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祖母V.S.父親 イカレているのはどっちだ?-貧乏人は自宅介護はやっちゃダメ!

結論:イカレているのは双方、です ^ ^;

ウチの父親は、たぶんASD。
感覚過敏と鈍麻を併せ持ち、思い込みか強く、すぐ怒り出すモラハラ気質で他人を見下すことを好む人です。

祖母はかなり変わった人で、自慢かヒガミしか言わない人でした。
私は幼稚園児の頃から、
「ばあちゃんがいると、座がシラケる」
と感じていました ^ ^;
今考えると祖母は、何にも興味を持てない受動型のASDだったのかも知れません。

要するに、【この親にしてこの子あり】なんですナ。

かつての我が家は三世代同居で、祖母が亡くなったのは私が高校生の頃でしたが、それまでずっと、祖母VS父で、骨肉の争い(w)を繰り広げている修羅の家でもありました。
まぁ、今考えると、他者のことを考えられない似た者同士で、反発し合っていたのかもしれません。
逃げ場のない子どもにとっては、たまったもんぢゃありませんや。
┑( ̄Д  ̄)┍

その辺りの「私としての感想」をまとめてみようと思います。


◆ 父のASD的な特徴

・ コミュニケーションが取れない

ウチの父は鉄っちゃん(乗り鉄)です。
私もASD気質で地形が好きだったりしますので、この趣味はとても良いと思うんですよ。
鉄道、面白いと思います。
た・だ・し!
妻(私の母)を家に置いたまま、一人で鉄道乗り回しに行っていたのは、イカンだろう、と思いますヨ。
ASD的な特性があると、コミュニケーションが下手なので、他者と予定を合わせたり計画を擦り合わせたりするのが【億劫】なんですよね。
だから単独行動になりやすいのは自分としてもよく解るのだけれど、家族持ちであるならば、コミュニケーションを取ることに努力しろよ! と思うんですナ。
そう。ウチの父は他者とのコミュニケーションが、全くと言っていいほど、できません。
今90代で、介護が必要な状況なのですが、ヘルパーさんに介護されることを拒否するんですよ。
これもコミュニケーションができないことが理由だと思うのです…。

アホだ。アホ過ぎる。

・ 偏食が過ぎる

父はにおいに対して過敏で、ニンニク・ニラ・魚まで、においの強い食べ物が食べられません。
それはその人の特性なのでしかたがない、のですが、
他人(たとえば私)が食べている物に対してまで、
「便所の臭いだ!げろみたいだ!よくそんなものたべられるなぁ!金払われたって食いたかぁねぇやぁ!!!」
と、大騒ぎするんですよ…。
イャ、もう、【人としてダメ】なレベルなんですよねぇ…。

・ 社会性ゼロの理由

いろいろな部分で、父は社会性がゼロレベルなのですが、それはやはり、父を育てた祖母の問題が大きかったんじゃないか、と思うんですよね。
他者がシラケる言動しか取れない祖母は、やはり周囲から嫌がられてしまいますので、よけいに人間関係を構築する体験を得られなかったのだろうと思います。
そう考えると、不幸な母子だったんですよね…。

◆ 祖母の側の問題点

・ 祖父はどうなんだ?

父方の祖父は、私が幼稚園児のころからほぼ寝たきりでした。
両親が言うには、
「じいちゃんは病院を嫌がるから」
という理由で、最後まで自宅介護・自宅看取りでした。
私は祖父とあまり話したことがなく、どういう性格の人なのかよくわからないのですが、周囲の人が言うには、おとなしくて細かい性格の人だったようです。
優しい人だったと思います。
アルコール依存の気もありました。
その、祖父が寝かされたままの布団の隣で、父が怒鳴り続け祖母が大泣きを続けていたワケですから、たまったもんじゃなかったと思いますヨ…。
だけれども、その状況を見ていても、おとなしい祖父はたぶん何も仲裁しなかったんですよねぇ…。
妻と息子のヒドい争いを止めようとは思わなかったのか?
あきらめの境地だったのかもしれませんが、十数年その状況が続いたのですから、どんな心境だったのでしょうかねぇ…。

・ 祖母の大泣き

父が大声で怒鳴り散らし、祖母が芝居がかった大泣きをするのが、我が家の日常でした。
たぶん祖母は、父以上に空気の読めない人だったのだと思います。
父が怒っているところに対し、祖母は「芝居じゃないのよ!よよよよよ~~~!!!」などと、子どもの私が聞いていても(何のセリフだ?)と思うような返しをしていたんですよ。
結果、父は更に激怒して、祖母は更に追い詰められる、という…。
…コレ、ASDの子どもが、自分の思いを言葉にできなくて、アニメのセリフのパターンで答えたりするのの、昔バージョンだったのかもしれません…。

・ 家族そろって「ひきこもり気質」?

祖母は上記のように、火に油を注ぐ人ですから、友達もいないし外出もほぼしない人でした。
祖父もおとなしい人あるあるで、人付き合いが苦手だったのかもしれません。
二人とも、ひきこもりになる要因はあったんだと思います。
だけれども…。
社会性って、あるていど「慣れ」の問題でもあるんですよ。
自分から世の中から離れてしまうと、どんどん社会性が無くなって行ってしまうんですよねぇ。
私もかつて、ウツがひどかったときは、完璧にひきこもりでした。
ひきこもるから、ますます世間から隔絶するし、ますます動けなくなっていく。
私はまた動き出すだけの若さがあったけれど、年をとってからコレをやったら、身体は弱っていくばかりだし、本当に動けなくなりますよ。

そして、動けなくなった祖父母は、二人とも自宅介護の自宅看取りとなったのですが…。
コレ、結果として、「自ら人間としての尊厳を捨ててしまった」ことになっちゃったんですよねぇ。

◆ よっぽどのお家でない限り、自宅介護はやっちゃダメ

どこまでも私の体験からの話ですが…。
設備と人手がしっかりしているお家か、一人暮らし以外は、自宅介護をやったらダメだと思います。
なぜなら、介護する側にもされる側にも同居の家族にも、ヒトとしての尊厳なんて保てなくなりますから。
そして、ヒトとしての尊厳を保つには、コミュニケーションを取ろうとする努力が不可欠だ、と感じます。

祖父母がいた頃の家の作りは、いわゆる狭い文化住宅で、畳の部屋と和式のぼっとん便所、コンクリート打ちっぱなしの風呂場、というものでした。
おむつを換えたりする人手は、実質父母しかいませんでした。
しかも、祖父母も両親も、意思疎通が苦手で、コミュニケーションが上手く取れない。
こんな状況で、まともな介護なんてできるワケないですよねぇ。
家中、トクホンと発酵したようなおムツの混ざった臭いが、漂ってました。
そして父と祖母の阿鼻叫喚ですヨ。

今、要介護状態の両親がいる家は、バリアあるあるの狭い日本家屋です。
さすがにトイレや風呂は今時のものになっていますが、足腰立たない人に使いやすい構造ではないんですよね。
人手に関しては、介護保険でヘルパーさんが来てくれます。
この点は、世の中進歩している、と実感します。

けれど、私は別居しているからいいですが、同居していたらたまったもんじゃないと思いますよ。
ニオイや音からは逃げられませんから。
あと、【感情】の問題ですよね。
感情ってどうしても個人のバウンダリーを侵食しますから、自身の老いが認められず不機嫌になっている人や、ボケておかしな言動をする人と、同じ家屋で生活するには、同居家族のメンタルが相当に強くなければ無理だ、と感じますヨ。
そしてコミュニケーション能力も重要。

家の両親に対し「謎だ」と思うのは、
両親は、あの【悲惨な】祖父母の自宅介護を実際に経験しているのに、それに対する反省や改善を考えることがまるでない、んですよねぇ。
彼らはあれを悲惨と思わなかったのか?
あれが当たり前だと思っているのか?

…単純に、理解できない、理解したくないから考えない、なんだろうなぁ…。
今生きている人の態度が、次の世の中を作っていく、なんて責任は、全くわかってないんだろうなぁ…。

我が親ながら、情けねぇゼ。
(;´д`)


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