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【光る君へ】第28話「一帝二后」感想:ふたりの妻をめぐって

道長の娘・彰子の立后は、道長本人は勿論のこと、一条天皇の母・詮子や側近である蔵人頭・行成らの尽力もあって実現されます。后を迎える天皇個人は、中宮・定子への思いゆえに彰子立后には前向きではありませんでしたが、彰子の人となりにふれて立后を受け容れるのでした。大仕事を成し遂げた直後に病に倒れてしまう道長ですが、明子の献身的な看病…と、夢枕に立つまひろの呼びかけもあって快復します。一方で、彰子立后への天皇の決意を汲み背中を押す定子でしたが、彼女は出産の際、清少納言の支えもむなしく崩御してしまいます。子育てには漢文読み聞かせという風変わりな手法で励むまひろをよそに、宮中模様は大きく様変わりしています。


彰子立后へ:一条天皇、行成、詮子の心

 本作の一条天皇の定子への寵愛ぶりは、周囲を顧みないほどに深いものです。そんな天皇が彰子を后とするには、どのような心の葛藤、または道長とのドロドロとした駆け引きを経験するのだろうか…と少しハラハラしていました。今回描かれた天皇と彰子の会話では、天皇が彰子に「親の操り人形」としての共感を抱いたように描かれています。何を聞いても「はい」だの「仰せのままに」だのと返す彰子について、天皇は「朕も女院様の言いなりで育ったゆえ、我が身を見るような心持ちになった」と同情を込めて語り、あくまで立場上の后とすることに一度は前向きな意向も見せます。
 その後も天皇は、定子を慮って彰子の立后を公にすることをためらいますが、ここで天皇の説得に出たのは行成でした。行成は皇后の出家によって、藤原氏の后によるべき大原野社の祭礼が滞ってしまっていること、そしてそれが昨今の天災につながっているのだと述べ、神事のためにも彰子を后とすべきと意見します。天皇の心を捉えたこの行成の談判は、言うなれば彼にしかできないことで、まず世俗的な道長には思い至らない「神」の存在を引き合いに出すところに、道長の懐刀としての姿が見てとれます。加えて、為政者としての一条天皇の後ろめたさに「何もかも分かっておいででございましょう」と直接訴えかけるところにも、行成の強かさが見えます。斉信、公任と比べて我の強さが見えないキャラクターですが、行成の政治家としての力が示されました。
 彰子の立后には詮子も口添えをします。それは道長の頼みによるものですが、このとき詮子は却って我が子である天皇と自らの不仲を思い起こしてしまっているようです。倫子も彰子が天皇に愛されるように気をもみ、詮子に天皇の好きなものを聞くのですが、詮子は答えることができません。前回、天皇を思って育ててきたと語った詮子だけに、我が子を真に顧みることができなかったことへの悔恨がにじむようでした。

零落する皇后として:定子

 一帝二后という事態に皇后・定子の心中いかばかりかと思われますが、彼女は気丈に天皇の背中を押します。そのときの定子の「人の思いと行いは裏腹にございます」「見えておるものだけが全てではございませぬ」という言葉がとても印象的でした。この発言は第一義としては、間に挟まった「彰子様とて」にもある通り、后としての彰子との生活に前向きになれない天皇への助言ととれます。しかし定子がさらに「彰子様と一緒の時は私のことは考えないように」とも頼んでいることに照らすと、「自分のことも変わらず愛してほしい」という、口に出た言葉とは裏腹の思いをも包括しているのかなとも読みました。いずれにしても、目の前の事象の複雑性を語る定子の言葉には、「皇后かつ天皇の寵姫としての栄華」と「没落していく一族の成員ゆえの悲惨」の両方を味わい、その中で人の心の機微に触れてきたであろう彼女だからこその説得力があります。
 天皇にとって2人といない后である定子ですが、彰子立后と同年、とうとう出産で亡くなってしまいます。辞世の歌となった「夜もすがら契りし事を忘れずは こひむ涙の色ぞゆかしき」は、天皇の本心を知りたい彼女の天皇への思慕が伝わる歌だなと思いました。

オーバーラップする2人の妻と、そして…

 道長が明子の屋敷である高松殿で倒れてしまったことにより、道長は明子のもとで療養することになりますが、そこに倫子がやってきます。そんなこと史実的にありえるのかとは思いつつ、こんなドラマチックな場面でそんなことも考えていられません。横たわる道長の枕元に座る倫子と明子、2人の貴婦人を見ていると、今回のサブタイトル「一帝二后」が思い出され、「1人の男にほぼ同格の妻が2人いるというのは、こういう気まずいものなのかしら…」と想像をせざるをえません。このショットにより、「倫子と明子」そして「定子と彰子」の2組がこだましているように感じられました。
 この道長の病気という状況にあって倫子の怖さが際立っていました。住まいである土御門殿に帰らないことや、高松殿滞在を百舌彦が隠していることへのいら立ちもさることながら、「うちでお倒れになれば…」という発言には迫力があります。明子への看病の”指示”からは、倫子の正妻(嫡妻)としてのポジションの明確化も感じられます。もしもかつて自分が交流していた同年代の女性が、自分の夫と不倫関係になっていることを知ったりしたら、彼女はいったいどうするのでしょう。こわい。
 一方、明子は明子で今回も面白く描かれていました。自らの知識を活かして幼子に漢文に触れさせるあたりではまひろとまるで同じことをやっていますね(そらんじているのは全員男の子で、彼らにとって必須の素養といえばそうなのですが)。まだ赤ん坊の娘を抱きながら、それとなくその子の将来の入内をほのめかしている点からは、倫子への対抗心が窺えます。献身的な看病をして道長の目覚めに立ち会う明子でしたが、道長の心中には未だ夢枕のまひろがいたようで、明子は倫子にとっても、まひろにとってもなんだかかませ犬のような立場です。
 そして、夢枕のまひろは、かつてまひろが疫病に倒れたときとは逆の様相となりました。かつて道長が熱に浮かされるまひろに「行くな」と呼びかけたように、まひろもまた道長に「行かないで」と呼びかけています。こんなこと言っている場合ではないと思いつつ、この2人のソウルメイトとしての絆が感じられました。

その他

●伏線だったあの場面:一条天皇がかつて定子の前で笛を奏でたとき、2人が仲睦まじく見つめあっている様子が印象的でした。彰子は今回天皇に「笛は聴くものであって見るものではない」と言いました(赤染衛門作者説のある『栄花物語』が元ネタらしいですね。衛門が同席していたので真実味がいや増します)が、今思えばかつての定子との場面は、彰子の定子との違いを見せるための伏線だったのかもしれません。
●「賢子」命名:まひろの娘の名は、宣孝がつけたこととして描かれましたね。女性の知性がおしなべて重視されなかった時代にあって妻の賢さにあやかる命名に、宣孝の愛が感じられました。
●知ってはいた惟規:賢子の本当の父が宣孝ではないことを、惟規も知っていたようですね。まひろのまじめさが感じられますが、同じように為時にも打ち明けていたらと思うと…
●墨で消された日記:道長が日記に彰子立后の日取りについての相談を記録し、天皇の詔がないことを思い出してすぐに消した場面があります。手元の『御堂関白記』の現代語訳を見たところ、やはりこの日の記事は墨でつぶされていて、この事実の符合にちょっと感動しました。
史料的にも「唱えなかった」実資:彰子立后の詔に対し「あのご意見番の実資さえ異を唱えなかったのである」とナレーターが語りましたが、どうやら小右記はこのころの記事じたいが現存していないようですね(逸文もなさそう?)。残っていたら何と書き残していたか、気になるところではあります。
●呪詛に囚われた伊周:定子の死に触れた伊周は、これが道長の呪詛によるものだと思い込んでしまいます。前回の敦康親王の時と違い、今回伊周は弓を鳴らす魔よけの儀式を疎かにしてしまったため、余計にこの疑念を深めてしまったように思います。「呪詛」という観念に囚われて恨みを募らせてしまいました。

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