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不登校の不安 ~大丈夫だよ~

自己紹介やプロフィールをご覧の方はご存じだろう。
私は小中高校と不登校だった。約7年半。
理由は体調不良。行きたくても行けなかった。

小学校3年生~4年生の頃に、原因不明の発熱に襲われた。
血液検査、MRIなどあらゆる検査を行ったけど、原因不明。学校は大好きで通学したかったけど、できなかった。
でも、できるだけ行きたかったから、体調の良いときに図工やクラブ活動に参加させてもらっていた。

この頃はまだ「友達に会えない不安、他人と少し違う生活をするという漠然とした不安」が一番大きかった。
この不安は、5年生になって体調回復したことにより解消した。

次に不登校になったのは中学1年生の秋。
またもや原因不明の発熱に悩まされ、通学できなくなった。
血液検査や通院してみたけど、メンタルかホルモンバランスと言われて終了。
それでもカウンセリング通いながら、熱が低いときにちょこちょこ登校していた。
自分のベストはつくしていたつもりだった。
でも、休む日が多かったため、先生による出席確認の際に名前を飛ばされて呼ばれなかったり、同級生から「ズル休みでしょ」と言われたこともあった。

ここで生まれた不安は、小学校時代のそれとは明らかに違った。
教師には自分がいないものとして扱われている。
同級生には「ズル休み」と理解されない。
「学校に通学することへの不安」がどんどん膨らんでいった。

もちろん、この頃にも体調に理解を示してくれる友人はいた。教師が名前を呼ばなかったら、すかさず「出席してますよ!」「ちゃんと見て呼んでください」と言ってくれる子もいた。

カウンセリングでは友人に会いたいし普通に通学したい。でも発熱してしまいうまくいかない不安を伝えていた。
1年生の冬、カウンセリングの先生から告げられた言葉は私にとって意外なものだった。

「もう、学校通わなくて良いと思うよ」

私自身が「通いたい」と思っていたし、親や世間からも「学校へ通うことが当たり前」と聞いていたからショックだった。
ただただ、ショックだった。お先真っ暗。というより頭のなか含めてお先真っ白。
でも、次に続いた言葉が私を少しだけ救ってくれた。

「あなた頭良いから通わなくて大丈夫だよ。大学も大検取れば行けるし、あなたなら大丈夫。お母さんに言いづらいなら私から伝えるし、学校への説明もお母さんと一緒に行くよ」

え?ダイケンて何?てか私の頭の能力知らないでしょ?え?学校通わなくて良いの?え?どゆこと?ん?

まぁ、真っ白の脳内に駆け回るパニックだったけど、次にでた言葉は自分自身でも意外な言葉だった。

「母には自分で伝えます」

実にあっさりと通学をあきらめていた。いま思えば、自分自身も「通学しなきゃならない」という考えに縛られていただけで「通学したい」と思わなくなっていたのかもしれない。
そりゃそうだ。学校という場のほぼ全体がアウェイだったもの。

当日夜、反対されるのが当たり前と思う恐怖と不安のなか、母に「もう中学へは通わない。高校はわからない。大学へは大検を取ってでも行く」と伝えた。
母の返事は意外なものだった。

「それで良いんじゃない?大学だけは必ず行きなさいね」

あれ、反対しないの?私ダメなヤツじゃないの?え?中学卒業できるかもわからないし、高校合格しないかもしれないし、大検とれるかわかんないんだよ??
自分で腹決めて発言したわりにパニック。小心者だとつくづく思う。

当時、スクールカウンセラーはいなかった。というかカウンセラーの存在やらストレスやら精神的なものに対して、現在のようにフォローしようとする体制は社会全体で整っていなかった。
カウンセリング受けてるだけで少し白い目をされる。そんな(今もそういう風潮は残ってるけどね)感じだった。
そんな時代背景もあって、学校にカウンセラーが出向く意味がわからなかったけれど、後日母とカウンセリングの先生は学校へ説明をしに行った。
何の説明をしたのかわからなかったけれど、カウンセリングの先生からは「あの学校へ行かなくて正解だと思うよ。あなたには合わない。ただ、きちんと説明したから安心して大丈夫」と言われた。

そのおかげかどうかはわからないけど、中学は無事卒業できた。

もっとも、義務教育なのでよっぽどの悪さをしていなければ中学校は卒業できたようだ。

高校は通信制に在籍したけど、教科書が絵本のようだったのと、既に習得済みの学習内容だったから、自主停学にして自ら不登校の道を選んだ。

この時の不安は「他の高校生と違う」という、自分がマイノリティである不安と「大検を独学で取得した上で独学で大学合格しなければならない」というプレッシャーや孤独にも似た不安があった。

周囲に大検取得して大学へ通学した人もいなかったし、周りの大人たち(カウンセリングの先生、親含む)や友人が「大丈夫だよ、さとこならできるよ」と言うたびに無責任だと嘆いてた。
恐かった。過去問を読んで、出題範囲把握して対策して。でも不安ばかり。
誰が合格したか、どんな勉強をしたか、どんな人だったか。それは全くわからない。
暗中模索。何をやっても安心することはなかった。
受験前日まで恐怖と不安のなかにいて、必死に勉強したのだけは覚えている。

受験当日は会場着くまで挙動不審。到着後は色鮮やかな髪の色や明らかに未成年の喫煙者がゴロゴロいたことが、なぜか私の安心につながっていた。
人は見た目で判断してはいけないと言うし、それはそうだと思う。けれど、当時の私は大変失礼なことだけれども、そういう人を完全に見下していた。ごめんなさい。

ついでに言うと、その方々の発言内容が
「全然(勉強)してないけどマークシートだからいけるっしょ」
とか、
「あー、ぜってー落ちる」
とかだったことも安心した理由の一つでもある。

勉強してきた私は、大丈夫かもしれない。そう思えた。
そしてそうだった。相当数の問題が解けた感触があった。その後、大検に合格して3年の夏に大学にも合格できた。
それまで、目標のために不安を抱えながらも努力を続けた一つの結果だと思っている。

不登校の不安は人それぞれだろうけど、私の場合は漠然と恐くて、とても恐くて自信なんてどこに持てば良いかわからなかった。
未来なんてないように見える時もあったし、応援してくれる人がいてもいつも独りだと、孤独だと感じていた。

でも、不安はパワーになる。
不安のなかにいるからこそ脱しようとする強い力が生まれるときがある。

だからいま、不安を感じていても大丈夫。
他人と違うことに孤独を感じていても大丈夫。
自分自身が不安ななかでもがいて、あがいて、努力し続ければ、いつの間にかその不安から解放されているよ。

まぁ、そのときにも多かれ少なかれ新しい不安がやってくるものだけどね。
でも大丈夫。どんな不安も解消される日はくるよ。

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