「春になったら苺を摘みに」
周りに「理解できない人」はいますか?どのように付き合っていますか?私が折に触れ読み返す本から、印象に残る一節をご紹介します。
梨木香歩さんが英国に下宿していた日々の記録
「西の魔女が死んだ」「裏庭」で知られる梨木香歩さんのエッセイです。表紙の写真が素敵すぎて内容は見ずにジャケ買いしました。
タイトルと写真から、軽く読めるゆるい本なのかと思いきや、予想は良いほうに裏切られます。
梨木さんが学生時代に英国で下宿した日々を綴ったものなのですが、読むたびに新たな発見があります。
落ち着いた筆致で語られる、深い思考。観察力と創造力に支えられた記録。時にユーモラスに、時に厳しく他者や自分に向き合う、大人のエッセイでした。
「理解はできないが受け容れる」
下宿の女主人ウェスト夫人が、強くて素敵なのです。
ウェスト夫人は、強靭な博愛精神を持っています。
時に募金活動をし、時にデモに参加します。困っている人がいたら自分のベッドを明け渡してでも迎え入れ、尊大なナイジェリアン・ファミリーのホストになり、元犯罪者も歓迎し・・・。
中には、熱心なクエーカー教徒(キリスト教プロテスタントの一派)のウェスト夫人には宗教上の理由でとうてい理解できない振る舞いをする住人もいます。(下記で引用した文中の「彼ら」はイスラム教徒)
ウェスト夫人は私の見た限り、彼らを分かろうと聖人的な努力を払っていた、ということは決してなかった。彼らの食べ散らかした跡について、彼らのバスルームの使用法について、彼らの流す大音響の音楽について、いつも頭を抱え、ため息をつき、こぼしていた。
しかし、彼らをも彼女は受け容れるのです。
自分が彼らを分からないことは分かっていた。好きではなかったが、その存在は受け容れていた。
理解はできないが受け容れる。ということを、観念上だけのものにしない、ということ。
「理解はできないが受け容れる」
この言葉の何という強さ!
好きでなくても良い。理解できなくても良い。
それはそれとして、受け容れる。
それもまた、神との内なる対話を重視する信仰のあり方。
私のとらえ方—夫婦関係にも使える—
宗教を越えて受け容れたウェスト夫人とはレベルが違いますが、
この言葉を知ってから、私は少し人生が生きやすくなりました。
この言葉に出会うまでは、
自分を相手に寄せようとしすぎて苦しくなることがありました。
理解できないものを理解しようとしたりしていました。
しかし「理解はできないが受け容れる」という人との向き合い方を知ったことで、理解はできない、という自分の気持ちを大事にしつつ、相手を変えずに相手の存在を受け容れることができるようになりました。
一番効果を実感したのは、夫婦関係です。
私にとって最も身近で最も謎な存在が夫です。
思考回路が私と違いすぎて理解できないことが多く、結婚当初は悩みも尽きませんでした。理解しないと、彼を否定することになってしまうのではと思っていたのです。
(私の料理を食べてくれない話はこちら↓)
しかし、ウェスト夫人方式で、理解できないけれど彼は彼として尊重し、受け容れると決めると、不思議と覚悟が決まってきたのです。
結果、なんだかんだで結婚10年、周りからも不思議と言われながら夫婦を続けています。(今では、斜め上の発想をするところを逆に面白がれるようになりました)
とにかく読んでほしい!
話が逸れてしまいましたが、他にもたくさんの深く考えさせられるエピソードがあります。梨木さんの文章が本当に美しい。
薄い文庫で手に取りやすいので、ぜひぜひ読んでみてください。
そして、どこが刺さったか語り合いましょう!
私はドリス、車掌さん、ジョーのエピソードが好きです!
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