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掌編小説157(お題:3番目の引き出しに入れておきたいもの)

夢かうつつか。引田美羽がその境目に迷いこんだのは、部活終わりの帰路で近道をしようと大きな神社を通ったときだった。境内の裏手にある、ほとんど獣道のような緩やかな坂の小路。そのとき背後から美羽を呼ぶ妙な気配があった。きつく結んだポニーテールを揺らし、美羽はふりかえった。

境内の裏、こんなところで露店が開かれている。露店といっても、ボロボロのござにいくつかの品をならべて、笠を目深にかぶった得体のしれない老人がキセルを吹かして座っているというささやかなものだが。

美羽の視線は、ならべられた品々の右から三番目、フェルトでつくられた不格好なお守りに注がれている。紐がちぎれていた。まつり縫いがこんなにも汚いのは、そう、あの子もあたしと同じでとんでもなく不器用だったから――。

「ねぇ、これ売ってるの?」

老人の前に仁王立ちして、美羽は訊ねた。一方の老人は枯れた枝のような不気味な指をツと笠にやるだけだ。

「こんなものどっから見つけてきたの?」それを肯定の仕草と捉え、美羽はつづけた。

「入手経路ハ教えラれなイ。こちラも商売なンでね」

奇妙な話しかたをする老人だった。美羽はしかしそんなこと意に介さず、お守りをひょいと取りあげ、そのまま訊ねる。

「これ、いくら?」

「対価ハ勝手にもラっていくサ」

老人がキセルをくわえた。刹那、美羽の身体からまるでドライアイスのようになめらかな煙がたちまち立ちのぼる。息を呑んだ。煙はしゅるしゅるとキセルのほうへ吸いこまれていき、それが終わると、ふたたび宵待ちの静けさが二人のあいだを通りすぎていく。

美羽の手にはお守りがあった。オレンジのフェルトでつくられており、糸は黄色、縫い目はあまりに不格好だ。誰かの手づくりだろうか。なにかの拍子にそうなったのか、紐は先端でちぎれている。

「これ、小学生のとき友達がつくってくれたものなの。誰がつくってくれたのか、もう、具体的には思いだせないんだけど」

老人は相槌さえしなかった。

「あなたが吸ったんじゃない?」

「……対価ハ勝手にモらっていくと、言っタはずだ」

「まぁ、別にいいけど」

ブレザーのポケットにお守りをしまい、美羽は今度は老人の前にしゃがみこんだ。老人はまたツと笠に手をやって、厄介な客だ、と言わんばかりに口をへの字に曲げている。

「ねぇ、あなたに譲りたい記憶があるんだけど」

沈黙。このときようやく、美羽は老人の目を見た。まるで世界に絶望するような、それは、深い深い闇の淵。

「そうだなぁ。たとえば、三ヶ月に一回くらい? あたしのそのとき一番いい思い出をそのキセルで吸ってよ」

老人は射殺すように美羽を見つめたまま、コンコンと、キセルで商品のうちの一つを叩いてみせた。

「自分ガなにを言ってイるのかモう一度胸に手を当てて考えルんだな。特別な思イ出。そレを失えバ希望を失ウことになルぞ」

「逆だよ」

胸に手を当てることなく美羽は即座に言葉を返した。挑むような目をしている。老人はますますおもしろくない。

「あたしはさ、一番の思い出なんていらないの。そんなもの手に入れちゃったら、きっと努力することを忘れちゃうから。思い出なんて三番目の引き出しに入れておくぐらいのやつでいいよ。それならあたしはずっと努力を忘れないでいられる。これって絶望じゃなくて、希望でしょ?」

美羽の言葉に嘘はなかった。老人がキセルをくわえる前から、思い出自ら、しゅるしゅると彼女の身体を抜けだしてくる。こうなれば吸うしかあるまい。老人はスゥとその煙を吸った。美羽の、一番の思い出を。

「じゃあまたね」

美羽が立ちあがると老人は手をぱっぱと払った。用が済んだら帰れということらしい。足元に注意を払いながら慎重に小路を抜けていく。

小路を抜けると大通りに出た。あとは東にまっすぐ歩いていくだけだ。大型のトラックが横切り、帰ってきたのだ、という強烈な心地を味わう。

変なの。別の学校の男子生徒が二人大きなスポーツバッグを背負って談笑するうしろを歩きながら、美羽は記憶を遡って、晴れやかに微笑んでいる。神社にあった変なお店。これも記憶の引き出しに入れておこう。お気に入りがたくさんつまった、ちょうど三番目の引き出しに。

★夢かうつつかシリーズ
掌編小説019(お題:サイコロの物忘れ)
掌編小説035(お題:片足だけのサンダル)
掌編小説047(お題:全力逆上がり)
掌編小説054(お題:両手いっぱいのエサ)
掌編小説150(お題:第2ボタン収穫祭)
掌編小説158(お題:良い・酔い・宵)

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