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無価値感

頑張らないと愛されない
そんなキーワード、割とよく目にします。
そんな苦しいことある?ありのまま、愛されたいよなぁ?って思っていましたが、私の中にもどっさりありました。

一見、不自由のない子供時代。
でも、心の奥底に抱えていたのはこの
「無価値感」
でした。
それに気づかせてもらったのは、昨日受けたカウンセリングでした。

仕事、家事、育児、自分の夢。
詰め込み過ぎて疲れた自分がおかしくなりそうで申し込んだカウンセリングでした。

次女として生まれた私は、かなり小さい時から姉にはない付加価値を自分に課してしまっていました。親の愛がどうだったかはわかりませんが、無意識に姉より秀でた部分があれば、認めてもらえる!と意気込んでいたように思います。

姉は、素直でおっとりしていて、あまり自己主張もなく優しい女の子でした。高校受験も大学受験も、自分の学力より少し下の学校に推薦で入り、派遣社員になり2年ほどたったらその会社の社員と結婚し、寿退社。20代半ばでママになりました。

私はというと…
その全て逆を行くような人生でした。

受験も、かなり頑張って勉強して希望の学校に入ったり、仕事をしながら夜間の専門学校に通ったり、少ない給料から実家に入金したりしていました。
実家は特にお金に困っていたわけではないのですが、社会人として家にお金を入れるという行為に自分が満足していたのだと思います。

それもこれも、かなり頑張って来ました。

でもどうして、そんなに頑張ったんだろう。

そんなこと考えたことなかったのに、昨日受けたカウンセリングで出てきた自分の言葉に驚きました。

「ダラダラしても認めて欲しい」

私、、無理してたんだなと思いました。
頑張らなくても、特別なことをしなくても愛される存在が羨ましいと思ったんです。

思い返せば、ママ友に対する感情もまさにそれでした。

専業主婦のママ友が多いのですが、
みんなのびのびと旦那さんに大きい態度を取ったり、カカア天下として家庭が回っているのが羨ましくてしょうがなかった。

私はやりたくない仕事をがんばって大黒柱として家庭を支え、家事もやり育児もやり、自分のささやかな夢も諦めずに日々過ごしているけれど、いつだって夫の機嫌が気になるし、私が頑張らないと生活できない状況なのに私が家族の機嫌を取っている状況だったから。

だから、ママ友がのびのびしているのが不思議でならなかったのです。

お金稼がないのに嫌われないの?

そんなことを思っていたのです。

ここがまさに、私の悲しみの核なのだとわかりました。
お金を稼ぐということが、自分の付加価値になってしまっていました。
仕事を辞めたら人権までなくなるような気がしてしまうのです。怖いのです。
これは、子供の頃親に抱いていた思いと同じです。頑張って家にお金入れるから、私を認めてね。という、気持ちの表れでした。

頑張らなくても愛されたい。

ここに気がつけたのは、人生折り返しの今で良かったのかもしれません。

色々と、、手放していこう。

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