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【光る君へ】第7回「おかしきことこそ」感想:現実を直視し、思い人から目を反らすまひろ

 花山天皇の寵姫である忯子の死は、宮中に大きな影を落とします。花山天皇は意気消沈すると同時に「右大臣が忯子を呪い殺したのではないか」という疑念にかられ、疑心暗鬼からますます殆どの公卿を遠ざけます。帝の蔵人として仕える為時は花山天皇の苦悶と孤独、そしてそれゆえに一層自分に寄せられる信頼に心を痛め、右大臣家の間諜としての職務を辞めることにします。
 まひろは道長との関りを避けることを改めて決意し、代わりに取り組むこととして散楽のストーリーを考えることにします。面白さを志向して彼女の考えた物語は直秀ら散楽の一味に採用されただけでなく、町でも好評を博しますが、「帝にへつらう猿」として右大臣家を露骨に揶揄する内容であることから右大臣家の郎党の襲撃に遭ってしまいます。その場にいたまひろも連れ去られそうになりますが、そこを道長が助けます。彼がまひろの考えた物語への興味を示したことから、2人の距離はまひろの意に反して縮まるのでした。
 忯子の兄であった斉信は、悲しみを晴らすために打毬をすることを思いつきます。当日になって、メンバーの1人だった行成が来られなくなってしまいますが、そこで道長は直秀を連れてきます。これに先立って、直秀が義賊を働いたときに道長は彼の正体を知らずに矢を射ていました。この日打毬の後、道長は直秀の腕の傷から、直秀の正体を悟ります。一方まひろは打毬を終えた貴公子の会話を立ち聞きしてしまって貴族社会の恋愛観・結婚観の現実を悟り、道長が自分に贈った和歌を焼き捨てるのでした。


現実を直視するも、道長から目を反らすまひろ

 今回、はじめは道長への思いを断とうとするまひろでしたが、散楽の一件もあって道長への思いは募る一方のようでした。後半の打毬の間は色々な人の顔が切り返しで映されていきますが、まひろの顔の後にはたいてい道長の姿が出てきており、まひろが道長を目で追っている様子が分かります。それだけに、道長への思いは道長に思われないことへの恐れになっていたようです。
 貴公子たちの会話を立ち聞きした終盤のまひろの驚き、動揺する部分は何だか胸が痛くなるようでした。まひろの言動や家柄を批評していたのも、一夫多妻制を支持したのも、嫡妻の実家の経済力を重視したのも、斉信や公任であって決して道長ではありません。しかし、その場の会話の流れから、好いた相手の考えを想像し、断定して、独りで自分を追い詰めてしまうまひろの思考の進め方がそれはそれでリアルでした。
 まひろ自身は為時が母・ちやは以外にも妻を持っていたことに不満でした。それに起因して、公達の語る価値観そのものには、個人的な体験由来の拒否感が既に植え付けられています。この意識から、公任や斉信の発言から思い詰め、余計に早とちりしてしまったのだと思います。

為時の政治的判断力

 今回為時が兼家の間者となることをやめたことに宣孝は反発します。彼の言う通り、次の天皇である懐仁親王は兼家の外孫であるわけで、その兼家との関係を自分から断つことは得策ではありません。【以下1文、重要そうなネタバレあり】実際、翌年の懐仁親王即位から10年、為時は再び官職のない身に逆戻りしてしまうわけで、この後の展開は宣孝の宣言通りになってしまいます。
 これに先立つ場面で為時は「懐仁親王は幼いのだから、右大臣とて今すぐの代替わりを望むはずがない」と花山天皇に言っていました。私ははじめ、これは単に花山天皇を慰めている、その場しのぎの言葉なのかと思っていました。しかしこのあと兼家の元を辞去してしまうことを考えると、これは為時の率直な推測だったのですね。実の娘が右大臣家に複雑な思いを抱えていることから、ある面では娘を思っての決断だったかもしれません。とはいえ、為時が政情を観る目は確かとは言い難いようです。
 詫びる為時に兼家は意外にもやさしく接しており、2人の上下関係は温和な形で終わります。消沈する帝についての為時の最後の報告は、為時が兼家を見限った場面でもあり、兼家が花山天皇を見限ることを決めた場面ともなるのでしょうか。

伏線か?花山天皇の牽制策

 悲嘆にくれる花山天皇は、亡くなった忯子に「皇后」の座を追贈することを思い立ち、義懐を通して公卿たちに意向を伝えます。これは後に実資が言った通り悲嘆ゆえの情動的な思いつきかなと思っていましたが、観返して観返して義懐の発言に注目すると、これは兼家らへの牽制策でもあったのですね。陣定では義懐は忯子の父である大納言、藤原為光の意見を求めています。兼家の牽制のために為光を抱き込もうとする作戦だったとも読み取れますが、当の為光はすげない様子です。
 今回忯子を皇后にすることは成し遂げられませんでしたが、ここで注目したいのは、中宮の遵子と並び立たせる形で忯子を皇后としようとする義懐の発言です。【以下ネタバレ?】中宮と皇后の並立はこの時点では前代未聞でしたが、この後道長の兄・道隆が自分の娘である定子を中宮としたときに断行されます。この時の中宮で、定子のために「皇后」と改称させられる形で割を食ったのが同じく遵子です。道隆の父、兼家は今回「前例があれば」という条件付きで賛意を示しますが、ここでの発案が息子の代で利用される、という展開になるのかな...?と想像しました。

その他

◆兼家は褒賞に不満げな安倍晴明への当てつけから、宿直から帰ってきた道長に「人の命を操り奪うは、いやしき者のすること」と言います。相変わらず道兼への冷たさが無意識に出ています。当の晴明は、兼家との舌戦が楽しくて仕方ないと言っていますね。変態がここに(も)います。
◆罪の意識に苛まれる兼家を寧子が慰めています。こういうドメスティックな優しさこそ、公卿が嫡妻以外の女性に求める魅力なのかしら...などと思っていたら、どさくさに紛れて道綱のことをよろしく頼む寧子でした。これまで私は藤原道綱母は、権力者に愛されやがて顧みられなくなった、哀れでなすすべのない女性だと単純にイメージしていました。このドラマが見せる道綱母像はとても新鮮で、複層的な現実味があります。
◆ウンを付けた猿たちの場面で流れている音楽が、これ以上なくラフマニノフっぽくて笑ってしまいました。
◆花山天皇の思い付きといい、義懐の専横ぶりといい、宮中で起きている出来事は実資の知識を大幅に逸脱しています。不満が止まらない実資と、それを聞いていられないその妻(史実ではこれまた複数人いますが誰だろう)の掛け合いが痛快です。実資は「日記に書くまでもない」とまで言っていますが、この後の道長の有名な「望月の歌」のエピソードはその日記が出典になっているわけで、実資の妻は夫をよく分かっている気がします。
◆暗い雰囲気に満ちた宮廷ですが、打毬ではみんなが盛り上がりを見せました。打毬に加わった貴公子への注目度は大いに上がり、そのことは政治の世界でも役立ったのではないでしょうか。当時の貴族社会で遊びが政治にシームレスにつながっていた様子を垣間見た心地がします。
◆打毬の間は特に人物のセリフがない割に長めの時間がとられていて、平安の風俗を再現せんとするNHKの心意気が伝わってきました。
◆打毬に誘われていた令嬢たちを「はしたないことこの上なし」とたしなめる赤染衛門先生でしたが、表情を変えながら熱中してしまいます。衛門かわいい。
◆あの毬こないだウ●コだったやつじゃん。
◆ききょう(清少納言)は先週の登場時点で史実上結婚していたのですが、先週の段階で特に結婚している雰囲気がなかったので、今回は「まだ独身」の設定でいっているのかな...と思っていました。今週しれっと公任の口から結婚していることが明かされたので、斉信と同じで私も拍子抜けしました。彼の詰めの甘さが出てしまいます。
◆その斉信こそが、打毬の観戦にまひろを誘っていたようです。倫子を誘ったのは誰だったのでしょうか。「女こそ家柄が大事」とまで言っていたし、左大臣家との縁を望んでいる(かもしれない)公任かな。
◆今回の公任は、(あまり人がいない場面とはいえ)脱いでみせるわ髷を丸出しにしているわで、身だしなみに関する当時の貴族のコードから逸脱しまくっています。今回の公任は麗しくもトンチキな御曹司だとでもいうのでしょうか。

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