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櫓漕ぎ船で海水浴

こんにちは、さちこです。普段は、外国の方に第二言語としての日本語を教えています。どうぞよろしくお願いします。

子供の頃の夏休みは、徳島の海沿いにある祖父母宅に1ヶ月ぐらい滞在していた。
母と子供だけが先に自家用車で帰省し、お盆休みに入ると父が電車で来て、
お盆休みが終わると、両親が代わる代わる運転して広島にあった自宅へ戻った。
本州と四国を結ぶ瀬戸大橋や、瀬戸内沿いを走る高速道路(山陽道)もまだなく、
5〜6時間ほどかかっていた(フェリー含む)のだが、母一人でよく運転したなと
自分が運転する身になって思う。
そう母に話すと、昔は今ほど車が多くなかったからと言うのだが。

本州・四国間は、
岡山県児島〜香川県高松を結ぶフェリーに1時間ほど乗って渡るのだが、
フェリー内の売店で売られているうどんが美味しくて美味しくて、
階段を上がって客室に入ったそばからお出汁の香りが漂い、楽しみだった。
香川の手打ちうどんの一大ブームを見て、だから美味しかったのかと思った。

祖父はなぜか櫓漕ぎ船(和船)を持っていて(魚屋をしていたが漁師ではない)、
お鮨屋をしていた叔父の軽四ワゴンの後ろの座席を閉じて広くしたスペースに、
水着に着替えた弟妹・従兄弟姉妹が8人ぐらい乗り、ワイワイガヤガヤと、
車で数分の港まで連れて行ってもらい、和船に乗り換え、
祖父の漕ぐ櫓で、浅瀬まで連れて行ってもらい、満潮で浅瀬が沈むまで遊んだ。
祖父は2往復目には叔父達や両親を連れてきた。

祖父の漕ぐのを助けようと、代わる代わる帆船のマストのように風をふくむTシャツを着て、手を左右に開いて立ったりした。
(助けになっていたかは、あやしい)

櫓も漕いでみたがり、代わる代わる教わったが、見るのとやるのでは大違いで、
なかなか難しく、また中々に重かった。

ある年の夏、港へ向かい、船に乗ると、
櫓があったところに、船外機が備え付けられていた。
祖父は得意げで、確かに櫓漕ぎの時より格段に早く浅瀬に着いたけれど、
ちょっぴり残念で、切なかった。

東京の江東区では、櫓こぎ体験ができると知り、
子供の頃を思い出しながら、いつか漕いでみたいと思っている。

同じく江東区の門前仲町では、
桜の時期に和船に乗ってお花見をすることができる。
コロナ禍前に一度乗ったが、櫓を漕ぐ音がとても懐かしく、
桜はとても綺麗だった。

東京は意外にも和船に乗れるところが多く、
細川たかしさんが歌っていた”矢切の渡し”が実在し、今も渡れることにも驚いた。

また、昨年佐渡に行った時に、島内ツアーの一環でたらい舟に乗ったのだが、
女性の船頭さんのご好意で、少し漕がせていただいた。
和船の櫓とは漕ぎ方がちょっと違って、おもしろかった

ちなみに、たらい船は女性が操船する船だそうで、
昔はお嫁入り道具として持参したと聞いた。

(お読みくださり、ありがとうございました。)

#わたしと海

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