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さもないごちそう 「白菜とおあげのおつゆのやつ」

 どんな料理にも名前があるとは限らない。なんてことない家庭料理には、名前がつかないものがほとんど。子供の頃、自分だけの料理本を作りたくて、夕飯の支度をしている母にひっついては、切り方やポイントと思えるところをメモして遊んでいた。

「だいこん、おおぎがたにきる」
「おしょうゆ、おさとう、みりん」
「ふたをしてからひをとめる」

 母のご飯はいつも美味しくて、子供ながらに母を料理の天才だと思っていた。食卓に並ぶおかずのひとつひとつ、どれも味が違っていて美味しいのだ。どんな味付けをしているのかよくわからず、一口食べては「これには何が入っているの?」と聞いていた。それは癖となり、大人になった今でも聞いてしまう。
 聞けば、すごく複雑な手順でもなければ、かっこいい名前の調味料を使っているわけでもない、拍子抜けするほど簡単な料理ばかり。どこの家庭にもある調味料、近所のスーパーで売っている食材。それだけで何通りもの味を作ってしまう。私のお母さんは料理の天才で、この世で一番なんてことない美味しいご飯を作る人だ。

 子供の私でも知っている調味料と、簡単で数行しか手順のないレシピをノートにまとめた後、「このりょうりのなまえはなに?」と尋ねた。母は「え、名前なんてないよ」と言った。
 お店でもあるまいし、日々食卓に並ぶおかずにいちいち名付けてもいられないと今なら思えるのだが、当時「本」を作りたかった私は少しがっかりしてしまった。かっこいい名前が付いていないと本にならない、と思ったのだ。そのとき教えてもらった料理に、んー、と唸りながら母が付けた名が「白菜とおあげのおつゆのやつ」。
 そのまま、としか言いようがない、お世辞にもかっこいいとは言えない名前だったけれど、そんな料理が我が家にはたくさんあった。きっと今読んでくださっているあなたの家にもあると思う。

 大人になって自分で料理をするようになった。今や本を買わずともネットで検索すれば、大抵のレシピを知ることができる。材料も分量も細かく載っているし、写真や動画で丁寧に教えてくれる。その通りにすれば概ね美味しくできるから、嬉しくて色々な料理を作ってみた。ほかに使い回しができない調味料や食材を買ったりもした。カタカナ名のかっこいい料理や、彩り豊かなものを作っては写真に撮り、すっかり料理上手になった気がしていた。だから母が作る「名無しの料理」に挑戦したとき、全然美味しくできなくてめちゃくちゃに驚いた。簡単だったはずなのに、「切って煮る」くらい単純な手順だったはずなのに。特にショックだったのは、同じ手順で作ったはずのカレーがまったく美味しくできなかったときだ。振る舞った家族全員に「味が…ない?」と言われた。味がないカレーって。

 母はたいてい擬音で調味料の加減を量る。
 「お醤油、ちょろちょろ」
 「お酒、トゥーっと」
 砂糖二杯と言いつつ、盛りはいつも多かったり少なかったり。見た通り、書いてある通りに作れば美味しくできるレシピたちとはだいぶ違うアバウトさ。それなのになぜだか毎回美味しい。解せない。

 私が好きな、あの美味しいご飯たちを作るにはどうしたらいいんだろう。たぶん、きちんとした正確な分量や手順が必要というわけではない、のだと思う。「舌が覚えているから大丈夫」という母の言葉を信じて、何度も繰り返し練習してみるしかないのだろう。
 使う食材、使う調味料、どんな匂いがしてどんな色だったか。曖昧な分量を感覚で量れるようになったとき、私もきっと母のように、さもないごちそうを作れる天才になっているはずだ。

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白菜とおあげのおつゆのやつ
白菜 油揚げ 粉末だし 白だし 塩 醤油

一、白菜と油揚げを切る。白菜は柔らかくなるから、大きめで大丈夫。
二、水を入れた鍋に、すべての材料を入れる。
三、白菜が柔らかくなったら完成。

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