話にはぜひ参加したかったが、せっかくの女性たちだけの場に僕が水を差すのは無粋かと思って遠慮した。
席の並びとしては、僕の隣に最後に来た女性の方(一度も話したことないけど、顔は知っている)が座っていた。
目があって少し会話を交わすと「実はわたし、BLよりも百合派なんです」と言われて、がぜん興味がわいた。
と言っても僕は百合にほとんど触れたことがなかった。
それを知ると、「なんでですか! 美しいじゃないですか、百合!」と女性の方が熱弁をはじめた。
僕の中で、この方は「百合姉さん」となった。
さて、ここから三浦しをんについて書いていきたい。
三浦しをんと言えば、百合ではなく、BLで彼女の言葉を借りれば「創作物のなかの仲のいい男性同士」が好きなのだとのこと。
三浦しをんがBLを熱心に読んでらっしゃる方なのだと、僕が認識したのはヤマシタトモコの漫画のあとがきで登場して、それがBL漫画だったので、そうなのかと思ったのを覚えている。
僕は二十代半ばまで、BL的な作品をどう読めばいいのか分からずにいた。ヤマシタトモコの漫画は好きだったけれど、彼女が書くBL作品は読んでもどう面白がればよいのか分からなかった。
その面白さが分かるような気がしたのは、映画『窮鼠はチーズの夢を見る』を見て、原作の漫画を読んだときだった。
これは個人的な信仰の話なのだというのが最初の感想だった。
信仰とは「神・仏など、ある神聖なものを(またはあるものを絶対視して)信じたっとぶこと」だ。
得てして、神様に接するように恋愛をする人はうまくいかない。けれど、この信仰心を持った人間が報われる話がBLなのだとすれば、これは非常に面白い。
三浦しをんが「創作物のなかの」というように、BLはファンタジーであり、フィクションであることが大前提の創作物なのだろう。
現実で、他人を神様みたいに「信じたっとぶ」ったうえで、恋愛関係となり維持することは、ほとんど不可能というほかない。
この不可能をあえて成立させたように描かれているのだから、BLにハマる人が多いのは大いに納得するほかない。
現実はしばしば味気ないほど辛い。
だからこそ、フィクションの中でくらい楽しい気持ちでいたい。その気持ちが僕には痛いほどわかる。
三浦しをんの話を書いていきたいと言いながら、BLの話になってしまった。けれど、三浦しをんの話を書く上で、BLは外せない要素の一つのように思う。
さきにも書いたようにBLは現実ではあり得ないことが書かれているから面白い。
ただ、三浦しをんは自身の作品をBLだとは表現していない。それこそ、あくまで「創作物のなかの仲のいい男性同士」の範疇にとどまりながらファンタジーではなく、ここは味気ないほど辛い現実なのだ、という地平から物語は始まっている。
今回、僕が触れたい作品『墨のゆらめき』も、そんな現実から始まっている。
また、『墨のゆらめき』はAmazon オーディブル書き下ろし小説であり、朗読されることが前提で書かれていて、読み味は非常にやさしい。
内容も難解ではなく、すっきり読むことができる。
当然、中心には男性二人がいて、彼らが出会い親睦を深め、転がりこむ問題を解決したりもする。
同時に、あくまで今作をBL的な想像力の中で測るとすれば、かすかな信仰心みたいなものを見つけることができる。
しかし、この信仰心は一人の男性に向けられたもの、というわけではなく、あくまで彼が持つさまざまな筆跡を自在に書きこなせる書道の能力に向けられている。
あえて、普通のBL作品と三浦しをん作品群の二つの違いを探すなら、この信仰心が向けられるものが、人間そのものなのがBLであり、人間が持つ能力だったりするのが三浦しをん作品だということが可能なように思える。
と言っても、僕は三浦しをんの熱心な読者というわけではなく、今回たまたま手に取った作品が『墨のゆらめき』で、せっかくなので感想めいたものを残しておこうと思い今回の記事を書かせていただきました。
今後、時間をとって改めて三浦しをん作品と向き合いたいとは思いますので、その時にまったく違った意見となれば、それもまたここで書いていければと思っています。