ぼくが教員になった理由
ぼくが何者かを知っていただくために、
自分自身の整理のために、
ぼくが教員になった理由と
教員を辞めた理由を書きます。
これから教育に携わろうという方、就職しようという方に参考にしていただけたら嬉しいです。
それ以外の方もお手柔らかに読んでいただけたら幸いです。
大学1年でヒッチハイクへ
高校生の時に将来のことをうっすらと考え、「地域の人たちと一緒に現場で仕事ができたらいいなー」なんて思い、地域行政を学ぶ学部に入ろうと思っていました。
履修する科目は経済学や政治学など。
しかし、高校生のぼくは、もっと身近なことを学びたいと思い、心理学、社会学の学べる学部を選択しました。
なぜ心理学、社会学が身近と思ったのかは謎です。
大学生活初めての夏休み。バイト嫌いで毎日家にいて本当にヒマでした。
ぼーっとしすぎて雲になるんじゃないかと思ったぐらいです。
翌年の夏に友達を誘ってヒッチハイクに行きました。
10日ほどの間に新潟まで行き、知り合った農家の方に泊めていただき、ご飯もご馳走になり、お手伝いをさせていただきました。
意図せずですが、地域の人々と触れ合うという行動を起こし始めました。
タイ
海外の人と触れ合えばこの何倍も楽しくなるんだろう?と初の海外旅行で1人でタイに行きました。
現地の方たちと交流しましたが、ここで心を動かされる出来事がありました。
バンコクの街を歩いていたところ、物乞いの子がぼくに向かって「ちょうだい」というジェスチャーをしてきました。
お金だと思い、「ごめんね」とスルーして歩いて行きましたが、
よくよく考えるとその子はぼくの持っていたジュースのカップをさしていた気がしました。
もう飲み終わって氷だけになったカップをくれと言っていたのです。
(正確に言えば当時のぼくがそう思っただけですが)
もう飲み終わってゴミだと思っていたものをちょうだいと言われたことにショックを覚えました。
生まれた境遇が違うというだけで価値観がここまで変わるのかということが一番の衝撃でした。
差別や偏見を和らげるような活動がしたいと思い始めるきっかけになりました。
ホントにベタな大学生のバックパッカーの考えそうなことですね笑
でも、日本に生まれて経済的に恵まれているということを受け止めて、感謝して、
その上で経済的に恵まれない境遇にいる人たちの生活を知ることは
今でも義務に近いことだと思っています。
だから「子どもジャーナリズム」を始めたのです。
少し話が逸れましたが、
差別や偏見をこの世から減らしていくには
幼少期からの教育が必要と考え、教員をはっきりと目指すようになりました。
そこから、物乞いの子どもにお金を渡すのか否か考えながら10ヵ国を旅しました。
インド・ネパール
そして大学4年最後の春休みに行ったインドでは、さらに多くの物乞いの子に会いました。
現地で出会った日本人バックパッカーは本当に申し訳なさそうに「ごめんね」と言って通り過ぎていました。
この子にお金をあげても明日はあげられない。隣の子にも、その隣の子にも、となれば尚更お金なんて足りません。
でも、その頃のぼくは同級生とお笑いの真似事のようなことをしていて、恥ずかしい話ですが、笑いには自信をもっていました。
だから、「お金はあげられないけど、出会った子を一回笑わせる」と決めました。
一緒に遊んで、ぼくと一緒に過ごしている間だけでも楽しいと感じられたら、
それがぼくの国際協力、手の届く範囲での平和を作ることになると信じていました。
今でもその思いは変わりません。
学生時代のそんな思いで教員になりました。
子どもたちを、そして自分に関わってくれた方々と一緒に笑える仕事がしたいと思っています。
結局は自分が笑えること。
みんながそう考えて生きられたらいいなぁ
子どもたちがそう思ってくれたら、平和は近づくのかなぁ
なんて考えています。
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