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キリシタン千々石ミゲルの青春【島原半島】
念願の天正遣欧少年使節、主に千々石ミゲルゆかりの地へ行ってきました。
長崎県の南島原市と雲仙市を主に巡っています。
4000字超えの記事になってしまったため、お時間のあるときにお読みください💦
①セミナリヨ跡
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最初に向かったのは、ヴァリニャーノ神父によって開校されたイエズス会の教育機関・セミナリヨです!
ミゲルや伊東マンショ、原マルチノ、中浦ジュリアンら天正遣欧少年使節はここで出会い、厳しい教育としつけを受けながら成長しました。
主な勉強内容
ラテン語、ポルトガル語、倫理、神学、哲学、地理学、美術、日本語の読み書き、習字、作文、日本文学
(これらの学習は、使節がヨーロッパに向かう船上でも可能な限り行われました。)
他にも
・1日1時間は必ず音楽の実習
・週に1度は必ず外で鍛錬
などが決まっており、抜かりなく教育を受けてきたのだと感じます。
1日のスケジュールは下のような感じです。
セミナリヨの平均的な1日
04:30 起床
朝の祈り、ミサ、掃除
06:00 それぞれ学課の勉強
07:30 ラテン語の学習
09:00 食事と休憩
11:00 日本語(作文と読み書き)
14:00 音楽(歌と楽器)
16:00 自由時間
17:00 食事と休憩
19:00 ラテン語の復習
20:00 1日の反省、夕べの祈りをして就寝
(学課は日によって変わります)
全寮制で外部との関わりは制限がありましたが、日曜日はお休みで、ピクニックや文化祭などのイベントもありました。
文化祭は親族の参加も許可されていたそうなので、家族と離れてハードなスケジュールをこなす学生にとって、楽しいひと時だっただろうと想像できます。
正直、戦国時代の真っただ中で回りが戦に明け暮れている中、ここまでがっつり教育を受けられるところは他になかったのでは?と個人的には思います。
日本初のキリシタン大名・大村純忠(ミゲルの叔父)は、イエズス会から
「キリシタンになったのは、キリスト教を信仰したわけではなく、西洋の技術や品物が欲しかっただけだろ!」
なんて後ろ指をさされていますが、セミナリヨで受けられる教育を考えると本当にその通りだと思います・・・
そんなセミナリヨ、ミゲル達1期生は22人でしたが、最盛期には100人を超える人々が学びました。
ちなみに伊東マンショと中浦ジュリアンは帰国後、ここでしばらく教師をしています。
実際にローマまで赴いた日本人の教師ですから、生徒から人気出そうだな・・・と想像。
きっとマンショは大学の教授タイプ、ジュリアンは人に寄り添うのが得意なので保育園の先生タイプかな。
また"有馬の"と付くのは、周りにもいくつかセミナリヨがあるからです。
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②日野江城(ひのえじょう)と天正遣欧少年使節
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有馬のセミナリヨのすぐ後ろにある、有馬晴信(ミゲルの従兄弟)が城主を務めたお城です。
島原の乱で有名な原城は、この日野江城の支城です。
使節の4人は帰国した後、この城で旅の報告を有馬晴信・大村喜前(この方もミゲルの従兄弟)に対して行いました。
また有馬さんと大村さんに、教皇やヨーロッパの国々の王からの贈り物を受け渡し、その後は宴が開かれました。
お祝いムードは1週間ほど有馬の地で続きました。
有馬晴信は使節が帰国した際、長崎港までかけつけたくらいなので(日野江城から車でも2時間近くかかる距離)、使節が帰ってきて本当に喜び、安心したのだと思います。
この式典を持って、天正遣欧少年使節として公式の行事は終わりました。
つまり日野江城は、天正遣欧少年使節の物語完結の地でもあります。
日野江城そのものは普通の丘で、人の出入りもなく、わずかに車の轍があるだけでした。
草が繁殖し、本丸に行くだけで一苦労。
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本丸
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木が壁になりわかりづらいですが、戦国時代はかなり見通しが良かったのでは。
おそらく原城も目と鼻の先だったと予想できます。
③日野江城と寺社破壊
城主の有馬晴信は1580年、セミナリヨをつくったヴァリニャーノ神父によって洗礼されています。
それを機に、有馬領内は数々の教会やセミナリヨを始めキリスト教文化が広まっていきました。
しかし、それと同時に有馬領内の神社仏閣の破壊が始まります。
40ヶ所を超える寺院が潰れ、ついには仏像も焼却、墓石は破壊されるようになります。
破壊を流れるため、近くの海辺にある洞窟には、仏教徒が隠した銅像が多数あったといいます。(のち宣教師に見つかり燃やされました。)
破壊された墓石の使い道は不明でしたが、1998年に教育委員会によって日野江城の発掘調査が行われ、階段の踏み石として利用されていることが分かりました。
南島原市による説明がわかりやすかったため引用します。
発掘調査は二ノ丸一帯で実施し、破壊され埋められていた石垣や階段遺構、多くの陶磁器などが出土した。階段遺構は、約100メートル以上に及ぶ直線的な階段となり、大手と推定される所から本丸下まで一挙に駆け上がる安土城に類似した大手道の階段であった。
この階段の北側からは、墓石などの石塔を多く使った階段が出土し、有馬氏の権力と仏教を排してキリスト教を保護した歴史がうかがえる。この階段の袖には、切石をつかった石垣も出土した。当時の城では類を見ない独特な技術で、南方の地域との交流を物語る貴重な資料である。
さすがに現在は撤去されたのか残っていませんでした。
築城年が不明なため、ミゲルたちがこの階段を上り下りしたかは分かりません。
しかしキリスト教が貿易や技術によって発展をもたらしたと共に、他宗教への弾圧や寺社破壊にも繋がったことがよく分かる城です。
④千々石ミゲル銅像
セミナリヨ・日野江城のある有馬領の中心地から、ミゲル生誕の地である千々石へ。
雲仙市役所の千々石支所にはミゲルの銅像がありました。
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これは・・・まさに王子では⁉︎
棒立ちでもないし、日本の銅像では見慣れないポーズです。
そして、等身大で自分より小さな銅像って、ミゲルと同じく天正遣欧少年使節のメンバー・原マルチノのものしか見たことなかったんですが、これも本当に小さい。
こんなに幼い頃にローマに向けて旅立つなんて、そりゃ母上も心配で反対するよね・・・と納得。
また、完全洋装ですね!
実際、旅のほとんどを着脱しやすい洋装で過ごしたそうです。
ミゲルが付けている、派手なヒラヒラのネックウォーマーは襞襟(ひだえり)といい、ヨーロッパでは首を見せるのは不敬だとされていたためです。上流階級では「権力の象徴」としても使われました。
洋装に襞襟はまだ分かりますが、教皇やスペイン王に謁見するときなど公式な場では和装だったので、着物にネックウォーマーという独特な組み合わせが出来上がります。
(伊東マンショの肖像画がまさにそれ)
台座も低く、柵も何もなかったのでここからは撮影タイム。
ミゲルの銅像はおそらくここにしかないので、前後左右いろいろな角度で撮りまくりました。
君、かっこいいよ・・・!
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⑤釜蓋城(かまぶたじょう)
順路的に最後に行くことになりました。
何も残っていないと聞いていましたが、日野江城と同じく、城跡は丘になっていてなんとなーく堀に見える斜面もありました。
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本丸の麓まで車道があったので、車(レンタカー)で山道を登ることに。
駐車場と思われるひらけたところに車を停めて外に出ると、大きな黒アゲハが2羽こちらに向かって飛んできました。
手のひらサイズの蝶で、正直怖かったので動かずに去るのを待っていると、2匹とも私の周りを1周してまた去っていきました。
初めてのことだったのですが、フォローさせていただいているDesert Roseさんが同じような体験をよくされているなと思い出しました。
上記の記事によると、
スピリチュアルの世界では黒アゲハは亡くなった人の象徴、神様のメッセージと考えられているそうです😳❗️更に、黒アゲハは武将達が好んだ転生のシンボルだそうですね😳‼️
たまたまなのかもしれませんが、釜蓋城ゆかりの方からのメッセージかもしれない、と嬉しく受け取ることにしました。千々石家の誰かかもしれない・・・なんて。
城跡は林のようになっていました。
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ここでミゲルの父・千々石直員(なおかず)は龍造寺氏と戦い、自刃して亡くなりました。ミゲルの兄弟もこの戦で全員戦死しています。
その後、松倉氏が島原城に入る際に釜蓋城の建築物や石垣を持ち去り、完全に廃城となりました。
少し下ると、鳥居が見えてきます。
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しめ縄がぼろぼろで少し崩れてきており、管理されている様子はありません。
隣に説明の看板があったため、引用します。
天満神社
御祭神 菅原道真朝臣
合 祀 千々石大和守直員
町田 兵七郎
木戸 萬九郎
釜蓋城主であった千々石大和守直員は、龍造寺軍に攻められ自刃する際、戦国の世の終結と平和を追求し、天満天神菅原道真公をこの地に祀る事を遺命し25歳の生涯を閉じた。
町田さんと木戸さんは直員と共に自刃した家臣です。
そして、直員さんの年齢にびっくり。
「ミゲルのお父さん」のイメージが強くて、もう少しお年を召しているのかと思っていましたが、25という若さだったのですね。
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天満様と釜蓋城の方々に挨拶をして、神社の敷地内にある千々石ミゲル供養塔に向かいます。
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ミゲルと思われる墓石が発見された後、
発掘調査で出てきた遺骨の一部を移葬供養したものです。
清左衛門はミゲルが棄教した後に名乗った名前です。隠れキリシタンだった可能性も考えて、「ミゲル」という名前も残したのかもしれません。
こちらにもしっかり手を合わせました。
ミゲルは生まれてから数年しかこの城で過ごしていませんが、約500年ぶりの実家はどうなのかなと想像しました。
棄教した後、大村、有馬、長崎と頼れそうなところを転々としますが、どこに行っても「裏切者」と迫害され、ついには有馬で重傷を負ったと言われています。
釜蓋城があれば、落城していなければ、帰る場所があれば・・・と考えた日もあるのではないでしょうか。
物心着くころには母しかおらず、結婚して子供をもうけても、すぐに追放によって離散せざるを得なかったミゲル。
令和4年4月に建てられた真新しい石碑は、はっきり言って周りから浮いていましたが、再会した家族と一緒に過ごせているといいなと思いました。
あとがき
「もしかして、わたし今日、草むらと石しか見てない・・・?」
と帰りにふと気づきましたが、いえいえ!たとえ石碑だけだとしても、ミゲルの故郷を訪れることが出来て満足です。
ミゲルや使節が生きた土地の空気を感じることで、より近くに感じて、理解が深まったように感じました。
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