顔面コンプ、劣等感

思春期であれば、誰もがコンプレックスの一つや二つ抱えていることだろう。
そうであると思いたい、自分だけではないと思いたい。
私が一番強いのは容姿への執着。
面長で中顔面が長く、人中も長い。
今の可愛さの概念からはかけ離れている。
醜形恐怖症ではないかと疑ったが、「ありもしない容姿の特徴にとらわれる」わけではない。
ありもしない、ではない。ある、確実に。
元彼氏に相談したところ、「ブスではないと思うよ、普通だよ」と言われた。死にたい。
別の人には、「今まで好きになった人は、美人ではない人だよ」と慰められた。消えたい。
特別な存在であるはずの恋人でさえこうなのだから、確実に私は美人ではないのである。
女子である以上、顔面が良くないということは人生に大きなデバフをかける。ルッキズム社会。
可愛い子との無意識の扱いの差に泣いたことは数知れない。
せめて普通であればと思い、メイクや髪型を変えた。
生まれ持った骨格を恨むだけだった。
私だって美しい顔で人生を謳歌したかった、鏡を見て泣きたくなかった、写真を撮るときに恐怖したくなかった、集合写真を必死に拡大して事故っていないか確認したくなかった。
劣等感ばかりで生きていくのは辛い。
なんかの間違いで、神様から「あなたの顔面は偏差値50、真ん中も真ん中ですよ」ってお告げが来ないかな。
これも高望みって世間が言う?

別に他人に対してブスだと思ったことはない。
周りに恵まれているのか、自称進学校だからか、表立って罵る人も見ない。
みんなキラキラ輝いている。
女は愛嬌だと言われるが、その言葉に救いを求めている
常に笑顔で、少し間の抜けた喋り方で生きている。
これが愛嬌なのかと問われると疑問だが、私の防衛策だ。
顔面で不快感をあたえるかもしれない以上、他のところで減点されてはたまらない。
女子としての価値は見出されなくとも、人として関わりやすい人間になりたい。自己肯定感が低いなりに生きる


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