愛について
2024年の私のテーマは愛です。
昨日久しぶりにらくちゃんとごはんを食べました。らくちゃんは会社の後輩で同じ案件を2018年ころにしたのがきっかけで仲良しになりました。超優秀で2020年12月に会社を辞めて彼氏と同棲を解消して、その身軽さにらくちゃんはいったんもめんになったと、その時からますます羨望のまなざしを送っていました。そのあとの活躍は目を見張るものがあり、自分の才能と努力と人格でどんどん前に進んでいる輝かしい若者です。ワーホリビザで7月からロンドンに行くそうです。日本ですでにトップクラスの仕事をしているのにそれを捨てて新しい領域を開拓しなきゃならぬと言っておりました。
ちょっと話がそれましたが、昨日らくちゃんに「2024年の私のテーマは愛なんだよ」って言ったら最初「こわっ」って言われたんだけど、そのあとあることについて話してたら、「それは愛だね(しみじみ)」ってらくちゃんに言わせることができたから、すごい得意げになった私です。
2024年100リストにも入れましたが、愛というのは本当にいろいろな種類?タイプ?形?があると思います。
素直に伝える愛もあれば、怒ることも愛だし、見守ることも愛、距離感も伝達も手放すことも、愛をもってしたことは全部愛。それは持ってる側の主観でしかないかもしれないけど、愛だと思ってしたことは対象に対して何かその人にとってポジティブな/役に立つものが心に伝わるものであったらいいなというのを私は前提にしている。
そして、もらった恩は直接くれた人に返さなくてもよいんじゃないかということ。誰かからもらって誰かに返して、その誰かがまた誰かに返して、そのバトンが生まれたら一つ一つの恩返しがもっと大きな意味をもつ。
人間関係が一番悩みの種になる場合が多いから、愛って相当難しいけど、
昔ベトナムに住んでた時はベトナム人のすべて(ひとくくりにできるほど、接するベトナム人全員)に瞬間湯沸かし器みたいに怒ってたし、一度いやだと思うことがあるとそれがその人の全部みたいに思っちゃうことが多かったけど、その人がなぜそういうことを言うのか、なぜそういう行動をするのか、特にこの前セントビンセントにいる時は考えた。そしてその一つ一つの言動はその人を知るための要素だよなという思考回路になった。
それは、友達でもポールさんでも、仕事の付き合いでも、親子でもそういう視点で人と接すると、たくさんの愛に接することができるのではないかと思っているのが本日までの私の見解。
嫌いなものは嫌いでしかないけど。
どれだけたくさんの愛に接することができるか出せたかが、愛がテーマということの意味。
接し方違ったのかもとかああしたほうがよかったのかもと思うことは、過去の自分を責めることではなく、未来の行動をよくするための気づきだってことも忘れないでおかないと。
このチャレンジはなかなか忍耐のいることだけど、いちいちモヤモヤとかキーキーとかしない状態を増やせたら、来年は今年よりちょっと心が大きくなれると思うな。
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