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最近の私の頭の中

1週間の中で、なんとなくこの日に投稿しようという目星をつけているにもかかわらず、そういう日になっても書けていないことなんて、私にとってはよくあることだ。自分自身の計画性のなさを感じる。

気づけば、2月の折り返し地点をとっくに過ぎていた。日数がいつもより少ないからか、余計に時の流れの速さを感じる。私が時の流れの速さを口癖のようにつぶやいてしまうのは、そうでもしないと時間の感覚を失ってしまうのではないかという、謎の不安に駆られているからなのかもしれない。こうでもしないと、有限な時間の尊さを忘れたまま天に召されるような気がして。朝からなんだか物騒なことを考えてしまうものだ。


時間というのは、なんともふしぎなものだと私は思っている。

楽しい時間はあっという間に過ぎていくのに、つまらないと感じる時間はなかなか過ぎ去らない。YouTubeやSNSをダラダラ見ていると、想像以上に膨大な時間を浪費してしまう。急いでいる時に限って、時間が足りないように錯覚してしまう、というパターンもそう。

自分自身が時間に翻弄されているのだろうか。

その答えは、よく分からない。そういう分野に詳しいわけではないし、メカニズムみたいなものを知っているわけでもないし。私が25年ほど生きてきた中で、ただそういう感覚を幾度となく味わってきただけだ。疑問に思いながらも、それが時の流れとともに流されている。


ああ、このままいくと話はますます難しくなっていく。この話はもうやめた。明るい話をしよう。

なんて言ったところで、すぐにそういう話が思いつくわけでもない。私は根っからのネガティブ思考なのだ。暗い話ばかりが先行してしまう。この前○○さんに変なこと言っちゃったかな、とか。周りにバレないレベルのやらかしをして恥ずかしい思いをする、とか。思いつくのはどうしようもない話ばかりだ。

だからこそ、「いいことに目を向ける」っていうのは大切なのかもしれない。小さな幸せを見つけることも含む。

今日美味しいご飯が食べられたとか、○○さんからプレゼントをもらったとか、人に優しくできたとか。自分なりの基準で「いいこと」を見つけると、今日という日は案外悪い日じゃなかったと思える。人生はそういうことの積み重ねで、成り立つものなのだ。


ここまで哲学チックに書き連ねてきたけれど。最近の私は、いろんなことをごちゃごちゃと同時に考えているようだ。文字におこしてみることで、初めて分かることが多い。いい発見。

今までの話を全て踏み倒して、最後に一言だけ。

忘れずに宝塚グラフを買わねば。

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