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私が夫と夫婦になるまで④

 付き合い始めた頃、夫は、ある国家資格を取得するために前職を辞めて、専門学校へ通う学生だった。
 初めてのデートでは、彼が今どんな勉強をしているのか、お互いどんな学生生活を送っていたのか、私の仕事のことや懐かしい思い出話、いろんなことを話した。もちろん恋愛の話にもなって、そのとき彼は「今は学生の身分だし、勉強に集中する期間」と話していた。まだ彼をただの同級生として見ていたし(確かにちょっとの期待はあったけれど)、この発言を「なるほどね。オッケー、今は恋愛する気はないって感じなのね」と、私は受け取っていた。

 だけど蓋を開けてみれば全然そんなことはなくて(あとから夫に聞いた話だけれど)、アトリエに来たときにはもう「俺はこの人と結婚する」と決めていたほどの気持ちがあったというのだ。夫曰く、「その気持ちの答え合わせをするために、あの日会いに行った」と。


 そんな馬鹿な。
 15年も会ってなかった同級生のSNSを見ただけで、よくそこまで思えましたな。そんな馬鹿な。小学校や中学校で、特別仲が良かったわけでもなく、本当に「クラスメイト」という、それ以上でも以下でもない距離感だったというのに、SNSの写真(本人の顔が映った写真はほとんど投稿してなくて、食べ物や日常の様子がメインだった)を見て「この人となら暮らせる」と思ったというのだ。
 付き合ってからも、結婚してからも、「本当にあのときから結婚したいって思ってたの?」と何度か尋ねているけれど、夫は「決まってた」「決めてた」「見えてた」を繰り返すばかり。
 いくらその度に「そんな馬鹿な!」と言っても、夫はいつもそう言うので、そんな人も世の中にはいるんだなと、私はもう笑うしかない。
 そんな風に思いを寄せてくれる人のことを、私も好きになることができて本当に良かった。お互いラッキーだったね、と思う。

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 私たちはたくさんデートを重ねて、色々なところへ遊びに行った。遊びに行き過ぎて「私のせいで国家試験落ちたらどうしよう…」と何度か思ったけれど、付き合い始めは誰だって楽しいし、四六時中一緒にいたいと思う。私ももれなくそうだった。でも、彼はきちんと勉強をしながら私との時間を作ってくれていた。休みの日はほとんど私と会ってくれていたのに。
 夫は、私とは対照的で、感情の起伏が激しくなく、常に冷静、ときにぶっきらぼうに見えなくもない人だ。そしてなにより、静かに一人で努力ができる人だった。


 二人の間で「結婚」という言葉がでることは、初めの頃こそなかったけれど、「二人で暮らしたらきっと心地良い空間ができるだろうなぁ」と、漠然と想像する瞬間は増えていった。

 以前の私は、男性と二人で「暮らし」にまつわる様々なものを見たりしているとき、「あ、こんな風にソファやテーブルを見てたら、結婚を意識してるって思われちゃう!重いって思われちゃう!嫌われちゃう!」と謎の不安によく駆られていた。
 結婚を意識しているのは事実だったとしても、それを悟られたら重いと思われる→重い女はすぐに嫌われる→コワイ!やだ!嫌わないでほしい!
と、ポンポンポーンとネガティブが展開されるので、なるべくデート中は「暮らし」から遠いモノや場所、会話を選ぶようにしていた。私の想像力は、どこまでも振り幅が広く豊かだった。

 夫と初めてIKEA行ったとき、だから私は本当に楽しくて嬉しくて、いつもより余計にはしゃいだ記憶がある。
 「暮らし」のテーマパーク、それがIKEA。私は「こんな部屋いいな」「テーブルの大きさはこれくらいがいいかな」など、二人の暮らしを存分に想像しながら見ることができていた。今まではそれがとてもコワイことだったのに、夫となら、暮らしを想像することを自然に楽しめていたのだ。
 「これ良くない?」と口に出しながら、積極的に家具を見て回った。夫は一緒になって「いいねぇ」と言ったり、「あんなのも良さそう」と私の手を引いては、二人の暮らしを想像することを心から楽しんでくれていた。そのことがとてもよく伝わってきて、ますます「この人と共に暮らしたい」という気持ちは大きくなっていった。

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(今2人が暮らしている部屋。築50年の団地です。作れるものは作る、が夫の口癖。とても心地良いです。)

 失敗を恐れず、できないことこそ楽しもうとする人。一度大切にしようと思ったものや好きになったものを、粗末にしたり嫌いになることが決してない人。他人なんだから価値観は違って当たり前だと思っていて、だからこそ話し合い、2人の着地点を見つけようとする人。

 夫はいつも、根気強く粘って、私の話を聞いてくれた。いつか、夜のコンビニの駐車場に車を止めて、車内で4時間、私が思いを伝えられず黙ったり、泣いたり、大きな声を出したりという地獄のような時間を過ごしたこともあった。夫はそのときも私が落ち着いて自分の言葉を出せるまでじっと待ってくれていた。
 そういう夫のリハビリを繰り返したことで、私は一番苦手だった「好きな人に自分の気持ちを伝える」ということが、だんだんとできるようになっていったのだ。
 そんな夫から「卒業したら、一緒に暮らさないか」と言われて、嬉しくないわけがなかった。嬉しかった。嬉しかったのに、私は素直に「はい」と言えなかった。


***

 
 夫がアトリエに来てくれた日は、本来なら私はお休みだったのですが、シフト変更で急遽出勤になった日でした。夫から事前に連絡があったわけでもなんでもなく、彼は本当に突然やってきたので、元々のシフト通りであれば、私たちが会うことはなかったと思います。偶然なのか必然なのか、不思議な巡り合わせとしか言いようのない出来事でした。
 結婚するまでに(してからもですが)、何度も地獄のような話し合いの時間はありました。決まって私が、溜まりに溜まった沸々とした思いを爆発させ、「うまく言えない!!」と泣き喚くところから始まるのですが、彼はいつも「うまく言えなくて良いから」と言って、ずっと、本当にずーっと私が言葉を出せるまで根気強く待ってくれます。その根気のおかげで、彼を待たせる時間も少しずつ短くなり、今では自分の気持ちを話すことに怖さを感じることはなくなりました。
 自分の「できない」を「できる」に導いてくれる人がパートナーで、本当に良かったと思っています。

 いつも読んでくださっている方々、ありがとうございます。どこで知ってくださってるのか、ポツポツと日毎に♡の数が増えていき、読んでくれている人がいることを実感できて、とても嬉しいです。
 あと数回で終わるかな?また次回も良ければ読んでいただけると嬉しいです。


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