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【自己完結】人混みに対するあれこれ

用事があって、少し離れた街を訪ねた。週に2〜3日、通い続けるクリニック。心身の調子を整えて、再び社会へ出るための練習の場。気分の浮き沈みが人一倍激しい私の、第3の場所である。

そこでの用事を済ませ、再び外に出る。クリニックがあるのは大通りの外れ。大通りへ戻ると、若者を中心に多くの人が行き交っていた。どうして若者が多いのか。よく考えてみたら、学生は春休みの真っ只中。学校から解放され、晴れ晴れとした若者たちは駅ビルへ、カフェへ、ファストフード店へ。それぞれ、なだれ込むように入っていった。


未知の感染症に対する扱いが日に日に緩くなっていく今、駅ビルに限らずありとあらゆる娯楽の場が人々でごった返している。学生の春休みと重なった今なら、なおさら人混みだらけ。そこに関して、私からああしろこうしろとは言いづらい。ただ、人混みがとても苦手な私の、数少ない"居場所"が失われる気がするだけだ。

人混みが苦手。そういう人は、私だけではないはず。珍しくもない。むしろ増えてきているのではないだろうか。私の周りにもいるくらいだし。

それでも、どうして人混みができるのだろう。「人多すぎ」とか不満を漏らす人も少なくないし、よく耳にするけど。それならどうして人々は、人の多い場所へわざわざ出向くのだろう。数年前から、私が気になって仕方のないことだ。


人混みが苦手。それでも、どうしても外に出なければならない。そういう人たちのための"居場所"が、私の周りには足りていないのだろう。思いつく限り、家か本屋か、駅ビルのお手洗いの個室しか思い当たらない。地元よりももっと都会へ出れば、そういう場所もチラホラとありそうだけど。人混みが苦手なら、そもそも都会になんて行かないか。

だったら、私がそういう場を作ればいいのだろうか。人混みが苦手な人に向けた、おひとり様専用の場所を。カフェでも喫茶店でも食堂でも、本屋でも雑貨屋でも。とにかく、苦手な環境から逃げられる場所であればいい。そういう場が私の周りにポンと現れればいいのに。

ないものねだりを繰り返しても仕方がないけど、そんなことをぐるぐると考える水曜日。エスカレーターへなだれ込む人が増えてきた。本屋で選んだ本をギュッと胸元に引き寄せ、私は帰りのバス乗り場へ逃げるように戻って行った。


ここまで読んでくださったあなた。人混みは平気だろうか。それとも苦手だろうか。人混みから逃げたくなった経験はあるだろうか。

私のとりとめのない思考にお付き合いいただき、ありがとうございました。あなたにとって、明日も良き一日でありますように。

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