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日記 2021年3月 「吐き出せばいいよ 取り乱せばいいよ」そうやって生きて行こうよ。

 3月某日

 激しい物音で目が覚めた。
 何かがぶつかったような、壊されたような音。
 背筋が凍るような危険な音のような気がした。

 耳を澄ましつつ、スマホを開いて、すぐさまスクショを撮った。
 時間は2時6分。
 部屋を出て玄関に鍵がかかっているか確認する。

 ここで誰かが悲鳴を上げたり、言い合いをしているようだったら、すぐさま警察に連絡するつもりだった。けれど、人の動く気配や音はあるものの、あの激しい物音はもうしなかった。
 
 そのまま、また眠りに落ちた。
 朝、準備をして部屋を出た。なんとなく周囲を観察する。
 答えはすぐ見つかった。

 下の駐車場の黒い車の表面が凹んで、白くて太い傷が横に四つあった。そして、運転席側のミラーが折れていた。
 何があったのかは想像する他ないが、昨夜の音の原因はこれだろうと結論付ける。

 住民の間のトラブルか、同居している家族ないし、カップルのトラブル……。何にしても、気持ちの良いものではない。
 一応、周囲に車以外に違和感がないことだけは確認して、仕事へ向かった。

 仕事から帰ってきても車は、同じ場所にあって、凹みも傷もミラーも朝と同じ状態だった。

 3月某日

 大山顕の「新写真論: スマホと顔」を読んでいる流れで、YouTubeで見れる【大山顕の「都市を現像する」第000回「ままならなさへのまなざし」】を視聴した。

 興味深い話が多くて、非常に勉強になった。
 その中で写真は撮った人をまったく表さない、というのがあった。
 写真=何かを表す作品ではない。
 写真はただ撮れてしまうコンテンツで、そこに美点があるのだ、という内容だった。

 大山顕のワークショップでは「好きでもないモノをしつこく撮り続ける」というのがあって、それによって新たな気づき、視点を獲得して行くのだ、という話があって、本当に面白かった。
 確かにワークショップに参加して、好きなものを撮って良いよ、と言われても、新しい発見はない。何故なら、その好きなものに対する答えや固定概念を僕は持ってしまっているから。

 だから、外で見かける蛇口だったり、段差解消スロープだったりといった興味のないものを撮ることで、普段見逃していた新しいものに出会える。
 と、僕は勝手にまとめてしまったけれど、大山顕のそういう話には素直に感心してしまった。僕が見ているものは、僕が見たいと思っているもので、興味がないもの、まったくヘンテコでないものに対しては注目せず日々を過ごしている。

 当たり前と言えば当たり前なんだけれど、写真家はそういった普段見逃していたものに気づかせる目を与えることも一つの仕事だと、大山顕は言っていた(ちょっとうろ覚え)。
 なるほどなぁ。

 同時に、ふと思ったのは僕の母はマンホールを撮るのが好きで、わざわざ遠出してまで、マンホール巡りをしている。
 その話を聞いてから、僕はいつもの道を歩いていても、気づけばマンホールを観察している。
 僕は母がマンホールを巡っていると知ってから、街を歩く時の視点が一つ増えたような気がしている。そうやって、視点を増やしていくことで、ただの景色に見えていた街がまったく別の光景として浮かび上がってくるのだとしたら、そんな楽しいことはない。

 3月某日

 毎月、普段手に取らないウィスキーの銘柄を買う、と言うのを先月からやっている。今回はジャックダニエル。

 昔、ジャックダニエルが好きな友人がいて、彼いわく死ぬ前に飲みたい酒はジャックダニエルとのことだった。
 そんな彼の勧めで何度か飲んだ記憶があるけれど、僕は特別好んで飲んでこなかった。
 今回、買ってみて決して嫌いではないけれど、リピートするほど好きな訳でもなかった。

 そんな中で、もう何年も放置されていた学生時代のグループLINEに写真の送信があった。送ったのは、倉木さとしだった。
 二階の窓から猫がこちらを覗いている写真で、これから猫写真大喜利でも始まるのかな? と思って、近所の猫の写真を撮った。

 数時間後に、ある友人が「このLINEめちゃくちゃ懐かしい!」と言い、倉木さんが「間違えて写真を添付しちゃった」と言っていました。
 僕は大喜利が始まると思ってましたと、バカ正直にメッセージして、近所の猫の写真を添付した。
 すると、猫の写真大喜利が始まり、死ぬ前にジャックダニエルを飲みたいと言っていた友人からの反応もあった。

 生きてたんだなぁ。
 七年くらい会っていないし、おそらく今後会うこともないんだろうけれど、懐かしい気持ちになった。

 3月某日

 土曜日の午前中は普段できないことをする時間と決めている。
 先週に引き続き、コンタクトレンズを作りにいった。前回は自分で入れられずに、コンタクトレンズを売ってもらえなかった。

 今回は何度かのチャレンジでコンタクトレンズを入れることができた。それっぽい動きをしていたら、勝手に入ったという感じで、入れた瞬間はどうしてコンタクトレンズを入れられたのか、分からなかった。

 とりあえず、コンタクトレンズを買い、近くの百均で卓上の鏡も買った。まるで、化粧でも始めるみたいだ、と思う。
 後日、その話を職場の方に言ったところ、「最近は男性でも化粧する人増えているし、したら良いじゃないですか」と言われる。

 正直、抵抗感がまったくない訳じゃないけど、男性とはこうあるべき、みたいなものに嵌め込まれているような感覚もあるので、一度は挑戦したいと思う。

 部屋に帰っても昼過ぎだったので、シャワーを浴びて、少しエッセイを書く。まったく内容がまとまらない。
 夜に人とご飯に行く予定だったので、少し早めに出て本屋へ行こうと思う。
 その行きしなに黒い煙が遠くで見えた。

 写真家の大山顕の動画を見た後だったのもあって、普段見逃す光景がそこにある気がして、黒い煙まで歩いてみた。
 ダンボール工場からの火災で、近くの河川敷には野次馬が集まっていた。
 スマホで写真を撮って、何人かの友人に写真を送った。

 それから本屋で、さやわかの「世界を物語として生きるために」と宇野維正、田中宗一郎の「2010s」を買う。
 友人とご飯に行って、その後少し路上で缶チューハイを飲んで喋った結果、終電に乗り遅れる。
 ちょっと楽しい時間過ぎて、終電を忘れていた。

 タクシーで帰るのも考えるが、良いかと思って、徒歩で帰宅することにする。グーグルマップ的に徒歩だと三時間ちょっとかかるとあったので、疲れたらネカフェで休もうと思う。

 酔ったら、とりあえず電話する相手がいて、彼に電話するとすぐに出て、しばらく喋る。
 彼と知り合ったのは十八歳の頃で、もう十二年くらいの付き合いになる訳だけれど、その間、彼は一度も定職についていない。
 実家住まいで、兄貴が遊びに誘ってくれて、それなりに楽しい日々を過ごしていた。

「こっちの近況で言うと、兄貴が結婚するんだよ」
「へぇ」
「だから、俺も仕事しきゃなと思ってさ」

 あぁ、そう!
 何を言っても働こうとしなかった君のきっかけはそこにあったのか! 

「いいじゃん、いいじゃん! 働こう、働こう!」
「いやぁ、でもさ」
 というような話をする夜の道は、中々に楽しかった。
 部屋に帰った時には満身創痍もいいところで、死ぬように寝たけれど。

 3月某日

 最近、気づいたこと。
 ほぼ徹夜で歩き通してから眠り、起きた後に食べるジャムパン(オーブンで表面を少し焼いたもの)は人生が変わるくらい美味しい。

 最近、気づいたこと。
 コンタクトレンズをつけると世界が変わるよ、とよく言われていたけれど、そんなことはなかった。ただ、鏡で僕を見ると、コイツ誰? とはよくなる。
 裸眼で鏡の前に立っても、鮮明に自分の顔が見える訳ではなかったので、今少し新鮮な気持ちになっている。せっかくなので、金髪にでもしようかな、と考え中。

 最近、気づいたこと。
 プレイリストをランダムに聞いていたら、King Gnuの「The hole」が流れてきて、歌詞が自然と身体に染み込んでいくのが分かった。

  最近、気づいたこと。
 ウィキペディアの執筆の基準って「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」らしい。
 知らなかった。
 つまり、『信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけ』をウィキペディアは提供している、とのこと。なんとなく「真実」を伝えています、と言われるより、信頼できるスタンスに思える。

 最近、気づいたこと。
 集英社オレンジ文庫って、どんな作品があるんだろ? と調べてみたところ、新刊紹介にあった一原みう「祭りの夜空にテンバリ上げて」という作品が気になった。
 あらすじは以下の内容。

 新型コロナウイルス感染症が猛威を振るう中、失業中の渚の下に父の訃報と借金の督促が届いた。返済を待ってもらう条件は、父の稼業を継ぎ一月で百万円作ること。だが父の稼業はテキヤ。渚の人生をめちゃくちゃにしたたこ焼き屋で……。相続拒否すれば父の弟子が借金をかぶることに。お祭りもイベントも軒並み中止の状況で、渚はやむなくテキヤになる決意をするが!?

 あ、もうコロナウィルスによる物語の展開ってやって良いんですね! 純文学界隈では、まだエッセイばかりで作品では見かけていなかった。この手の世間の流れを掴んで、取り入れるのはエンタメの方が早いんだなぁ。

 3月某日

 講談社タイガの新刊ってどんなの出てるのかな? と調べると、「非日常の謎」というアンソロジーが気になった。
 あらすじは以下の内容。

 今、新型コロナウィルスにより「日常」が脅かされています。 ですが、そんな非日常の中でも、大切な日常は続いていきます。 いえ、日常を守り続けていくことこそが、私たちの戦いでしょう。
 そこで「日常の謎」ではなく、日々の生活の狭間、刹那の非日 常で生まれる謎をテーマにアンソロジーを編むことにしました。 物語が、この「非日常」を乗り越える力となることを信じて――。

 収録作家は芦沢 央、阿津川辰海、木元哉多、城平 京、辻堂ゆめ、凪良ゆう。
 コロナウィルスに関する関わり方で、こういうのもあるんだと思う。
 ちなみに、凪良ゆうのエッセイを最近読んで面白かったので、こちらも。

 凪良ゆうと言えば、「流浪の月」で本屋大賞を受賞して話題になっていた。けれど、コロナの関係で授賞式などは行なわれなかった。
 エッセイは、

 本当だったら今ごろ、あたしは書店大賞の授賞式に出席して、今年の大賞受賞作家として一世一代の晴れ舞台に立っていたはずだ。それが自宅で冷戦中の旦那と並んで、ぼうっとテレビを見ている。画面にはでかでかと緊急事態宣言とテロップが出ている。

 という内容で、人生の上手くいかなさ、みたいなものが描かれていた。


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