さたま

私が好きな人、全員幸せだといいなと思っています

さたま

私が好きな人、全員幸せだといいなと思っています

最近の記事

彼氏に可愛いと言ってもらえたことなんてない

人は、付き合う相手ができると可愛くなるらしい。 「可愛い、可愛い」と褒めてくれる人ができれば、それは可愛くなれるのかもしれない。 その点で言うと、私は付き合う人を間違えたのかもしれない。 見て貰えば分かる通り、私は顔面を受け入れられない位には容姿コンプレックスを患っている。 マスクなしで人混みを歩くときには、必ず下を向いて顔を認識されないようにしている。 そんな私にも彼氏と呼ばれる存在ができたことがある。 他人の恋愛関係のいざこざに巻き込まれたときに、たまたま声をかけてく

    • 「可愛い」を第一基準にしたくない

      ある友人が「あの子は顔が可愛いから友達になった」と言った。その友人は何かと顔の可愛さを強く見る人で、何かを褒める時は必ず枕詞に「可愛いし、」がつく。 顔が良くないと見做した人への扱いはぞんざいである。 聞いている私はとても辛かった。 可愛いが存在するということは、反対の可愛くないが発生してしまうことである。 そして私は誰から見ても「可愛くない」のスペースに放り込まれている側だ。 可愛いから性格も良く、一緒にいたいのであれば、私はなんなのか。可愛くないから性格もひん曲がってい

      • 女の子は皆んな可愛い

        私の顔は到底美人だと言えない顔だ 普通であるともはっきり言及することもできないくらいには、コンプレックスが積み重なっている ただ、他人の顔に対して可愛くないと思ったことがない 「女の子は皆んな可愛い」という言葉に半分賛成、半分反対の立場だ。この言葉の最初に「私以外の」とつければ完全に賛成である それくらい周囲の、世界の女の子の顔は可愛い よくSNSで容姿を叩かれている人を見る 批判している人の好みに合わなかっただけで、「普通」や「可愛い」の括りから大きく外れた人はいない

        • 父親が好きになれない、苦悩

          ここ5年ほど、父親に嫌悪感を抱き続けている 反抗期だからと言われてしまえばそれまでだが、だからと言って事態が好転するわけでもない 生活費や学費を出してもらい、養われている立場で、素直に良い気持ちを抱けないのは本当に申し訳ない 好きになれない大きな理由としては、父親が昭和の人間だからである 男だから家事は手伝い程度という認識、女の子は良い大学に行くと結婚できなくなるという思考、私たちへの体型のいじり、感情の起伏が激しい 全部に寒気がする この中でも家事問題に関しては、一生納得

        彼氏に可愛いと言ってもらえたことなんてない

          私の周りの男性は自分の話しかしない

          主語が大きい話をする。 私の周りの男性は、自分の話しかしないことが多い。 集団で話しているとそうでもないが、どこかへ遊びに行ったり、二人きりでお話したりすると途端にそうなる。 なぜなのか。 私だって、相互の掛け合いとしてコミュニケーションを楽しみたい。 相手が話していることに意見を言いたい。 笑顔で相槌をする機械としてしかみられていない気がして、どっと疲れが湧いてくる。 初めて付き合った彼氏は、自慢ばかりする人だった。 私が話題を振ると全て自分の自慢話として掻っ攫ってくる。

          私の周りの男性は自分の話しかしない

          顔面コンプ、劣等感

          思春期であれば、誰もがコンプレックスの一つや二つ抱えていることだろう。 そうであると思いたい、自分だけではないと思いたい。 私が一番強いのは容姿への執着。 面長で中顔面が長く、人中も長い。 今の可愛さの概念からはかけ離れている。 醜形恐怖症ではないかと疑ったが、「ありもしない容姿の特徴にとらわれる」わけではない。 ありもしない、ではない。ある、確実に。 元彼氏に相談したところ、「ブスではないと思うよ、普通だよ」と言われた。死にたい。 別の人には、「今まで好きになった人は、美人

          顔面コンプ、劣等感