確認男 観覧車編

「結構高いね」
 目の前の彼女との会話が続かず、俺は観覧車のゴンドラから見える光景に、ありきたりな感想を言った。
「そうだね。私、結構高いところダメなんだよね」
 そう答えた彼女を見ると、どこかそわそわしている様子だった。
 言われてみれば、ゴンドラに乗ってからの梅ちゃんの様子はいつもと比べると変だった。どんな時でも、クールで落ち着いている彼女が、今は動揺を隠せていない。
 それに女子にしては身長が高い彼女は、外の景色を見ることもなく体を縮ませている。
 だけど、観覧車に乗ろうと言ったのは、この高所恐怖症の彼女だ。
 高校の卒業遠足の団体行動中に、梅ちゃんが俺の手を引っ張ってまで観覧車に乗りたいと誘ってきた。
 俺は、「バレたらまずいよ」と抵抗したが、「そんなの関係ない。今ならバレないから」と睨まれ、蛇に睨まれた蛙になった俺は半ば無理やり乗せられた。
 それなのに、高いところがダメ、と言われたところで俺はどうしたらいいというんだ。乗ってしまったからには一周するしか降りる術はない。この高さからスカイダイビングできるとしても、高所恐怖症だと尚更ダメだろう。これは俺は悪くない。梅ちゃんの自己責任だ。
「やっぱ、これバレたらまずいよな」
 俺もこの引き返せない状況で、団体行動を抜け出して観覧車に乗ったことを後悔した。誘ってきた本人がビビりまくってるんだから余計にだ。
「うん」
 梅ちゃんはゴンドラの高くなるのに比例して体を縮ませている。ドーベルマンが怯えて伏せているみたいだ。
「みんなは団体行動中だし」
「でも、抜け出そうって言ったから」
「え、でもそれは梅ちゃんが」
 言い出したのは梅ちゃんのくせに、俺に罪をなすりつけてくる。こんなのバレた時に、先生の前で同じことを言われたら、俺がどやされるなと覚悟した。
「まぁ、乗りたかったから」
 外の景色も見ずにずっと縮こまっている状態で言われても、本音には聞こえなかった。
 高所恐怖症なのに、観覧車に乗りたいって意味がわからない。
 いや、むしろ高所恐怖症なのに観覧車に乗りたい理由があったとすれば、もしかすると、もしかするのかもしれない。
 だって、冷静になって考えてみれば、わざわざ俺と観覧車に乗りたいだなんて、脈アリなんじゃないか? 観覧車に乗るだけなら俺じゃなくても、他の誰かを誘うことだって出来ただろうし。
 そんな期待を込めて確認した。
「え? それは俺とってこと?」
 俺はどんどん小さくなっていく周りの建物と、いつもよりも小さくなっている目の前の梅ちゃんを交互に見る。
「うん、そうだよ」
 梅ちゃんは、どこか強がった様子で顎を上げた。それでも目は正直なもので、どこか怯えていた。
 その言葉を聞いた瞬間に、俺は、「キター」と心の中で絶叫した。さっき乗ったジェットコースターの時よりも叫んだ。あまりの声量に、もしかすると梅ちゃんに聞こえたんじゃないかと心配になったが、梅ちゃんの姿勢は何一つ変わっていなかった。
 いや、ここでもう一回冷静になろう。
 ただ単純に、梅ちゃんは俺と観覧車に乗りたかっただけかもしれない。女友達とワイワイ騒ぎながら乗るよりも、学校では、まだ仲のいい方の男子と乗れば、恐怖感が薄まるとでも思ったのかもしれない。
 それとも、梅ちゃん1人で乗るつもりだったけど、ちょうどよさそうなカモが目の前にいるからということで、道連れとして選ばれたのかもしれない。
 あらゆる憶測が自分の脳内に飛び交って、確認せずにはいられなかった。
「え? なんで」
 俺が尋ねると、梅ちゃんは俯きながら両手でスカートを握った。肩が少し震えていた。
 そのまま梅ちゃんは唇を噛んで、だんまりを決め込んだ。
 さっきまでの、気まずい空気から更にゴンドラの中の空気が重くなった。酸素も薄くなっている気がする。この状況に頭がクラクラしてきた。
 もういっそのこと、このゴンドラから飛び降りて、開放されたい。このまま梅ちゃんが口を開かなかったら、地上に降り立つまでの時間が永遠に感じる気がしてならない。
 長い沈黙に俺は、景色を見るふりをして待った。
「え……」
 と梅ちゃんが声を発した。外の景色はさほど変わっていないのに、1時間位待った気がした。
 梅ちゃんは再び手に力を入れ直すと、口をとがらせながら上目遣いで、「好きだったから」と言った。
 沈黙からのまさかの返答に、「えっ! 俺のことが?」と反射的に声が大きくなった。
 実際に好きと言われても、それが本当に俺のことかどうか信じられなかった。もしかすると、観覧車のことかもしれないと思ったから。梅ちゃんは高所恐怖症だけど、観覧車が好きという変わった嗜好なのかもしれないし……。
 しかし梅ちゃんは、「うんっ」と、どこか覚悟を決めたように、口を真一文字に閉じ、ギュッと力を入れて目を瞑って、頷いた。
 体の熱が一気に頭に昇っていくのがわかった。
 ここでやっと、梅ちゃんは俺のことが好きだったんだと理解できた。 
 俺のことが好きだから、怒られるリスクを背負ってまで、高所恐怖症なのに観覧車に乗りたいと言ってくれたんだと合点がいく。
 今まで学校でもただのクラスメイト。いやむしろ、雑に扱われるクラスメイトだった。
 ちょっとふざけたことを言うと、「なに言ってんの? 馬鹿じゃないの?」と冷たい目をされ、罵られることがほとんどだったし……。
 俺は情けないことに、覚悟を決めて告白してくれた梅ちゃんを見ることが出来ずに、梅ちゃんの後ろの景色を見ると、隣のゴンドラが見えなくなっていた。
「あれ、もうすぐ頂上だね」
 梅ちゃんの告白に対して、気の利いた答えが浮かばず、図らずも見えた景色のことを口にした。
「もうすぐ頂上だね」
 梅ちゃんはさっきよりも更に落ち着かない様子で、体を揺らしている。
「どうしたの、見るからにそわそわしてるけど?」
「え、頂上だよ?」
 むしろ、なんでそわそわしないの? と俺を問いただすように、梅ちゃんは言った。
 まさか、観覧車の頂上でキスをするなんてことを考えているのだろうか。
 観覧車が頂上に来た時に、キスをしたカップルは別れないというジンクスはなんとなくは聞いたことがある。それに、観覧車の頂上でキスだなんて、恋愛ドラマみたいでロマンチックだと思う。誰にも見られないところで二人だけの秘密。それに、俺と梅ちゃんは、クラスのみんなには内緒で観覧車に来ている。
 吊り橋効果というのだろうか、このシチュエーションに余計に興奮してきた。願ったり叶ったりで最高じゃないか。
 いや待て、あくまでもそれはカップルの話。
 ただ、梅ちゃんは俺のことを好きだとは言ってくれたが、俺はまだ返事をしていない。返事をするなら、無論OKだけど、一度話を変えてしまったがために、今更答えづらくなった。
 そんな状態の俺が、梅ちゃんにキスをしてなんていいんだろうか?
 キスをしてみようものなら、「付き合う前にキスをするような軽い女じゃない」なんて、ビンタでも食らわせられるんじゃないだろうか?
 そもそも、梅ちゃんは観覧車の頂上でキスをするかどうかなんて考えていないのかもしれない。
 観覧車の頂上。それは観覧車に乗っている間に最も高くなる時。
 高所恐怖症の彼女は、その時を最も恐れているという可能性も十分有り得る……。
「ん? 頂上だよ? ……頂上だよってことは、なにか……アクション起こしてもいいってこと?」
 ここは確認する他なかった。梅ちゃんがそわそわしている理由なんて俺が分かるわけがない。
「先生に内緒でね!」
 梅ちゃんは観覧車に乗ってから初めて笑った。
 そんな梅ちゃんから、高いところを怖がっている様子はなくなっていた。

この記事が参加している募集

#とは

57,764件

#推薦図書

42,462件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?