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#63 『賢い人の秘密』

「積ん読感想文」5冊目は、ノンフィクションの翻訳書を取り上げます。この本は読み応えがあるタフな本なので、もう少し気楽に読める別の本を読みながら、長期戦で取り組むのがいいかもしれません。


今日の本

クレイグ・アダムス著,池田真弥子訳『賢い人の秘密』文響社,2022年.
読書難易度:☆☆☆(読みごたえあり)

英語を専門にしていたので、この本の翻訳がとても丁寧で分かりやすいことに、まず感銘を受けました。そしてこの訳を読んで思ったのは、「この翻訳者は本当は『賢い人の秘密』というタイトルにはしたくなかったのではないか」ということです。推測ですが、編集者の意図が多分に入っているのではないでしょうか。原題は “The Six Secrets of Intelligence” なので、「秘密」が属するのは抽象概念としての intelligence「知性」で、「賢い人」になるためのハウツーを示しているわけではありません。玉虫色にとらえられがちな「知性」の正体を、論理的に解説したすばらしい本だと思います。


演繹と帰納

本書は「知性の秘密」を、「演繹」「帰納」「類推」「実体」「意味」「証拠」の6つの要素から説明していますが、まず最初の2つ、「演繹」と「帰納」について、自分が完全な思い違いをしていたことに気づきました。僕はこれまで、「理論」と「演繹」、「論理」と「帰納」を概念のペアをして理解していました。演繹と帰納はちょうど逆向きの考え方ですが、理論と論理も漢字が逆になっているので、早合点したようです。
 実際には、logical「論理的」は theoretical「理論的」の上位概念で、同じ土俵で比較すべき概念や語のペアではなかったのです。この本の説明では、「理論的」はほぼ「演繹的」であるものの、「演繹」も「帰納」も「論理的」なアプローチであり、アリストテレスが弟子に授けた重要な思考法だったのです。漢字の順序が逆な熟語は他にも「議論」「論議」などがありますが、どういう経緯で異なる語ができたのか、調べる価値がありそうです(詳しい方がいらっしゃったら、ぜひコメントお願いします)。

大数の法則

本書の比較的最初の部分で読者が問われている問題に、次のようなものがあります。みなさんはすぐに答えられますか?

前提:大小2つの病院があるとする。大きい方の病院では毎日45人前後、小さい方の病院では毎日15人前後の赤ん坊が生まれている。当たり前だが、一日に生まれる赤ん坊の約50パーセントは男の子だ。そして、どちらの病院も、一年を通して男女の出生比率に偏りがあった日を記録していた。

問題:記録上、生まれた赤ん坊の60パーセントが男の子だった日は、どちらの病院で多かったか。大きい方の病院か、小さい方の病院か、どちらもほぼ同じか。

p. 52より

この調査に参加した95人の大学生のうち、74人は「大きい方の病院」あるいは「どちらもほぼ同じ」と答えたそうです。しかし答えは「小さい方の病院」です。病院のサイズをどんどん大きくしていって、「全世界を一つの病院」とみなせば、60パーセント男の子が生まれることはあり得ません。つまり、規模が大きくなるほど人間という生物種本来の男女比率(男:女 = 105:100 程度)に近づいていきます。逆に、一日に一人しか赤ん坊が生まれない病院では、「100パーセント女の子だった(あるいは男の子だった)」日は十分あり得る、というか毎日が「どちらかが100パーセントの日」です。

思考法の汎化性能

上は、「大数の法則」に関する問題ですが、統計学の知識として大数の法則を理解していたとしても、その知識を別の例(ここでは赤ん坊の男女比率)に応用できない学生が多いことを示しています。そして著者は、知識の汎用化(どんな例にでも使えるようになること=ある種の抽象化)こそが教育の本質であるとしています。昨今よく聞かれる、「具体的に」「実践的に」「現場主義」などはすべて個別の事象を対象とするアプローチであり、著者が本質的であるとする教育のあり方の対極に位置します。個別具体的な事象を扱えるようになるのは「社会の期待・要望」ですが、著者は同時に、

社会性を身につけても賢くはなれない

と一刀両断しており、僕も同意します。ただここで、「賢くなる必要はない」と考える人がいる可能性があるのと、「賢い」という日本語のイメージが人によって異なる可能性がある点は要考察です。


Memorable Quotes

最後に、印象的な箇所を抜書きしたいと思います。僕が分析するよりもきっと雄弁にこの本のすばらしさを語ってくれると思います。矢印の後は僕のコメントです。

教師が生徒に手本以外何も与えないのは、靴職人が弟子にいろいろな種類の靴を見せて、靴作りのコツは教えたと言い張るようなものだ。

p. 81 → 具体例だけでは十分ではない

人間は、他の動物より複雑な推論ができるだけの生き物ではない。自分が推論していることを認識する唯一の生き物なのだ。(pp. 244-245)〜人間の知性が特別なのは、思考の深さや効力ゆえではない。知性が知性自身を認識しているから、他の動物とは一線を画すのだ。

p. 289 → 人間を人間たらしめているのはメタ認知

アインシュタインは、「学校で学んだことを全部忘れてしまっても残るもの」が教育だと語った。

p. 271 → 教育の本質は汎用的思考力を磨くこと

パターンと練習によって生まれる創造性を否定すれば、芸術、音楽、スポーツにおける潜在能力は十分に開花しない。

p. 312 → しかし汎用的能力は具体例を通して磨かれる

本当に意味のある関係は、礼儀正しく微笑み合うばかりでは築けない。難しい話し合いが怖いからといって互いに距離をとりすぎると、社会の亀裂を見つけること、ましてや修復することなどできるはずがない。

p. 321 → 思考力の習得は難しいが、挑まなければならない

「全体主義教育が、信念の刷り込みを目的としていたことなどない。その目的は、信念を形作る能力を破壊することだった」とは、ナチス支配下のドイツを生き延びたユダヤ人哲学者、ハンナ・アーレントの言葉だ。

p. 326 → 思考力こそが自由への鍵といえる

いい本を読みました。おすすめです。

今日もお読みくださって、ありがとうございました📚
(2023年9月29日)


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