【掌編】私はお姫様で、君は『王子様』じゃなくて用心棒。

　俺、秋穂とは付き合わないよ。
　行人が先輩と話をしているのが聞こえた。行人は私の幼馴染で、何も言わなくても一緒に居てくれる人だった。

「じゃあ、オレが西野と付き合っても良いのか？」
　先輩が言った。
　文化祭実行委員で一緒になった先輩で、人当りがよく私が困っていたら真っ先に声をかけてくれる。悪い人じゃない。けれど、良い人だとも思わない。そういう人。

「先輩と秋穂が付き合うのなら、それは二人の問題であって、僕が口を挟めることじゃありませんよ」

　行人がもっともらしいことを言う。
　正しいけれど、正しいだけの言葉。
　彼の最もらしい言葉が私は嫌いだった。

「分かった。じゃあ、西野が俺の告白に頷いたら、彼女はオレのものだからな」
「先輩」
　静かに、そして、悲しげに行人が言う。「秋穂はものじゃないんです」

　それはその通りだ。私は行人のものでも、ましてや先輩のものでもない。私は私のものだ。
　けれど、そういう問題じゃない。
　正しいだけの言葉で相手の気持ちを無視する行人はずるい。

　行人は私とどこまで行っても幼馴染でいようとする。
　それも『用心棒としての幼馴染』だと彼は言う。幼少期に交わした未熟な約束。
　私がお姫様で行人が用心棒。彼はそれを貫こうとする。
　例えば、私が手を繋いでとか、キスをしてと言えば行人は応えてくれる。けれど、彼から手を繋いだり、キスをしたりはしない。
　私はそれを知っている。
　悲しい関係。

　だから、なんて言い訳にならないけれど、私は先輩と一緒に映画を見に行くことにした。あくまで文化祭実行委員のメンツを集めての打ち上げ、という名目だった。
　みんなで映画を見て、カフェでお茶してから解散となった。そこで、先輩に「二人きりの時間が欲しい」と言われた。
　私は頷いた。

　帰り道、私と先輩はみんなより一本遅い電車に乗った。車内の人はまばらで、休日の日暮れの電車なんて、そんなものなのかも知れない。
　電車を下りて近くの公園を歩き、先輩が真面目な顔で言った。「オレ、西野のこと好きだ。付き合ってくれないか？」

　頭の中にあったのは私がお姫様で、行人が用心棒という言葉だった。
　どうして、あの時、私たちはお姫様と『王子様』という契約をしなかったのだろうか。
　今となっては、分からない。

　ただ、分かることもある。行人が律儀に用心棒の役割を果そうとする限り、私はお姫様であるということ。
「ねぇ、先輩」
「なに？」
「私のこと好きって言ってくれましたけど、行人のことはどう思ってます？」
「矢山のこと？」

　一瞬、矢山って誰だろう？　となった。
　矢山行人。
　それが私の幼馴染で、用心棒の男の子の名前だった。
「西野が矢山と仲がいいのは知ってるよ。けど、二人ともお互いを思い合うあまり、あるはずの可能性を狭めてしまっている気がする」
　だから、と先輩は続ける。「西野にはもっと広い世界を見て欲しいんだよ」

　広い世界？
　それはどういう世界を言うのだろう。私には分からなかったし、良いものだとも思えなかった。
「先輩。おっしゃる通り、私と行人は互いに相手の可能性を狭めてしまっているのかも知れません。けど、それも含めて私だし、行人なんです」
　もし、その結果、二人で不幸になるのだとしたら、そうなれば良い。私はそれを受け入れる。あるいは、行人が私から離れていくのなら、それでも良い。
　私は『お姫様』という役割を引き受けてしまった。
　お姫様の役割は、人形のように行儀よく待つことだ。
　鳥かごの中の人形で私は良い。少なくとも行人が用心棒で居てくれる間は。

　家に帰ると「部屋に行人くんが来てるよ」と母が言った。部屋に行くと、私の勉強机に座って文庫本を読んでいる行人がいた。
「おかえり。ごめん、おばさんが勝手に上がって良いって言うから、入って待たせてもらってた」
「良いよ、別に。行人に見られて困るものなんて、出しておかないから」
「そっか。それでも、ごめん」
　言って行人は椅子から離れた。私は鞄を置いて、ベッドに腰かけた。

「今日はどうしたの？」
「別に。ただ、文化祭実行委員の打ち上げがあったって訊いたから」
「訊いたから？」
「心配になっただけだよ」
　思わず笑ってしまった。
　ならさ、いっそ私と付き合おうよ。
　そう言ったら彼はどんな顔をするのだろう。困った顔をするのだろう。
　困らせたいなぁ。

　気づけば、行人を手招きしていた。
「なに？」
　近づいてきた行人を座らせて、彼の頬を撫でた。
　行人が私の手に重ねてくれた。大きな手だった。けれど多分、先輩の方が手は大きい。
「行人、ずっと一緒にいてね。ずっと、ずっと」
「うん」
　頷く行人は、いつか私のもとを離れていくのだ。恋人にも、友人にもなれない私たちの関係に気づき、途方に暮れて。ただ、一緒にいることの苦しさに耐えられず、彼は私から逃げ出すのだ。

　もっともらしい、正しいだけの言い訳を並べて。
　それまで私は彼の頬の柔らかさと、少しごわごわした髪の感触を覚えておこうと思う。

了