確認男 残業編

「あ、中田先輩、お疲れ様です」
「あ、新内」
 声をかけられて初めて、隣に新内が立っていることに気づいた。
 明日のプレゼンの資料を血眼で作っていたら、いつの間にか0時近くになっていた。自分の周り以外は、真っ暗で不気味なオフィスに、今更ゾッとした。。

「あ、よかったら、コーヒーどうですか?」
 新内は缶コーヒを差し出してきた。
「気が利くねぇ」と俺は、笑って缶コーヒーを受け取り、椅子にもたれかかった。さっきまで前のめりになっていたせいで、腰がコンクリのように固まっていた。
「いやー、もう本当に残業がきつくてねぇ」
 勢いよく音を立てて缶コーヒーを開けた。これがビールだったら、どれほど幸せだろうか。とはいえ、この時間にブラックコーヒーは沁みた。まだ休むんじゃねえよと体に言い聞かすように飲んだ。

「そうですよね もうすぐ終電ですもんね」
「うーん なんかもう、今日帰れないかもしんないなぁ」
 俺はパソコンの画面を見て、資料の完成度に落胆していると、「えっ、泊まっていくんですか?」と新内は耳を疑っていた。

「最悪ね」
 俺は苦い表情になった。最悪と言いながら、もう帰れないことは密かに分かっていた。けど、それを認めたくない自分もいた。
「最悪、泊まっていくかー、近くのどっかビジネスホテルとるかだなぁ」

「そっか......でもお疲れ様です」
 新内は缶コーヒーを両手に持ったまま、軽く頭を下げた。
 その時になびいた長い髪から、花のような匂いがした。

「おつかれ......」
「そんな、夜遅くまでやってる姿、ほんとにいつもかっこいいなって思ってみてたんですよ?」
「……え?」
 もう帰るのかなと思いきや、急に褒めてきた。
 油断と疲れのせいで、思わずニヤけてしまった。過労で幻聴な気もした。

「だって、仕事できる人って、見えないところで努力するって知ってるから......」
「あぁ、……そう?」
 俺は新内に目も当てられず、真っ暗なオフィスを見渡した。
 いや、だって、立ってるのに、座ってる俺に対して上目遣いで見てくるんだから、ニヤけて仕方がない。コーヒーを飲んで、なんとかニヤける口元を抑えようとしたが、口角が上がっているせいで溢しそうになった。

「うん」と新内は真っ直ぐな目で俺を見てきた。
「缶コーヒー上手いね なんか上手いわ今日」
 やっぱり、目を合わせられず、俺は明後日の方向を見ながらコーヒーを飲んだ。厳密に言うと、すでにコーヒーはなくなっていたから、飲むふりをした。

「美味しいですよね」
「いや、うめぇな、この缶コーヒー。なんだこれ」
 缶をどれだけ傾けても、数滴しか口に入ってこなかったが、今まで飲んだどんなコーヒーよりも美味かった。
 嘘じゃない。コーヒー1つでこんな幸福感に包まれるとは思わなかった。

「それ、1ヶ月前に、中田先輩が私に、ごちそうしてくれた缶コーヒーだったので
好きなのかなぁって思って」
「えー、めっちゃ記憶力いいね......」
 新内が俺の顔を覗き込むようにしてみてきたから、一瞬フリーズした。そして、ゆっくりと椅子を回転させて、視界から新内を消した。

 俺も買ったような気もするが、はっきりと覚えていない。出張の時にな流れで買ったか、外回りの時に買ったか分からないが、俺がいつも飲んでるコーヒーはたしかにこれだ。
 なんで、俺がこのコーヒーが好きって分かったんだろう......、それは俺のことが好きだから? いやいや、そんなことあり得ない。
 この課で人気の藤森の次にかっこいいですねとしか褒められない。藤森とはゴールデンコンビとは言われながらも、この課では2番手の男だ。なにを勘違いしている。

「そういうんじゃないんですけど」新内は困ったように笑っていた。「やっぱ、なんだろ。気になる人のものって覚えたくなるっていうか、自然と覚えちゃうじゃないですか」
「えっ......」 
 いやいや、気になる人ってなんだよ!
 どう気になるんだよ!
 あれか? 無意識に貧乏ゆすりしていて、すごい気になるとか?
 俺の私服が黒しか着ないっていうのが気になってるとか?
 そういう気になってるなのか?
 それとも好きだから、俺の様子が気になってるのか?
 なんで気になってるんだ? そこが知りたくてたまらなくなった。
 そうは疑いながらも、新内が俺のことを想って買ってくれたコーヒーだと思ったら、ブラックの後味の苦味が、急に砂糖増し増しのミルクティーを飲んだ後のように、口の中が甘ったるくなった。

「なんか気にならせてた? 俺」
「そう......ですね」
 やっぱり、無意識に独り言を言っていたり、大声で叫んでたりとかしていたのかもしれない。いや、まぁ高架下で電車が通ったときなんかは、大声で叫んだりすることもある。でも、それは酔っている時だ。シラフでやっていたら常軌を逸しているが、もしかしたら無意識にしているのかもしれない。

 そんな不安から確認した。
「えっ なんか、へ、変だった? なんか」
「いやっ 全然全然、変とかじゃなくて」
 新内は、芸人ばりに自分の前で手を振った。
「すごいやっぱ、仕事できてかっこいいなって思ってたから、いつもなんか目で追っちゃうっていうか.......」
「え?」予想以上の返答に、俺が思わず聞き返すと、「恥ずかしい……」と新内は、手で口元を隠して足元を見た。
「えっ? えっ? えっ? 仕事中、俺のこと、なんか見てたりしてくれてたの?」
 興奮が抑えきれずに、確認した。してしまった。
 変だから気になってたとかじゃない。
 え? 仕事ができてカッコいい? なんだよそれ。もう好きじゃん。俺のこと絶対好きじゃん。
 仕事中に気になりすぎて、俺の方チラって見ちゃうんでしょ? 俺がバチッと決まった顔でパソコンに向き合ってる姿を見て、改めてカッコいいって思ったりしてたんでしょ? 
 そんでもって、そんな俺から奢られたコーヒーの味が忘れられなくて、ずっと覚えてたんでしょ?

 なんだよ、もう。さっきまで心配してた俺がバカみたいじゃねえか。新内は俺のことが好きで仕方がないってことなんだ。なんだよ、勝ち組じゃねえか。
 社内じゃ、いつもウォーターサーバーの水を水筒に汲んでるから、水泥棒とかってイジられたり、二足のBBAとか言われたりしてるけど、こんないい女なかなかいねぇぞ。
 いやー、改めて新内を見てみるとタイプだわ。脚も長くてスタイルいいし。でも、新内も俺と同じで、同じ課の白石の影に隠れているが、いつ誰かに見つかってもおかしくはない。ここで見逃せば先はない。
 新内と付き合ってからの妄想をすれば、眩しく晴れ渡る未来しか見えない。

「四六時中見てたってわけじゃないんですけど…….なんかいつも、やっぱ手伝ってくれたりとか、色んな人のサポートしてる姿、やっぱ素敵だなぁって」
「あっ、そうなんだ。へー、そうか……」
 そんな真っ直ぐな目で語られて、もう今にでも、河川敷を目指して走りだしそうになったが、俺は冷静を装って、またしても空の缶コーヒーを口につけた。もうスチール缶の鉄の味しかしない。

 四六時中見てないって、言ってたけど、絶対俺のこと四六時中見てるじゃん。 
 俺のことあまりにも見すぎて、他の社員に声かけられても気づかなかったりとか、キーボードで同じキーばっかり連打したりしてたんでしょ。
 なんだよ、むっちゃ可愛いじゃねぇか。

「あっそうだ。今度この仕事、このプロジェクト終わったら、2人でご飯でも行きません?」
「ん?」
 俺は聞こえていたが、耳を突き出して、聞こえなかったふりをした。
「2人でご飯ダメですか?」
 新内は、恐る恐る、こちらを伺うように、上目遣いで確認してきた。
「いやっ、いいけど えっご飯好きなの?」
 想像以上の破壊力に訳の分からないことを口走ってしまった。
 なんだよ、ご飯好きなの? って。
 新内が好きなのは、俺だろって......って馬鹿か。

「好きですよ。ご飯」
 新内は特に不思議に思う様子もなく言った。
「へー。何食べる?」
「えー、お寿司がいいなー」
 新内は上に目線を向けて、両手に缶を持ったまま揺れている。
「お寿司?」
「うん」
「え? 2人で?」
 ここで2人じゃないわけがないと、思っていたが一応確認した。ここで2人でと言われる喜びを感じておきたかった。

「2人で……ダメですか?」
 新内は目を見開いて若干の圧をかけながら、確認してくる。
「いいけど……でもなんか……同じ課のやつとか、なんか色々言ってきたりしない?」
 俺はあえて、2人で行けない雰囲気を出した。ここで、新内の俺に対する想いを確認しておきたかった。

「2人で行きたいって言ってるんですよ! もう!」
 新内の隠さない照れ笑いから、確実に俺の胸中を把握していることが分かった。もはや、カップル同然のイチャイチャだ。
 そうなると、俺はもう二ヤけ面を隠さずに、「どうして?」と確認した。

「2人じゃだめなんですか?」
 新内は笑いをこらえながら、俺に迫ってきた。

「いや、いいけど……」と俺が、更に確認しようとすると、それを察したのか新内が、「もーじれったいな。好きだから2人でいこうって言ってんの!」と告白した。

ここで告白されるとは思わなかったが、確認を不発にさせられたせいで、変に意地になって確認した。
「俺と?」

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