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「躁鬱大学」を読んで ~自分なりのまとめ:自分らしく生きるとは~

坂口恭平さんの「躁鬱大学」を読んだ。

感想は「気持ちがとても楽になった」だ。

坂口さん、本当にありがとう、と言いたい。

この「躁鬱大学」を読んで僕が感じたことなどを、記しておこうと思う。

ただはじめにお伝えしておきたいのは、

この記事は僕が読んだ「躁鬱大学」の感想なので、

あくまでも僕の「主観」だ。

なので、この記事を読んで何か感じるところがあれば、ぜひ実際の書籍や

後述の神田橋語録を読んでもらいたい。


               **

まず、僕の背景からお話しすると、

僕も坂口さんと同様の躁鬱病(双極性障害)の診断をされている。

正確には”されていた”だろうか。

僕はこれまで服薬していた薬を晴れて卒業し、

クリニックへの通院も終わる見込みだからだ。

坂口さんも著書の中で言っているが、

診断は血液検査などの客観データからの判断ではない。

あくまでも、患者からの申告情報から医師が判断したものだ。

僕は当初うつ病の診断だったが、数年経って落ち込みがなくなってきた時

逆にイライラや怒ることが多い、と思うようになり主治医にそれを伝えた。

というか、そういう状況を調べて「双極性障害かも」と思ったので、

そのように伝えたのだ。

その時から服薬する薬は抗うつ薬から、

リーマスやバルプロ酸の服用に変わった。

その後、うつ病と診断された時ほどの落ち込みはその後なかったものの、

気分の浮き沈みは変わらず激しかった。

               **


「躁鬱大学」を読んで、さらにはそこで取り上げられている「神田橋語録

を読むことで、「そっか、そうすればいいのか」と気持ちがスッとした。

僕が今回ここで述べたいのは、躁鬱人やメンタル疾患を抱えている人達は

自分が一番生きやすい方法を自分で見つけていく

ことが必要だろうということだ。

躁鬱人やメンタル疾患を抱えている人達は”特に”という意味で、

メンタル疾患を有していない方々も同じだとは思う。

坂口さんは著書の中で、

これまで躁鬱人(躁鬱は特徴で”病”でないと述べている)が書いた本は無い

と言っている。

僕自身調べたことはないけれど、間違いなくそうだろうなと思う。

大抵は医者の方による客観的視点からのものだろう。

そんな中、坂口さんはご自身のご経験をモデルケースとして、

「これは性格じゃなくて躁鬱人の特徴だよ!」

と言ってくれている。

僕は書かれている多くに対して「そうそう、そうだよ!」と思った。

一方で、「ここはちょっと僕とは違うかも」と思うところもあった。

ただ、違うと言っても180度違うわけではない。

そもそも躁鬱人か否かに関わらず、人は100人いたら100人とも違う。

完全なコピーなんていないし、坂口さんと完全に同じではない。

でも、共感できる部分が多いのは疑いがなく、「同じ人種だな」と思える。

だから躁鬱大学を読んで

「僕は私はここが違うから、当てはまらないかも」

という結論を出さないで欲しい。


例えば、坂口さんは躁鬱人の特徴として

「一人ではいられない」

というような内容を記している。

(補足しておくと、坂口さんは人とほとんど会わない生活をされているが、

それは単純に多くの人と会うと疲れるからである。

様々な方法で人と関わるようにされている。)

一方で、僕は一人でいることが苦でなく、

このコロナ禍で人と会わなくなってから精神的にもかなり楽になった。

僕は、苛めにあってから人に対してかなり懐疑的になっている。

寛解を目の前にしている今でこそ「自分は自分」と考えられるが、

周囲に対して常に懐疑的な気持ちでいることは本当に疲れる。

躁鬱大学でも、「躁鬱人は周囲に気を使う」とあるが、

僕も周囲に気を配り空気を読み人の観察をする。

それに加えて懐疑的な気持ちが入ってきて、

それに対する自分の考えや行動をどうすれば一番良いか

というシミュレーションを休みなく頭の中でやっていたら、

そりゃあ疲れないわけがない(笑)

だから、僕は今は一人でいることが楽で、寂しくはない。

つまり、バックグラウンドが違えば、

人の感じ方も変わってくるということだ。

「一人」ということに関して、

もちろん信頼できる親友等には会いたいと思うが、

一人で好きなことを黙々とやっているだけでも十分楽しいと思っている。

ただ、今後この感じが変わってくることもあると思っている。

また、リアルで人とは会っていないけれど、

オンラインサロンなどネット上での交流は少なからずあって、

そこでの「対人関係」は存在している。

なので正直なところ、

「一人が楽」とも言い切れないかもしれないし、

坂口さんのような人との付き合い方が合っているんじゃないか、

とも思っている。

少し矛盾したことを述べてしまったかもしれないが、

要は、度合い・バランスなのかなと思う。

人は一人では生きられないし、

僕だって時々は「一人で寂しい」と思うこともある。


また、坂口さんは

「文章は書けるが本は読めない(本を開いて必要な場所を読むのは得意)」

とも述べている。

僕も文章を書くのは好きだが(これも朝4時に起きて書いている)、

本を読むのも大好きで、小説も大好きである。


ちょっと話が脱線しそうになっているけど、

結局のところ、

人が好きなことや得意なことは人によって違うので

どういう状況・環境だと気持ちが楽で楽しくて幸せか

というのを自分で見つけていくしかない

のだと思う。

そのために、坂口さんの著書を参考にして、

自分の気持ち良くなる方法を模索していけば良いのではないだろうか。

少なくとも躁鬱大学を読むことで、

「自分だけ違う」という感覚からは逃れられるんじゃないかと。


坂口さんの著書では「自分の薬をつくる」「お金の学校」を読んだ。

「自分の薬をつくる」を読んで、

僕も9時−4時睡眠生活を始めたり、

自分の1日の時間割を作成したりしてみた。

(躁鬱大学でも「好きなことを自分に問いかけてみて時間割を作成する」

ということが書かれていたので、やってみようと思っている。)

僕自身は、それがとても体に合っていたから、今も続けている。

そうやって、自分で色々とやってみるのがいいんだと思う。

同じようにやってダメなら、ちょっと変えてみるとか。

そうやって自分に合う環境を作っていけばいいんだと思う。

人それぞれ仕事も違うし「そんなことできない」と思うかもしれない。

でも、小さなことでもできることから(睡眠時間を1時間早めるでも)

やるのとやらないのとでは全く違う。

小さな変化はまた次の新たな変化を生むと思う。

だから、ぜひこの「躁鬱大学」を読んでみて、

沢山の人に小さなことから自分の生活に変化をつけてみて欲しいな、

と願わずにはいられない。

今は坂口さんの事例しかないけど、色々な人がそれぞれの事例を発信して、

それをまとめられたら面白そう、と個人的に妄想したりしている(笑)


若干まとまりない文章ですが、思ったまま書きました。

ここまで読んでくださってありがとうございました。


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