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山小屋物語 6話 星降る夜に

山小屋には夜勤の番頭がいる。午後三時ごろ起きてきて、すぐにツアー客到来の接客最前線に投下される部隊だ。夜十時頃、他の従業員が寝た後も、夜勤は寝ずの番をする。彼らのお陰で、深夜に数百人もの客を山頂に向けて送り出せるし、事故やトラブルがあっても24時間対応できるのだ。

また夜勤は長い夜の間、小屋の出入り口の囲炉裏端に陣取る。
そのポジションの番頭の法被の裾を見ると
足首まである。
な、長い!!! 長すぎる。
どこの大正時代の
バンカラ番長だというくらい、長かった。
闇に紛れて長い法被をひるがえす夜勤の男は、それはそれは歌舞いてみえた。
懐中電灯に照らされてニヤリと笑うその姿。
夜の帝王という呼び名がぴったりだった。

夜が明けて、女の子が朝食を作るため、薄明かりのなか厨房に出ていくと、
ステンレスの食器棚の向こうに、ゴキブリ・・・じゃなかった、黒っぽい法被を着た夜勤の姿が見えることがあった。そんな時、彼らは、疲れで頭がおかしくなっているから、直接相手を見つめることはない。やつらは必ず、金属の壁に反射した像を見ながら、「おはよう」と言ってくるのだった。

ちょっと意味が分かりませんよね。
私にも分からないです。でもあいつらが夜勤明けにそう言ってたんです、確か。

???

昼頃、厨房のドアをからりと開け、助さんが顔を出した。すらりと背が高く愛嬌のあるおじさまスタッフだ。

「よっ、おまえら、チューしてるか?!チューしてないから唇がっさがさになっちゃうんだぞ🖤」といいながら自分の唇にリップを塗る助さん。

キャー!なに言ってんのよ!
助さんのエッチ!

厨房の女の子達はいそいそと鏡を覗いてリップを塗る。奥さんが年頃の女の子達のために、厨房の柱に小さい鏡を取り付けてくれていた。

またある日、
「おまえら、りんご酢飲むか?お肌ツルッツルになるぞ、美容にいいんだぞ〰️🖤」と、厨房の棚に置いていってくれる。

キャーありがとう💓
助さんたら乙女心分かってるぅ。

女の子達はいそいそとコップにりんご酢を注いで酸っぱい酸っぱい言いながら飲み干す。

助さんは女の子に人気がある。たとえパパくらいの年齢だとしても、かっこいいパパとして人気があった。
レディファーストの意味もわかっていない、十代の番頭たちとは違う、大人の包容力があった。

なお年配のスタッフが絶大な信頼を置かれる理由としては、やはり小屋全体の流れを理解してることに加え、救急救命や行方不明者捜索、野生の獣を猟銃でしとめる、嵐のやり過ごし方、落石間一髪等、
厳しい環境での経験が豊富、というのが挙げられるだろう。

ある時、
助さんが、心肺停止した登山客の心臓マッサージを懸命に行い、そのお客をモモさんの運転するクローラー(小さいブルドーザーみたいな乗り物)の荷台に乗せて、5合目に待つ救急車まで搬送する(一時間以上、山道でガッタガタの車上で、救命処置をし続けるということ)様子を目撃してから、
私は心から彼らのことを尊敬している。

🌼🌼🌼

ある夜、23時ごろ、私は目覚めた。
離れの厠に向かうと、奥で夜勤の田村くんがタバコを吸っていた。
「あっこちゃん、星が綺麗だからいっしょに見ない?」
小屋と厠の間は幅三メートル程の道になっていて、少し歩くと山小屋の明かりが届かなくなる。
真っ暗闇だ。
田村くんに促されて上を見ると、満点の、それこそ宝石箱をひっくり返したような星空が広がっていた。

「わあ、すごい」
もう気持ち悪いくらい、細かな星がびっしり見えた。天の川が見えると聞いていたけれど、
もはやどれが天の川だか不明瞭なほど、小さな星ぼしがひしめきあって輝いていた。

「綺麗だよね。」
タバコをくゆらせながら田村くんは言った。

寒い。
八月の富士山、夜の気温は10度を切る。
「このコート羽織りなよ」
そういって田村くんは肩にコートを掛けてくれた。

恋に落ちた二人なら、この場で盛り上がって告白されたりするんだろうが、単に星がすごいねって話をしたいだけらしかった。

この場所で過去 何百、何千人の若い男女が、
星を見ながら愛を語ったのか、
検討もつかない。山小屋の歴史は室町時代から・・・だったか。
この小屋だけでなく、あの小屋でもその小屋でも、番頭と厨房の若者が、
今宵、
「星を一緒に見ない?」と、語っていることだろう。

★★★

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