星野源になりたい人生だった。【仕事観】

みなさんこんにちは。
ショーゴです。

昨日(21/5/19)夕方、驚きのニュースが日本中を駆け巡りました。

星野源さんと新垣結衣さんが結婚!
その一報が発信された時、僕はコワーキングオフィスで打ち合わせ中だったのですが、チラッと目に入り思わず「え!!!」と大きな声をあげてしまいました。

というのも僕はずっと前から星野源さんに憧れていまして、僕自身のキャリア形成に大きな影響を与えてくれた人だからです。
ということで今回はたまには時流に沿ったテーマで、星野源さんに憧れてきた理由についてまとめました。

きっかけはサカナクション

僕が星野さんを知ったのは東日本大震災があった2011年、サカナクションvo.山口一郎さんと一緒にUStreamやラジオをしていたことがきっかけでした。

元々サカナクションの大ファンだった僕は曲だけじゃなく、山口一郎さんの様々な活動もチェックしていたところ、サケノサカナという番組を通じて彼を知りました。

一郎くんが好きな人なら、という気持ちで星野さんをチェックしていくうちに彼がミュージシャンだけではなく、演劇人でもあり、文筆家であることもわかり、多彩な人だなと驚いたのが最初の印象でした。

ちなみに星野源さんの曲の中で一番好きなのは、アルバム「エピソード」に収録されている「くだらないの中に」です。

なんてことない日常の中にある幸せを歌ったこの曲の歌詞は、当時僕の理想の日常像でした。大ブレイクした「恋」以降で星野源さんを知った方にもぜひ聴いて頂きたい一曲です。

「自信のなさ」が出発点

2013年、星野さんが「ものづくり=仕事」をテーマに綴ったエッセイ「働く男」に出会いました。この本が今の僕の働き方に大きな影響を与えることになります。

星野源さんといえば、大ヒット曲「恋」をはじめ、今やヒット曲を次々と発表するアーティストではありますが、元々は「歌のない」インストバンドを率いていたことをご存知でしょうか。

SAKEROCK。
20歳の頃に結成したこのバンドは「声に自信がないからインストバンドにした」とのちに本人が語っています。
(これはこれでめっちゃ良いので聴いてみてください!)

学生時代から自分に自信がなく、周囲とのコミュニケーションがうまくなかった彼ですが、中学生時代からすでに演劇と音楽を始めていたそうです。
周囲からは「どちらも中途半端に終わる」「大成しない」「やりたいことは一本に絞れ」と言われ続けたものの、絞るどころか文章を書くことも始めて幅を広げていきました。

そんなエピソードを読んで、周囲にいじめられ、うまくコミュニケーションが取れなかったけど「好きなこと」には正直でありたかった、そんな自分の学生時代を重ねていました。

「才能」とは

今でこそ多彩な才能を全領域で発揮している星野さんですが、全てが最初から売れていたわけではなく、むしろその逆でした。

「『才能がない』と言われ続けたけどあきらめず、知人に編集者を紹介してもらい、頼み込んで仕事をもらった」

文筆活動も最初は小さいスペースの記事だったものが、徐々に文字数が増え、連載になり、エッセイ集の出版に至ることができたのは、圧倒的な行動力と努力量がなければ成しえないことだと思います。

才能やセンスってよく使われる言葉ですが、それって必ずしも生まれ持っているものではなく、知識と経験の積み重ねによって後からでも発現できるものなんだって気づかされたのが僕にとって衝撃でした。

星野源さんは「働く男」の中で才能についてこのように綴っています。

「才能があるからやるのではなく、才能がないからやる、という選択肢があってもいいじゃないか。そう思います。いつか、才能のないものが、面白いものを創り出せたら、そうなったら、才能のない、俺の勝ちだ」

僕自身、学生時代から30代に至るまでずっと「何者」かになりたくて、でも自分にはこれというものがなく自信がない、そんな気持ちを抱えたままただ目の前の仕事や生活に追われる、そんな人生を送っていました。

バンドや演劇、いろんなことに手を出してみるもののどれも中途半端だったことでなおさら「自分には才能がない」と落ち込み、自身の限界を決めつけていたと今振り返ると思うのですが、彼のこの本に出会った時、自分に足りないものに気づくことが出来ました。

「好き」を突き詰める。

「好き」に正直に生きる

書くことと同様、高校生のときから、
「星野くんには役者の才能はないよ」と言われ続けてきました。
でもやるんです。好きだから。

内気な性格ながらもコツコツと自分の中で積み重ね、結果につなげてきた星野源さんの仕事観には圧倒的な「好き」があります。
そしてその「好き」を「絶対に仕事にする」という強い執念を感じました。

じゃあ自分がこれまでなぜいろいろ中途半端になったのかを振り返ってみると、人から「上手くない」と言われる(評価される)のが怖かったのだと思います。でも、音楽も演劇も好きで始めたのなら、誰が何と言おうと自分の気持ちに正直にひたすらやればよかった。そう、後悔しました。

誰の為でもなく、自分の為に。

今、僕は人事を軸にしながら複業家として様々な組織を跨いで働き、好きな人たちとコミュニティで純粋にやりたいことを次々仕掛けるという「越境複業」スタイルになりました。

よく「大変そうですね」と言われます。
確かに、どこが仕事でプライベートなのか、その境界線は曖昧かもしれません。でも不思議と苦痛はないんですよね。1社で勤めていただけの頃の方が正直苦しかったです。
これが星野さんの言う、好きなことだったらいくらでもやり込める、ということなんだろうなと感じます。

自分が好きなことを、好きな人たちとする。
そこを追求していったら自然と今のスタイルになっていったのですが、すると同時に自信がついていくのも感じました。

それは、好きなことだから突き詰めることができ、突き詰めれば成果が上がり、成果が上がれば認めてもらえる・褒めてもらえるから。
組織を越境して働いているから褒めてくれる人もたった一人の上司だけじゃなく、たくさんの人が見てくれて褒めてくれるから。

そんなプラスの流れになったのだと思います。

仕事って「楽しい遊び」なんだ

好きなことに全力で打ち込み、順風満帆に思えた星野さんに2012年、大きな試練が訪れます。2012年から2013年の間で2度の病気療養。
病名は「くも膜下出血」。
この出来事がきっかけで彼の中の仕事観にも変化があったことを「働く男」の後に出版した著書「甦える変態」の中でこう綴っています。

仕事が中心の生活ではなく、己が中心の生活に変わった。「仕事がないと生きていけない」ではなく、「仕事って楽しい」「でもなるべくサボって遊んでいたい」という性格に変わった。

病気になる前は、働き続けることだけに生きがいを感じる、ある意味で仕事が自分の全てで仕事に依存していたとも言える状態だった。
それが病気をきっかけに、仕事を人生の中にたくさんある「楽しいこと」のうちの一つだと考えることで、以前よりも純粋に仕事を楽しめるようになったようです。

星野さんのくも膜下出血に比べれば小さな話ですが、僕自身も数年前に尿管結石になって深夜に突然倒れた経験があり、その時の絶望感といったらすごかったです。

あ、人ってこうもあっけなく死ぬんだ。

この時ほどリアルに「死」を意識したことはありませんでした。
(尿管結石は命に関わる病気ではないものの、その痛みレベルは病気での痛さトップ3に入ると言われています。実際、本気で死ぬと思いました。)

仕事が全てだと思っていたのは僕もそうで、当時は仕事だけが自分が人に必要とされる手段だと感じていたので、夢中になって働き詰めていました。
そしたら突然倒れ、約2週間仕事はセーブ・出張禁止となって、なんか、空っぽになっちゃったんですよね。

でも、その時に家にいる時間が長くなり、家族と触れる時間や自分について考える時間をたくさん取れたことで、仕事は「目的」ではなく「手段」であると気づくことが出来ました。

「仕事って楽しい」

「でもなるべくサボって遊んでいたい」

そして、今は星野さんと同じく、仕事を「大人の楽しい遊び」だと思えるようになり、日々の生活を大切にしながら、仲間たちと面白いことを仕掛けています。


いかがでしたでしょうか。
このように星野源さんに憧れ、作品に触れる中で仕事観が形成された僕ですが、ようやく星野さんと同じくパラレルキャリアになれたと思ったら、彼はガッキーと結婚し、また差が開きました!!(追いつけるわけない笑)

そんな冗談はさておき、人生一度きり、自分の人生を楽しくできるのは自分だけなので誰に何と言われても好きな人たちと一緒に「好き」を追求することをこれからも続けていきたいと思います。

あらためまして。
星野源さん・新垣結衣さん、このたびはおめでとうございます。

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