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日記 2021年6月 「ある小さな夜の曲」を聴く憂鬱な夜。

 6月某日

 ハイキュー!!の最終巻を読んだ。
 随分、前に発売されていたのは知っていたのだけれど、読んだら終わっちゃうという気持ちから、先延ばしにしていた。
 買ったのは京都で、大阪へ帰る電車の中で読んだ。
 隣にサラリーマン風の男性がいたが、気づいたら少し泣いていた。

 個人的にハイキュー!!の魅力は、ちゃんとした挫折が描かれていることで、その挫折によって今がある点だった。
 とくに烏野高校排球部一年生の日向翔陽影山飛雄月島蛍山口忠は挫折からの活躍までの流れが丁寧に描かれていて、この四人をメインにした話は朝まで出来る。

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 ハイキュー!!を最後まで読むと、日向と影山の話だったなぁという印象を持つけれど、最終話の扉絵が烏野と音駒の試合だった。
 全体通して一番印象に残っているのは烏野と音駒の「もう一回がない試合」だった。あの試合を読んでいて、何度息が止まったことか。

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 うん、ハイキュー!!って読んでいて息が止まるような漫画だった。あと、何度涙腺が崩壊したことか。
 41巻は今読んで泣く。

 という感じで、ハイキュー!!に関する熱が再熱したので、いろいろ調べてみると「連載完結記念 ハイキュー!!展」なる原画展があると知る。しかも、大阪で2021年9月8日から9月27日まで開催される、とのこと。
 これは行くしかないヤツなのでは、と悩み中。

 6月某日

誘拐された部屋からの脱出」という脱出ゲームに参加した。

 脱出ゲームに参加するのは初めてで、他がどうかは分からないが、「誘拐された部屋からの脱出」は実際に手錠をされて、目隠しの状態で部屋に案内され、足枷をつけられた状態で始まる。

 参加人数は6人で誘拐してきた犯人と交渉したり、情報を引き出したりしつつ、部屋の中にある暗号を解いて足枷や手錠を解除して行く。
 ここで感心したのは、犯人役の方の演技が上手く、常に一定の緊張感があることだった。

 リアル脱出ゲームに求められるのは、ゲームマスターの演技力だったとは……。
 
 ちなみに、脱出は最後の一歩でならずだった。あと、一分あれば、脱出できた(多分、みんな言っている)。

 6月某日

 辻田真佐憲の新刊「超空気支配社会」のあらすじに「自由気ままににものを書いて発言する時代は終わったのか?」とあった。
 終わったんだと思う。

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 カクヨムで書いてきた郷倉四季という名義で僕は「自由気ままににものを書いて」きたと思う。
 色々考えて、郷倉四季と名乗るをやめたいと考えるようになった。
 そんな時に、ビリー・アイリッシュが謝罪したという記事を読んだ。

 内容としては、タイラー・ザ・クリエイターの「Fish」という曲を聴きながら、13歳か14歳のビリーがアジア人をからかうような言葉を口にしている動画が流出した。それに対してビリーが謝罪した、というもの。
 謝罪はインスタグラムのストーリーを通しておこなわれた。

 当時、私はそれがアジア人コミュニティの人々に対する蔑称とは知らなかった。愕然として恥ずかしいし、その言葉を発した自分に吐き気がする。あの言葉を聞いたのはこの曲が初めてだった。家族の中で誰も使っている人がいなくて、知らなかったから。でも当時の私の無知さや年齢は、人を傷つけてしまった事実の言い訳にならない」

 僕が今後、ビリー・アイリッシュのような影響力を持つことは絶対にない。
 ただ、この先、音楽や小説といった表現をしていく、ということは10代前半に発した言葉でも謝罪する必要がある時代で、それこそ「無知さや年齢は、人を傷つけてしまった事実の言い訳にならない」。

 だから、郷倉四季という名前を名乗らない、と決めた訳ではないけれど、そういう認識が頭の片隅にはあった。
 僕は人を傷つける表現には慎重でありたいと思う。

 そうする為には、全部自分の責任だと言えないといけないが、郷倉四季というアカウントは倉木さとしとの共同で回っている部分があった。
 共同の部分については僕自身が面白いと思って倉木さんに提案したものではあったのだけれど、こういう形での幕下ろしとなってしまったことは本当に申し訳ない。

 6月某日

 郷倉四季という名前は倉木さとしが作った岩田屋町という町を舞台にした作品を作る為に名乗っていたところがあった。
 けれど、郷倉四季と名乗らないのなら、もうまったく更地で物語を組み立てられるのか、と思った。

 正直、僕はそれほど岩田屋町をメインに小説や物語について考えてきていたつもりはなかったけれど、更地だと実感すると、頭の動きが普段と違って感じられた。
 僕は自分で思っていた以上に岩田屋町という架空の町について考えていたんだと気づく。

 しばらく、更地の土地に何が芽生えるのか観察しようと決めて、6月は作品を色々見る期間にすると決めた。

 6月某日

 MIU404を見る。

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 綾野剛星野源がダブル主演の刑事ドラマ。
 2018年のドラマ「アンナチュラル」の主要スタッフが再結集して作られた。「アンナチュラル」の主題歌は米津玄師の「Lemon」で、物語を際立たせる見事な音と歌詞に、ドラマの終盤は毎話、鳥肌ものだった。

 今回のMIU404の主題歌も米津玄師で、星野源のラジオなんかも聞いているので、MIU404の裏話は幾つか知っていた。
 その中でとくに好きだったのは、綾野剛は伊吹藍を演じる上で、大量の少年漫画を読んで挑んだ、というもの。

 伊吹藍は周囲の人間に評判を聞いて回ると、誰も良いとも悪いとも言わない。ただ、強いて言うなら「足が速い」とだけ言われるようなキャラクターだった。

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 言ってしまえば、真っ直ぐすぎる性格の上に直感で動く為、誰も伊吹藍を理解できないし、制御もできない。
 そんな伊吹藍と組む、星野源が演じる志摩一未は自分も含めて誰も信用していないため、マニュアルやルールの上で物事を判断していく。

 志摩の伊吹に対する関わり方が絶妙で、互いに影響し合いつつ、物語が進行して行くのが気持ちいい。

 全話見た後に、仕事の行き帰りや休憩中に一話から見直していて、今三話が終わった。
 最近、倍速で映画やドラマを見るのが話題になっているので、僕は逆に同じ作品を何度も見るようにしようと思っている。

 6月某日

 アイネクライネナハトムジークを見る。
 原作は伊坂幸太郎の連作短編小説で、タイトルはオーストリアの音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの同名楽曲から採られていて、「アイネ(ある)クライネ(小さな)ナハト(夜の)ムジーク(曲)」という意味がある、とのこと。

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 主演は三浦春馬と多部未華子で、2010年の映画「君に届け」でも二人は主演として、恋仲の関係を演じており、その9年後の「アイネクライネナハトムジーク」では結婚を考える年齢に成長した二人が恋人関係として描かれる。
 ちなみに監督は今泉力哉で「愛がなんだ」や「あの頃。」などを撮っており、ツイッターでちょっと炎上しつつ、率直に作品に向き合っている印象がある。

 個人的に伊坂幸太郎の連作短編が原作である時点で、あらゆる人物が入り乱れる映画になるんだろうな、と思っていると、実際その通りの内容だった。
 そして、その全てに通じるキーワードが「ある小さな夜の曲」だった。

 伊坂幸太郎は恋愛小説を肉料理に例えていて、みんな肉料理は好きだから、と敬遠していた印象があったが、シンガーソングライターの斉藤和義からのオファーを受けて短編小説が書かれた経緯もあって、ラブソング的な内容になっていた。

 映画を最後まで見ると、一枚の良質なアルバム曲を味わったような気持ちにもなれる。
 映像としては、今泉力哉のダメ男を描く時の絶妙な力加減は本当に拍手ものだった。
 三浦春馬の演技力もあるんだろうけれど、彼のプロポーズシーンは見ている側が、え? 今言うの? 絶対無理だよ?感は凄まじいものがあったし、その後の言い訳を並べ立てちゃう情けさも、それを一刀両断しちゃう多部未華子も最高という言葉以外なかった。

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 あと、細かな伏線を綺麗に終盤で回収していく手腕は、さすが伊坂幸太郎だった。

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 ※こういう時系列を戻しちゃったりするの伊坂幸太郎っぽい。

 7月某日

 6月の日記が終わらない。
 夏休みの最終日に絵日記のページがあと、十ページ以上残っている、みたいな気持ちだった。
 正直、6月は色々ありすぎた。祝日もないのに、土日に予定を入れまくった上に、あれこれと悩んで三日が経過とかざらにあった。
 しかも、その悩みは日記に書いて面白いものでもなくて、僕以外の人間からすればどうでも良いことだった。

 昨日あまりにも辛過ぎて、開運の神社にお参りしてきた。
 まさかの神頼み。

 週一でエッセイを書いている時期じゃなくて本当に良かった。

 この後の日記では、理容師の友人と宅のみした話、舞台の夜は短し歩けよ乙女を見た話、映画の初恋を見た話、家族でオンライン飲み会をした話、映画のラストレターを見た話、アニメのオッドタクシーを見た話、をする予定。
 分割で、また6月の日記として公開したい。

 にしても、多い!
 郷倉四季を名乗らないって決めてから、やたら映画とかアニメとか本を読んでいる。現実逃避も混ざっているのだろう。

 あと、7月からテレワークが始まるとかで、その準備として部屋の模様替えをした。今日したので、それは日記的には7月かな?

 7月には生活もその他諸々も立て直していきたい。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。