まるでじぶんが思いついたかのような…
姉と、給食と晩御飯の献立が被るときの心理について話しました。
私たちにとっては、あるあるの出来事なのです。
考察としては…
朝、献立表をチェックをしますが、夕方には忘れます。
仕事を終えて、晩御飯何しようか考えたとき、朝見たメニューがまるでじぶんが思いついたかのように意識に上がるのでは?
じぶんは忘れていても、潜在意識に情報が残っていて、コントロールされているのかも!
尊敬する瞑想の先生が、情報は選んで自らとりに行きなさい、と仰っていました。
“Garbage In, Garbage Out”(ゴミを入れたら、ゴミが出てくる)
忘れたつもりでも、影響を受ける。
食べたもののように、触れたものがじぶんの一部を作る。
給食の献立表然り。
ならば、今まであった人、かけてもらったことば、読んだ本、全てが地層のように重なっていて、私があるのかもしれません。
独立した「わたし」というものはなく、相互に影響しあい、変化をしている。
そう考えるとうれしくなりました。
私はあったこと全てを覚えていません。
うれしかったことが薄れていくのを悲しく思ったことがあります。
私が忘れていても、心の奥底に消えずに残っているならば、今を生きることにします。
そして、もうひとつの発見。
給食と晩御飯が被っても、子どもはあんまり気にしなかった。
読ませて頂くあなたのnoteも、私の一部分をつくっています。
やさしいことばを、今日もありがとう!
自宅にいながら湯治場に。
オンライン上で心と身体が整い、本来の穏やかな自分に。
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