【短編】こころみえるけしき

とおぎそうだったその村に、偶然ぐうぜん立ちれたのは、ぼくの幸運こううんだった。そこの人たちは、ほかの人たちと、どこかちがう。そう思ったのは、みんなどこか、生きづらそうに見えたからだった。その理由りゆうに気づいた時、ぼくは、ハッとした。みんな手に、何かをっている。持ったまま、生きている。

それは、宝石ほうせきだった。色も、形も大きさも、透明度とうめいども違う宝石を、みんな一人一つずつ、手に持っているのだった。

右手にほうきを、左手に宝石を持ったおじさんが、玄関先げんかんさきいていた。おじさんの宝石は、真っ赤だった。ごみをあつめたところで、おじさんは、こしをあげた。そしてぼくを見つけると、「ちょっと、これで掃いておくれ」と言って、その箒をぼくに渡して、自分はどこかから、ちりとりを持ってきた。そしてしゃがむと、「ほい」と言った。「あ、はい」とぼくは言って、そのちりとりに向かって、ごみを掃いた。けれどもごみは言うことを聞かず、なかなかちりとりに、おさまってくれない。少しずつちりとりを動かしながら、ぼくたちは、ごみをちりとりに収めた。
どうして、宝石をかないのだろう。よっぽど大事なものなのだろうか。それなら、家の中にしまっておけばいいのに、こんなふうおもてに出していたら、すぐに、だれかに取られてしまいそう。
「あの、それって宝石ですよね?」ぼくは聞いた。宝石と、ちりとりのごみをとさないように注意しながら、その人は立ち上がった。
「これか?これは、なやみだ」
「悩み?」
「この村では、自分の悩みは、こうして、形になるんだ」
「えっ!こんなに、きれいなのに」
「ただおもいだけさ」
「それじゃあ、置いたらいいのに」
「それができたら、苦労はしないよ。手放てばなせないから、悩みなんだ」
「そうかぁ」
ぼくだってそうだった。かんがえたくなくても、考えてしまう。それが、悩み。

ゴロンと、大きな音がするとともに、急に背中が軽くなった。なんだなんだ。ぼくの真後まうしろに、何か落ちたみたい。かえると、薄い黄緑色きみどりの大きな石が、地面じめんころがっていた。
「あんたも、立派りっぱな悩み、持っているじゃないの」
「これ、ぼくのですか?」
そういえば、この村に来た時から、なんとなく、リュックが重いなと思っていた。いつのまにか、ぼくの悩みも、形になっていたみたい。

リュックは、い目からけ、大きな穴が開いていた。
ぼくはこれ以上、中身がこぼれないように、リュックをさかさに背負せおって、両手りょうてで、自分の悩みをかかえた。
冷たくて重い、ぼくの悩み。
ぼくの悩みはけていて、向こうがわまで見えそうだった。

なんだか、きれいだなぁ。

ぼくは、色んな人の、色んな悩みも見てみたくなった。
ぼくは両手に悩みを抱えたまま、歩き出した。

魚屋の前に来ると、ちゃ色い小石を指にはさんだお兄さんに、「いらっしゃい」と、声をかけられた。その宝石は、中指なかゆび薬指くすりゆび小指こゆびの間を行ったり来たりして、落ちそうで落ちない。まるで、大道芸だいどうげいを見ているみたい。
「みごとなもんですね。いつもそうやって、持っているんですか?」
「あぁ、これですか。もうくせになっちゃって。もう、自分の一部いちぶみたいなもんですよ」
「これくださいな」よこから、小脇こわき財布さいふをかかえ、手にはピンクの宝石を持ったおばさんが、声をかけた。
「はいよ」
言われた魚をくるくるっと、大きな葉っぱで巻いて、お兄さんは、魚をわたした。その間も、指の間の石は、落ちる様子ようすもない。
「すごいなぁ」

とおくの方で犬がえるのがこえた。
犬も悩みがあるのかなあ。

ぼくは歩き出した。
どうしてたびに出たんだっけか。
宝石を持ったまま、ぼくは考えた。
あんまりにも長い旅だったから、目的も忘れてしまった。
なんとなしに、ぼくは自分の悩みをながめた。そこには、小さなキズがあった。
そうだ。ぼくはいつでも家にかえりたいと思っていて、とうとう自分の家にいる時でさえ、「家に帰りたい」と口にするようになってしまった。
だからきっと、もうここは、自分のいる場所じゃないんだ。そう思えて、旅に出たのだった。

さっき吠えていた、犬が見えた。犬は、何も持っていなかった。
宝石のような、キラキラしたで、ぼくを見ている。
ぼくは自分の悩みを見せた。
「どうしたらいいんだろう。これ。もう手が、はなせないんだ」
ぼくはその石を、そっと犬の目の前に下ろした。けれどもそのまま置いていこうとすると、何かが邪魔じゃまして手放せないのだった。
犬は、くもりのないまなこで、ぼくの悩みを見ていた。
「君にだって、悩みがないとは言えないよね」
ぼくはそう言って宝石を持ち上げ、犬と別れた。

ぼくは今度こんどおかのぼった。宝石は、あいかわらず重い。こんな石、ほうり出してしまえばいいや、と、何度も思ったけれど、やっぱり何かが邪魔して、そうはできないのだった。
息を切らしながら頂上ちょうじょうくと、女の人と、目があった。ぼくはびっくりして、あやうく石を、落としそうになった。落とせなかったけど。

その人は、すわって宝石を、いていた。その石の大きさが、あまりにも大きかったので、その石のせいで、その人は、ここから動けなくなったのかと思った。
「あの、大丈夫ですか」
「あ、はい」
その声は、何を心配がっているのだろう、というような調子ちょうしだったので、ぼくはとりあえず安心した。

ぼくはその人の悩みを見つめた。その宝石はこん色で、今まで見てきたどんな石よりも、深い色をしていた。この人に、どんな悩みがあるのだろう。
「ねぇ、あなたの悩みは、いったいなんですか」
その人は不思議ふしぎそうな顔をして、「こんなです」と、言った。
「そうじゃなくて、話してみて」
「話す?何をです?」
「うん。なにがあったか、どうして悩みが生まれたのか」
「わかりません」
「だって、悩みがあるんでしょう?」
「はい。ここに」
そうかぁ、と、ぼくは思った。この村の人達は、悩みが目に見えるから、人に説明せつめいする必要ひつようが、ないのだった。

あらためてその石を見ていると、不思議な気持ちになった。奥底おくそこまで見えそうで見えないくらい深い紺。その中に、少しだけオレンジ色が見えた。それがぼくには、問題もんだい糸口いとぐちみたいに見えた。

ぼくはその石を、きゅうに持ってみたくなった。
「ねえ、少しだけ、その石を、してくれない?その間、ちょっとこれ、持ってて」
ぼくはその石を、うばうようにると、わりに自分の石を、その人に手渡てわたした。
「えっ、ちょっと……」
その瞬間しゅんかん、紺色の石は、キラリと光り、かと思うとシューンと小さくなって、やがて、ぼくの手の中でえていった。
「なにこれ。消えちゃったよ!どうして?」
あわててその人を見ると、その人もびっくりした目で、自分の手をぐに見ていた。その手には、何も持たれていなかった。
「あれ、ぼくの悩みは?」

「……消えてしまったみたいです」
「どういうこと?」
ハッと、ぼくは気づいた。そうだ。いつのまにか、ぼくは自分の悩みを、手放てばなせていた。そして、悩みは消えた。
「もしかしたら、人に自分の悩みを持ってもらったら、悩みが消えるのかもしれない。それなら、みんなで、悩みを交換こうかんえば良いんだ。そうしたら、この世の悩みが、すべて消えるよ!」
これは大発見だいはっけんだとぼくは思った。

けれどもその人は、くびを横にふった。
「ずっと昔、石を交換した人がいたんです。けれどもその二人は、どちらも石が大きくなって、その石に押しつぶされて死んでしまいました。それからは、他の人の石を持とうとする人は、いなくなったのです」
背筋せすじがゾゾーっとした。知らなかったとはいえ、なんておそろしいことを、自分はしてしまったんだ。
「……でも、今は逆に小さくなって、消えていったじゃない。どうして」

その人は、少し考えて言った。
「あなたの悩みを解決かいけつするすべを、私が持っていて、私の悩みを解決する術を、あなたが持っていたのでしょう」
「そうだったんだ」
石を交換したのが、この人で、良かった。と、ぼくは思った。

その人は、急に立ち上がって、走り出した。
「どうしたの」
「ずっと重くて、走れなかったから」そりゃそうだ。と、ぼくは思った。それと同時どうじに、自分も、しばらく走ってなかったな、と、気づいた。だからぼくも、走り出した。
風が、こうからやってきた。けれどこれは、向かい風じゃない。そう思うとよけいに体がかるくなった。
あまりにも軽いから、ずっと走っても、全然ぜんぜんつかれなかった。

やがて一番星いちばんぼしが見えてきたころ、村のあちこちで、何かが色とりどりに光り始めた。その数は、どんどん多くなっていく。けれどそれは夜景やけいと違って、星のようにまたたいていた。

「きれい……」
ぼくは思わず、立ち止まった。
「この光は、なんなの」
「これは、みんなの悩みです。この瞬きは、それぞれの心の動きです」

しいこと、しちゃったかな」ぼくは、からになった手を見やった。
「またすぐに、生まれますよ」
「そうだよね。悩みのたねなんて、無限むげんにあるんだから」
「そして持ちきれなくなったら、また交換すれば、いいんです」
「そうだよね」

ぼくはようやく、帰る場所を見つけたのだった。