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今日も今日とて、お母さん。-妊娠発覚編-

2022年春、私はお母さんになった。
結婚をしてからほどなくして子を授かり、産まれるまでも産まれてからも、それはそれはいろんなことがあったけれど、今日もなんとか、私はお母さんをしている。

***

あの日、妊娠の可能性があるとわかったあの瞬間、私の身体はドクン!と鳴った。
自分のドクン!だったのか、それともまだ小さな小さな卵でしかない子のドクン!だったのか、どちらなのかはわからないけれど、確かに大きく鳴ったそれを私はしっかりと感じとった。

妊娠検査薬を試すには少し早いタイミングだったけど、もうどうにもこうにも待てなかったのでダメ元で試みてしまった。結果は陽性。私は早朝のトイレから飛び出し、まだ寝ている夫に嬉々としてそのことを伝えると、夫は嬉しそうに笑ってギュッとハグをしてくれた。
照れ臭いようなわくわくするような、なんとも言えないふわふわした朝だった。

陽性反応が出たものの、若干フライング気味での検査だったので、まずは婦人科で胎嚢(赤ちゃんの部屋のようなもの)ができてるかを確認してもらい、その後、産婦人科で心拍を確認してもらうというところに至るまで、少し時間がかかった。(心拍が確認できるまでは妊娠と認められないということをこのとき初めて知った。)
ドラマや映画でよく観る「おめでとうございます、妊娠◯週目です」みたいなセリフを聞いて、うっすらと涙を浮かべる準備は万端だったのだけど、なかなかそれを言ってもらえない、お預けを食らったような待ち遠しい日々が続いた。
だけど実際は、ようやく心拍が確認できたとき「うん心拍確認できましたね。えー、予定日は◯月◯日ね」とあっさり告げられてしまい、浮かべるつもりだった涙の出番はなかった。

病院の待合室を見渡せば、当たり前に周りは妊婦さんばかりだった。ここにいる人たちは、どんな思いで子を宿し、どんな気持ちでお腹の中の子を育んでいるのだろう。それぞれに様々な背景があるにちがいない。
妊娠することはとてもドラマチックで、まるで奇跡のようなことと思っていた。だけどあまりにもたくさんの妊婦さんを前にすると、「少子化とは…?」という気にもなったし、自分が特別な存在というわけではないのだな、という気持ちにもなった。

予定日確定は、出産までのカウントダウンがはじまったことを意味する。
「次の健診までに母子手帳もらっておいてくださいね」と言われ、言われたまますぐに役所へもらいに行った。
まだ何も書いていないまっさらな母子手帳。
お腹には、刻一刻とカウントダウンしている時限爆弾。
ふつふつと、小さな緊張感が湧いてきた。
十月十日、この緊張感が続くのか…。
今思えば、単純に「嬉しい」というだけの感情でいられたのは、ほんの一瞬だった。

無事にこの子を産むまでは、なんとしても元気でいなければならない。とにかく身体を大切に。冷やさない。カフェイン、アルコールに気をつける。
妊婦になるのは初めてだったから、それくらいの知識しか持ち合わせておらず、正直どう自分を(というかお腹の子を)守ればいいのか正解がわかっていなかった。その上ご時世もご時世、世はまさに大コロナ時代。今より少し、世の中もナーバスな時期だった。
折悪しく職場でも陽性者が出たりしていたから、私は本当にビビっていた。「妊婦 コロナ」ということに対する情報も、ネガティブなものばかりが目についてしまい、ただただ怖がっていた。
接客業だったということもあり、この先仕事をどうするか悩んでいた矢先、私は切迫流産になってしまった。

健診の日、診察中先生の口から出た「切迫流産」というワードのあまりの強さに動揺し、それがなんたるかもよくわかっていなかった妊婦若葉マークの私は、内診台の上で脚を広げたまま取り乱した。怖くて不安で、オロオロし、ほろほろと泣いた。今に居なくなってしまうかもしれない、一歩でも動いたらもしかして…。そう思い、待合室まで歩くことすら怖かった。

妊婦になってから、とにかくいろんなことが不安で心配で怖かった。
自分の身体の中に在るものだから、他の誰にも代わってもらえないし任せられない。私しか、守ることができない。
でもそれは自分一人だけのものではなくて、夫や互いの家族にとってもすごく大切なもの。粒のように小さくて、だけどとてつもなく大きく光るみんなの宝物の運命を、私一人が一手に引き受けているような気持ち。その緊張感たらなかった。人間一人分の命の重さを初めて知った。こんな大役、私に務まるのだろうか。

けれど切迫流産という診断によって、私は「母」になれたような気もしている。
怖くて不安なのは、この小さな粒のような存在を心から大切だと思っていたから。絶対に失いたくないと思っていたから。
この怖さは、自分の身体の中の小さな、エコーで見ても本当に小さな丸い粒でしかない、なんなら生命体にすら見えないこの存在を一つの命として受け入れ、「自分の赤ちゃん」として認識していたから生まれた気持ちだ。この怖さこそ、自分がお母さんになった証明のような気がする。

自宅安静の診断書をもらい、諸々の事情から仕事は辞めさせてもらうことにした。
しばらくは日常生活の中でもなるべく身体を動かさぬよう、基本的には横になって過ごした。先生から「もう大丈夫」と言われるまではこうやって、ずんの飯尾さんよろしくゴロゴロゆっくり過ごそうと思っていたのも束の間、突然、あらゆる匂いが気になりはじめた。常に吐き気に襲われ、水もまずくて飲めない。真夏なのに鍋焼きうどんが食べたい。だけどケチャップご飯しか食べられない。そして何より世界の匂いが全部臭い。
辛いとは聞いていたけれどまさかここまでとは…。
空前絶後の大つわりがはじまったのだった。

***

子との日々を書き留めておきたい気持ちはあるのに、想像以上にめまぐるしい毎日のなかで、それがなかなか叶えられず…。写真や動画では私にはうまく残せない、自分の体験や抱いた気持ちなんかを、これから少しずつ認めていこうと思っています。
妊娠や出産、子育てに関してはとても繊細な話題でもあると思いますが、これから綴っていくことは私個人の経験や考えによるものですので、「あー、この人はこんな経験してきた(いる)んだなーへー」くらいの気持ちで読んでいただけると嬉しいです。

さて次回は、本当に辛かった大つわり編!



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