私は私、物語は続く
コピーライターの阿部広太郎さんが主宰する、『企画でメシを食っていく』(以下、『企画メシ』)。先日、ついに最終回を迎えた。
最終回の講師は、企画生(『企画メシ』の受講生のこと)。テーマは「どんな企画をする人になるか」。有志で手を挙げた企画生がそれぞれ、思い思いのスタイルで自分の物語を語る。
企画生の情熱と、彼らから発せられる神々しいエネルギー。
緊張しながらも晴れ晴れとしている彼らの表情。
画面越しにでも伝わるこれらのものは、私に強い衝撃を与えた。
同じ企画生として切磋琢磨してきたはずなのに、同じ企画生に思えないくらいキラキラとしている。語り終えた企画生に心の底からの賞賛を贈る一方で、私の心の奥底からは徐々にネガティブな一面が見え隠れし始めた。
私は今まで、何をやってきたのだろう。
そんなことを思いながら、引き続き企画生の物語に耳を傾ける。その中で、画面の向こうから印象深い言葉が聞こえてきた。
「私は何者にもなれなかった」
この言葉を聞いたとき、なんだか腑に落ちたような気がした。
ああ、そういうことだ。
私も何者かになりたかったけれど、何者にもなれなかったのだ。
半年前も今も、私は無職。
『企画メシ』に参加することで、私がどういう道に進みたいのかを明確にしようと思っていた。企画の極意を学びつつ、自分探しの一助になればいいなぁ、と考えて。
半年間で、自分には持ち合わせていない数々の価値観に触れることはできたけれど。あれをやろう、これをやろう。そういう確信は得られなかった。
結局私は、何がしたいのだろう。最終課題に取り組んでいたあの時も、『企画メシ』最終回の講義中も、全てが終わった今も、ひたすら考えている。
でも、これを逆手にとらえれば。
私は何者にでもなれる。
どんなことをしたって、失うものはなにもない。そう考えると、私って無敵なのではないか。なんだかポジティブな気持ちが湧いてきた。
最後に、私が考える「どんな企画をする人になるか」という話を少しだけ。
私は”安心”をつくる人になる、と書いた。要は、誰かにとっての居場所をつくっていきたい、ということだ。
なんとなく居場所が欲しい人も、居場所がなくて生きづらさを感じる人も、まるっと包み込めるような。そんな居場所をつくりたい。
noteみたいに文章を書く場や、ラジオみたいに声を発信する場でもいいし。スナックやバー、カフェなどのように実際に場所をつくってもいい。
具体的なことは、まだ何も考えていないけれど。居場所を求める人のために、できることをやっていきたい。私は心からそう思っている。これが、半年間にわたる『企画メシ』を終えた私の結論だ。
最後に、『企画メシ』で出会いお世話になった全ての人へ、心からの感謝の気持ちを。
またどこかで会えますように。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。いただいたサポートは、今後も私が書き続けるために必要なものの調達に使わせていただきます。