思春期に母ともっと恋愛話をしてみたかった
私の最初の夫は2012年に病気で他界しています。
実を言うと、彼との結婚は、当初、両親に歓迎されませんでした。
彼がバツイチで子持ちだったこと、そして結婚する前にガンの手術をしていたこと。
そんな背景を持つ相手と結婚したら娘は幸せになれないと思ったのでしょう。
その気持ちはわからないでもありません。
でも、親を押し切って、私は結婚しました。
だから、彼の病気が再発したことは両親には言いませんでした。
彼の余命がもう数週間もない、と医師に言われた時、さすがに亡くなっていきなり両親に連絡したら驚かせるだろうと思って、手紙を書きました。
が、手紙が両親の元に届く前に、私は彼が亡くなったことを電話で報告するハメになりました。
彼の病気が再発したことも、具合がもうそんなに悪いと言うことも知らなかった両親は驚き、母は電話口で泣きました。
えーんって声を出して母は泣いていました。
泣きながら、こう言いました。
「さとこちゃんが、かわいそう」
***
それからというもの母は、夫が死にそうだという状況になってもなぜ娘が母に連絡をよこさなかったのか、母なりに考えていたそうです。
そんなある日、母は新聞の人生相談欄に目を留めます。
娘が望まない妊娠をし、中絶手術を受けていたということを、だいぶ経ってから知ったということに憤っているある母親の相談。
回答者が誰だったかはわからないのですが、そこにはこうあったそうです。
「お母さんは怒っていらっしゃいますけど、望まない妊娠をし、中絶を選択するしかなかった娘さんは、どれだけ不安だったと思いますか?
できるならお母さんに相談したかったんじゃないですか?
でも、しなかった。
それは、お母さんに相談してもわかってもらえない、どうせ怒られるだけだって感じたからじゃないでしょうか?」
母はそれを読んで泣けた、と私に言いました。
自分は、娘がつらい時に気軽に相談できるような関係を築いてこなかったのだ、と。
***
今回のSpirit of a Womanの動画でいず美ちゃんの話を聞いて思い出したのは、そんな母との中学生の私の関係でした。
中学生の時、私はまさにいず美ちゃんが話してくれたようにホルモンに支配され恋にうつつを抜かす一少女でした。
でも、母がそれを快く思っていないことを感じていたので話すことはありませんでした。
それが大人になるまで続いて、最初の結婚の時も「やっぱりまた自分が好きになった人のことを快く思わないんだ!」となり、その反動でムキになって、弱みを見せることを母にはしなかったのです。
もし、中学生の時から、女であることについてもっとざっくばらんに話ができていたらどうだったんだろう?
私は苦々しく思われていたわけじゃなくて心配されていただけって感じられていたらどうだったんだろう?
そうだったら将来何が違ったのかはわかりようがないけれど、母親が味方だってわかっていたら思春期当時の葛藤はもう少し軽かったかもしれないな、と思います。
ちなみに、大人になった今は、私と母の関係はもう悪くありません。
母もまた少女の時代に似たようことを経験して大人になったんだろうなってことも今はわかります。
そう考えると、自分が癒やされるということが、子育てにおいても大事なんでしょうね。
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私の母や、現夫のお母さんを見ていると、彼女たちが「姑にされた嫌なことを嫁にしないように」とすごく一所懸命であることをいつも感じます。
負の連鎖を自分たちの世代で食い止めようとしているような。
私はその姿勢を心から尊敬しています。
そして、私たちの世代は、母親たちの世代がさまざまな時代的背景からできなかったことをやるんだろうなとも思っています。
母親たちの世代ができなかったこと、それは「己の幸せを求めていい」ということです。
己の幸せを求めることを自ら実践し、それを子どもにも伝えること。
今回の動画で私が思ったのはそんなことでした。
それにしても母娘って何だか奥が深いなぁ。