毒親ブログ
毒親という言葉が世間に認知されて久しい。毒親、親ガチャ。
間違いなく私の母親も(父親も)毒親だった。
いじめられた。虐待を受けた。
精神的に追い詰められた。嘘をつかれた。
いいように利用され、捌け口にされた。尊厳を守ってもらえなかった。
恩着せがましく、心から私は生れなければ良かったと思っていた。
今も苦しくて、生まれ直した方が早いのに。と思う。
育った時間も苦しく、離れても後遺症で苦しい。
可愛そうでしかないでしょう。自分。
そう、被害者にならせて。
私は頑張りすぎたから、被害者でいたい。被害者になれなかった。
頑張り続けた。だから今は被害者になりたい。
私は虐待を受けたんです!そう言いたい。叫びたい。
分かりやすく、毎日殴られたとか、ご飯を与えられなかったとか
そういうんじゃない。
叩かれることはまあまあ良くあったが、
こじらせまくった虐待、いじめだった。
歪んでいた。
外面が良かった両親。さぞかし子育てに成功している家族像を
演出していたと思う。
子どもを犠牲にして。アイデンティティを確立しようとする母。
ただのツール・精神的な奴隷・はけ口でしかなかった私。
私がどういう人間かまったく見ていない。
母親にとって私が都合がいいか悪いかの2択。
良くなければ不機嫌というツールで操る。
数年前に亡くなったときは心からほっとした。
良かった!もう見なくていいんだと思った。
虐待は連鎖するという。母も苦しかったんだと言う。本人も訴える。
世間もカウンセラーも本も言う。知ったことではない。
理解をして、ゆるさないと、よくならないという。
ゆるす、ゆるさないという次元ではないと思う。
「愛はあったんだよ。」という。知ったこっちゃないと思う。
そんな腐った愛は、いらないだろうと思う。
みかんが好きな人に
腐ったみかんをプレゼントして、それでもみかんはみかんでしょ。
って言っているようなものだ。
「愛があったんだよ。」って何を知って他人が言うのか。
愛とか波動とかを語るカウンセラーだったり
思考のプロとかいうタイプの人間に救いを求めるけれど、
結局、苦手意識を持つ。あ~、気持ち悪い。嫌だなと嫌悪感を感じる。
義務と虚栄心はあったでしょうね・・・。
「そのうち許せるようになるよ。」とか「愛があったことが分かるよ。」
という。
どれだけ上からなんだろうと思う。
人の家庭の事情の何を知って言うのか、
なぜ、愛を語る人は、すべてを知っている体裁で語るのか。
やはり気持ち悪い。
愛なんて言葉は日本人には理解できないと思う。
親切にされた。心を砕いて、丁寧に接してくれた。
ゆっくり話を聞いてくれた。親身になってくれた。
かどうか。そういうこと。なんではないでしょうか。
時間をさいてくれた。優しいまなざしで語りかけてくれた。
いつも暖かく抱きしめてくれた。
だったら、分かる。
そういうものは一切なかったけど、
愛があったんだよ。って何があったんだよ。
愛はだめだ。私は信じない。
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