見出し画像

「幸福」って結局なんなの?について語る

人って生きてる限り探し続けるじゃないですか。「幸せ」ってもんを。
でもさ、そもそも幸せって何?神様やサンタさんじゃないけど、会ったことも話したこともないからよく分からんし…もののひとつな気がするんですよ。

目に見えない、形のないものだからこそ無理やり形で表現して「私は幸せなのか?」って他者と比較したり判断したいもんだと思う、人間は。

例えば女性なら彼氏いるかとか結婚してるかとか、子供はいるかとか、旦那とは仲良しかとか、持ち家かとか、車何乗ってるかとか、会社でどんな立場にいるのかとか、いくら稼いでいるか、あと自分の顔は平均以上か?とか身に付けてるもののブランドとかさ。

日経でも「30代の平均年収」とか記事あってさ、何をして稼いでいるか?とか、その職業によってどのように社会貢献しているのか?とか無視して、さも自分が世の平均年収を稼いでなければ、イコール自分は普通以下で幸せじゃない、評価してもらえないみたいな感覚に陥ってしまいそうなタイトルが溢れている。

偉そうに言ってるけど、私だってそこそこ他者と自分を比較しては「私は幸せ?不幸せ?」みたいな比較ごっこしては落ち込んできた。私は決して美人なタイプではないし、学校でテストの結果どうだった?とか、某雑誌で紹介された「美容体重」より細いか太いかとか、人並みにさ。

で今はどうかっていうと、結論から言うと誰がどう言おうと私は幸せです

でもパチクリ二重の美魔女でもなければスタイル抜群でもないし、なんならセルライトボコボコの太ももで、稼ぎはそこそこだし、持ち家ではないし、車は年季の入った国産車を乗り回してるし、子供たちは決して高額なインター校に行っているわけでもない。

側から見たら「何を持って幸せなの?そのフツーの暮らし」と思うくらい、至って地味な生活をしている自覚はあるけれど、その一般的にいう「地味な暮らし」ってのが、今の私における「幸せ」なんだなって、思うんです。

ダイバーシティバンコクに移り住んで、いろんな国籍の人のいろんな価値観と触れてきてしみじみ思うけど、「幸せ」ってさ、人それぞれなんですよ。世の中にいろんな性格の人がいるのと同じくらい、いろんな幸せのカタチがある。そして、そのカタチを決めるのは誰でもなく、自分自身。当たり前だよね、だってあなたの思いの内なんかあなたにしか分からないんだし。今のあなたの価値観はこれまでのあなたの環境や経験で培われてきたもんなんだから。

別に毎日煌びやかに着飾ってなくても、毎日似たような服を着て、子供達が健康で日々楽しそうに学校での出来事を話してくれる姿を見て、ふと「ああ、幸せ」ってフツフツと湧き上がってくるそれ、それがまさに「幸せ」だと思うんだよな。

あ、別に着飾ることが悪いと言ってるわけではないです。私だって「着飾りますか?着飾りませんか?」と選択肢を求められたら「着飾れるんなら、じゃあぜひ」って言うと思うよ。ブランドもんだって嫌いじゃないよ、人生に一度はバーキン持ちたいって思ってるよ?

大事なのは、世間一般が一生懸命形作った「幸せ」があなたのそれと一致してるとは限りませんよってこと。そしてそれは誰も教えてくれない、あなたが自分で知るしかない。真面目に授業聞いてたって、先生は教えてくれないんですよ。先生だって知らない可能性の方が高いからね。自分が知らない事教えらんないっしょ?そういう「誰も教えてくれない事」を教えるのが親の役目だとすら思ってるんだけどね、アタシは。

何が言いたいかって言うと、「私の幸せとは?」と自己追求することなく、世間一般の「幸せのカタチ」と比べては足りない…とネガティブな気持ちになったり、SNS上の煌びやかな女子を見ては悲しい気持ちになんてなる必要はない。

あなたはあなたの幸せのカタチがある。今はをそれを知らないから(ゴールが定まらないから)どこ向かって走ったらいいのか路頭に迷ってるだけだって。私もまだまだ探してる途中だけど、自己開示し始めたら結構見えてきたし、見えた先にいた「地味な自分」を愛おしくすら思い始めている。そんな自分を心地よいと思えている。

もちろん、自己開示しないと人生終わりではないし、理想の自分を演じたまま死んでいくことを幸せと思うなら、どうぞどうぞそうしてください!なんだけど、頭で考えることと心で考えることが一致しない限り、が満たされることはないと思うんですよね。魂が満たされないと、本当に幸せとはいえないような。あスピはよく分からんですよ、私は。

だからさ、もっと肩の力抜いて緩く生きていこうぜ!って言うのを言いたかったわけです。

サイコー!地味なアタシ♡


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?