自分のための朝ご飯をちゃんと作って食べる。 当たり前のようなことだが、夫と子供の弁当を作り、朝ご飯を食べさせ、夫を送り出し、子供を送って家に帰ってくると、やっと自分の時間。 しかし仕事もすぐ始まる。 つい自分の朝ご飯がおろそかになり、お菓子のようなものをつまみ始めたりお昼と一緒でいいやなどとして仕事しながらダラダラちょっとずつ食べたりする。それが結果自分のためになっていないと言うことだ。 産後の体はどんどん太り始め小さな蓄積が大きな塊になって私はぶくぶく太った。 好きな服はど
はい私です。 よく、こうなります。 ノリの良い2人と、いまいち乗り切れない私。 いわゆる隠キャだからなのか。 絶対私以外の2人が盛り上がる。 もう、そうなるとどうして良いかわからない。 2人で楽しくやってくれ とおもってしまい、どう絡んで良いのやらわからなくなる。 そろそろ、この現象に名前が欲しい
こんにちは。 いつもいつも自分の吐き出しをここでさせてもらっています。 長らく外見コンプレックスと付き合ってきましたが、ようやく出口が見えてきた気がします。 気に入らない自分の身体。 でも、そんな思いに縛られてるうちに 人生終わっちゃう。 40代を迎えると、色々なところで人生折り返しと言われる。 でも、80代まで生きられるって誰が保証してくれた? 明日、明後日、死んじゃうかもしれない。 それならもう、楽しんだもん勝ち。 今日は必要に駆られてUNIQLOまで来ました。
ルッキズムなる言葉を知ったのはつい最近。 度重なる外見コンプレックスに嫌気がさして この考えはなんなんだろう?と 調べて出てきた言葉だった。 私は容姿に自信がない。 というか、自分の容姿が好きになれない。 痩せているひとが本当に羨ましい。 かわいい顔も羨ましい。 癖毛じゃないヘアスタイルも。 差別的なことを感じ取るセンサーがかなり敏感で、自分が得られないチャンスを得ている人を見ると、自分が良いなぁと思う容姿の人だったりするもんで、そうなるともう、妬みが止まらなくなる。
頑張らないと愛されない そんなキーワード、割とよく目にします。 そんな苦しいことある?ありのまま、愛されたいよなぁ?って思っていましたが、私の中にもどっさりありました。 一見、不自由のない子供時代。 でも、心の奥底に抱えていたのはこの 「無価値感」 でした。 それに気づかせてもらったのは、昨日受けたカウンセリングでした。 仕事、家事、育児、自分の夢。 詰め込み過ぎて疲れた自分がおかしくなりそうで申し込んだカウンセリングでした。 次女として生まれた私は、かなり小さい時から
世の中、それだらけだと思います。 自己啓発の本やサイト、素敵な人の発言の中によく、「やりたくない仕事はやらないだけです」という言葉を見つけます。 すこし、黒い自分が登場してしまうのですが、じゃあその、やりたくない仕事は他の誰かがやってくれています。 やりたくない仕事を選ばざるを得ない人の方が多いのかもしれません。 なので、やりたい仕事をしている人が凄くて、憧れの存在っていうのはわかるのですが、比べて自己嫌悪することはないと思います。 どちらも同じだから。 やりたくない
私は幼なじみや、小中高校生の頃の友だちと誰ともつながっていない 当時はそこそこうまくやっていた。 親友だなんだと言ってつるんでいた子もいた。 しかしその関係のどれもが、卒業すると終わっていった。 今の自分からみて、当時の自分はとても同じ人間には見えない。 つねに、こういう存在でありたいという 理念のもとに、自分を演出していた。 だから、自分らしさみたいなものがどこにもなく、誰からもよくわからない印象の人だったのだと思う。 そして、その印象操作は特別上手いわけでもなく