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〜マッチングアプリを通じて旦那さんに出会うまでのはなしその1〜


アプリを始めるまでの自分のことも交えてまとめています✨

よく友人にも『人と話すのが本当に得意じゃない私がアプリで出会えるのすごい』とか言われます(本当にすぐに心開かない性格なので)
でもなんもすごいことしてませんし、社会に出たら喋るしかない場面では喋らざるを得ないと動物の本能で悟っただけかと思ってます笑
アプリで相手を探してる人の参考にならない内容になりますがそこそこ楽しかった思い出です

最初はどうやって病気を受け入れていったのかまとめました
正直病気の話なんて暗いから好きじゃないんですけどそれがないと今の私は形成されておりませんから

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歯医者になって、潰瘍性大腸炎を持病に持つようになって4年の間…
その間色んなことがありました

病気になった人って精神的に病みますね…
実際私はどうしてこうなったんだ?と多方面を責めました
特になんともなくて健康だった人ほどそうなのではないかなと思っています

・毎日薬を飲む生活
・病院にお世話にならなくてはいけない体
・そして内臓の疾患の為食事にも気を遣う

そして何よりですね…
外に具合悪い等のキツさが出ないので周りの人に理解されにくい

自分のことを理解してる家族やら友人やらに心配されると安心する、という精神状態であった私

「ストレスを溜めたら体が先に教えてくれる(下血するから)」

という自虐を堂々と言うくらいに生活の変化に嫌気がさしていました(そもそも自分の体のことなのに自分がその言い草はないだろうと今では思いますが)
本音は私を心配してくれ!みたいなのが根底にあったと思います

病人という扱いをして欲しい自分と、して欲しくない健康な人間なんだと思われたい自分とで挟まれていた気がします


そんな中でも私に彼氏という存在ができるのです
Twitterから出会って付き合いましたが、思えばそれがあったからアプリで会うことにも抵抗感がなかったのかもしれません

持病持ちにクラスアップして2年目
(研修医が終わり、大学の医局に所属していた頃)

病気になっていても恋人はできるんだなと思ったのです
一応私の持病を理解してくれて付き合ってくれましたし、結婚の話とかも考えてくれてました
そう言われて心を開いていた私は彼氏さんに色々と頼る気満々だったのです
大阪↔︎東京間の遠距離でしたがそこそこ会いに行っては遊んでいました

そして付き合って1年くらいの時に、
彼氏さん(大阪出身)が『東京に上京して東京の企業に就職したい!』と言ったのでそれをサポートすることに
ですが、この出来事が全てのきっかけであり、私の病んだ思考回路を変えてくれたのです😇



『ごめん、今の職場で好きな女の子ができた』

そう言われたのは東京に来て見習いとして憧れの会社に無給で働いていた彼氏さんが無事正社員となって半年くらい経った時
付き合って2年目が経過しようとしていた時でした(持病持ちになって3年目)


言われた時はあまり驚かなかったのです
なんとなくそんな気はしていたので

東京に来てから半年ほど私の家に居候し、家賃や光熱費等々一切出さない彼の人間性を疑っていました
(彼氏さんの職場の人には親戚の家に泊まってるとか都合よく伝えていたし、会社の人に彼女のことを相談したら結婚迫られるから早く別れた方がいいとかって言われていたみたいだし😇)←これは愚痴です



彼氏さんが私のパソコン等を使ってリモートワークするようになってから、『このままだとずっと居候されてしまうな』と察した私は自ら不動産屋さんを探して家を見つけて紹介したり色々と手助けしました
そして引っ越しなど全てが終わったなくらいの時期に言われたセリフ👆でした

言われたその時は今までの自分の行動が走馬灯のように流れていきました

『結婚等の話は気にしなくていいし、結婚してほしいと頼んだ覚えはない(本当に)』
心の拠り所が欲しかった私としては、
『まだもうしばらくだけでいいのでそばにいて居て欲しい』と頼んだのです
この時私の父親に癌が見つかって手術をする予定で、私の精神状態は和やかではなかったからです

今思うと当時の自分が縋るのも仕方ないとは思いますが、縋る相手が違うと誰かに止めて欲しかった
ここにタイムマシンがあるならば私が止めに行っているでしょう😔

好きな女の子ができたという彼氏さんになぜそんなことを頼んだのかというと
『その女の子は実は違う男の同僚と付き合ってるんだけど、僕がその子を好きになっちゃってご飯行くたびに私の顔がチラついて話するにも集中できないから』※台詞ほぼまんま



………ちょっと待て???と




まだ一応好きな彼氏さんに違和感を突っ込むことは若い自分にはできませんでした

だったら恋人じゃなくていいから友人としてそばにいて話くらいは聞いて欲しいと伝えたのですが断られてしまったのです



ここで反省すべきところは
自分に見る目がない

👆正直これ一点の話なんですけど

私は悟るのです

自分の父親が癌で入院し、母親は専業主婦歴25年で仕事も何もできず一家の大黒柱が失いかけている故郷の状況
(私に帰ってきてそばに居て働いてほしいという連絡が来る)


上京し、見知らぬ土地に来た彼氏さんをサポートしたにもかかわらず別れを切り出され、話を聞いてくれるだけでもと頼んでも断られる状況


この2つが重なった時

『病気理由にして怠けてる場合ではないし、誰かに頼って生きるなんて無謀すぎる
働ける体がある限り生きていく力を得なければ』


と、そう思ったのです


正直に告白してしまえば
持病待ちになった自分がまさか付き合えるような恋人ができるなんて思ってなかったところから始まり、
その延長からの結婚の話も出していた彼氏さんから振られるわけはないとも思っていたし
それなら結婚したら病人な私は何かと頼れるな😏
とか甘い考えもありました

あわよくば母のように専業主婦とかになれるかも?と夢見ていた私が居たのは紛れもない事実だったからです

本音言うと今まで仕事に対してちゃんと向き合っていなかった自分だったのですが、
『ちゃんと自分がやれることを増やしていこう!病気のせいにして色々と逃げてる場合ではない』と心に決めるのです

『病気になったのも、この状況になったのも、起きてしまったのだから色々と考えてる暇はない!動ける時に動けるようにスキルアップするしかない!』


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そこからはもう単純です

大学に入局して病院へ通院しながらゆったりしていた自分とおさらばし、一般開業医に勤め研鑽を積みました
この頃には持病も一旦落ち着いている状態だったので今しかない!と動きました

ほぼ何もできないに等しく、色々と教えてもらいながらの勤務予定だったのですが…
実際にはほぼ1人でその日の患者さん対応をするという職場だったので出来ることを確実に増やしていきました(今はだいぶ人も増えてそんなことは無くなりましたが)


そんな日々の中で

偶然大学の飲み会に誘われた時、先輩先生に
『彼氏いないんだったらアプリやってみない?』

と誘われるのです



やっと本題ですね笑
次からはどんなアプリをやったとかまとめられたらなと思います😇



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