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私自身がルッキズム

ルッキズムなる言葉を知ったのはつい最近。

度重なる外見コンプレックスに嫌気がさして
この考えはなんなんだろう?と
調べて出てきた言葉だった。

私は容姿に自信がない。
というか、自分の容姿が好きになれない。
痩せているひとが本当に羨ましい。
かわいい顔も羨ましい。
癖毛じゃないヘアスタイルも。

差別的なことを感じ取るセンサーがかなり敏感で、自分が得られないチャンスを得ている人を見ると、自分が良いなぁと思う容姿の人だったりするもんで、そうなるともう、妬みが止まらなくなる。

太る原因は、そういう心の不安定さから来ていると思う。
同じことをやっていても、容姿が優れている人の方がさらに注目を浴びるし、人気も出る。

例えば歌手になりたいとして、同じような歌唱力を持っていたら、絶対容姿の良い人が人気が出てしまう。それがやるせない。
中身は同じなのに。

思い当たる最初の差別は学生時代。
飲み会終わりに男の子が女の子を送って行こう、と言う流れになった。
私はひとり別方面なので期待はしていなかったが、あまり人のないエリアなので、誰か途中まででもきてくれたら有り難かった。
しかし、男子たちは酔いもあってか、本心が隠せない状態になっていて、人気女子を取り合うようになっていた。
それぞれ女の子には2、3人ずつ護衛が付いたが、私には0人だった。
もう帰ろうとした途端、余計な声が聞こえた。
おい、誰か〇〇さん(私)を送れよー!
いや、俺は△さんを送るわ
俺は◻︎さん!

もう、やめてくれ、と思った。
普段友達として冗談など馬が合うな、と思ってた男友達でさえそうなるのだから、虚しかった。

確かにその飲み会に来ていたのは、クラスでもモテる女子だらけだった。私はそのグループに入りたくて、なんとか入れてもらって嬉しかったが、こういう仕打ちが待っているとは想像もしなかった。

ここで本題に戻るが、そもそも私はなぜ、容姿の優れたいわゆる一軍に入りたいと思うのか
これが問題だと思った。
自分自身が、付き合う人間を外見で選んでいたのだ。
一軍女子はやはり華やかだが、自分はその輪にいる時常に無理をしていた気がする。
本当に心から楽しいと思える友達を探せなかったことがとても悔やまれる。

40代になった今でも容姿コンプレックスが無くならず苦しかったが、少しずつ自分を知って、癒していこうと思う。
その先に、自分のことを好きになれる日が待っているに違いない。

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