【小説】西日の中でワルツを踊れ⑪ 十五日前に失った記憶に関わる三人の男。
しばらくテレビの音だけが店内を満たしていた。
カレーは朱美さんが言うように確かに美味しかった。
食べた瞬間は僅かに甘く、その後に辛さがくる。
けれど、水をごくごく飲むほどではなく、舌に少し痺れと共に辛さが残る。やみつきになる味だった。
「これは週一で食べにきたくなりますね」
「でしょ?」
と朱美は得意げに笑った。
ぼくはカレーを全て食べきってから、気になっていたことを尋ねようと思った。
「朱美さん」
「ん?」
「川島疾風さんが行方不明になったのは、本当に二週間前だったんですか?」
「どーいうこと?」
「正確に昨日から丁度二週間前で、今日から数えれば十五日前だったのかな? と思って」
朱美は漫画本を閉じて、やや思案気に沈黙した後に言った。
「あたしが聞いた限りはね」
「そうですか」
朱美はぼんやりと二週間前と言っていた訳ではなかった。
かの子の方はもしかすると、ふと口をついたのが二週間前ということはあり得る。
けれど、少なくともぼくの記憶喪失と川島疾風の行方不明は十五日前という時間の符号で繋がっている。
病室に戻ると有と山本、そして紗雪の三人がベッドの上でトランプをして遊んでいた。
最初に気づいたのは山本だった。
「やぁ、おかえり」
紗雪と目が合って、彼女がニッコリと笑った。
「おかえりなさい、ナツキさん」
「ただいま、です」
「仕事が早く終わったので、寄らせてもらったのですが」
言って、紗雪は山本と有を見た。
「ナツキさんも混ざりませんか?」
有が普段よりも興奮した感じで言った。
トランプと有を交互に見て、ぼくはすぐに納得した。
有は普段一人で本や手紙を読んでいることが多い為、こうして複数人で囲んだゲームをする機会は少ない。
そして、そんな有の様子を知れば山本と紗雪が断れるはずがなかった。
当然、ぼくもノーとは言わない。
「有くん。ぼく、トランプで負けた記憶ないけど、良いの?」
「おぉ! すごいっ」
と有が目を輝かせる。
山本が紗雪の隣にスペースを作ってくれてから、
「記憶喪失なんだから、そりゃあそーだよね」
と言った。
それから一時間ほどトランプでババ抜きや七並べをした。
ババ抜きは基本的に紗雪が、七並べは山本が勝った。
その後、病室に看護婦が姿を見せ、有の検査だと言ったのをきっかけにお開きとなった。
有は最後に「また、やろうね」と言い、ぼくらはしっかりと頷いた。
山本がコンビニへ行ってくるよ、
と病室を出て行くとぼくと紗雪は手持無沙汰になって、近くの公園へ散歩に出た。
病院の入院患者や、近所の人の散歩コースになっている公園は昼を過ぎた現在も、行き交いが頻繁にあった。
手近なベンチに腰を下ろすと、紗雪が口を開いた。
「ナツキさん。記憶のきっかけは見つかりましたか?」
ぼくはかの子から聞いたやくざの息子、田宮のパシリだった自分について喋った。
「昼に入った喫茶店で朱美さんとばったり会って話をしたら、ぼくは後輩キャラっぽいらしいです」
少し茶化したように言ってみたが、紗雪は笑ってくれなかった。
やや固い表情で
「やくざの息子のパシリでナツキさんは、何をしていたんでしょうか?」
と言った。
「かの子ちゃんはそこまで知らないようでしたね」
「そうですか。ナツキさん」
「はい」
「あまり危ないことはしないで下さいね」
「気をつけます」
風が吹いて公園散歩道の脇に植えられた木の枝がぶつかり、葉がこすれる音が聞こえた。
物静かな、とても控え目な音だった。
「紗雪さんの仕事って、あの『見る』『会う』関係のものですか?」
「そうです。紹介制の霊能事務所、みたいなのをやっています」
「紗雪さん一人で、ですか?」
「基本的には。ただ事務所立ち上げや、責任者などは父に頼っています」
ここだ、と思った。
「紗雪さんのお父さんは、何をされている方なんですか?」
紗雪はぼくの方を少し見た後に言った。
「会社を経営している人で、私は片手で数える程度しか会ったことがありません。普段は、父の秘書の方が私の仕事の手伝いをしてくださいます」
「川田元幸も、そのお父さんの子なんですよね?」
「そうです。ただし、腹違いです」
「腹違い?」
「はい。なので、私は兄の川田元幸と同じ屋根の下で生活したことはありません」
「なるほど」
更に質問を重ねても良いのか少し躊躇したが、結局は続けた。
「じゃあ、兄がいると知ったのはいつ頃だったんですか?」
「中学三年の夏です」
と言って、紗雪が真っ直ぐぼくの方を見た。
「せっかくですし、一からお話します。私と兄のことを」
「良いんですか?」
「もちろんです。でも、」と
紗雪が僅かに顔をしかめた。「人にちゃんと、お話しをするのは初めてなんです。だから、関係のない話もしてしまうかも知れません」
関係のない話?
と疑問に思ったが、ぼくのスタンスは決まっていた。
「それでも構いませんか?」
紗雪の問いにぼくはしっかりと頷いた。
どんな話であっても、紗雪から聞きたくない話など、ぼくにはなかった。
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