見出し画像

掌編小説150(お題:第2ボタン収穫祭)

一枚、二枚、三枚……。校舎裏にある駐輪場の片隅、ヒラヒラと、桜の花びらが舞っている。秒速五センチメートル。前にテレビで放送されていた映画の中で、桜の花びらが落ちるスピードは秒速五センチメートルだと言っていたっけ。調べてみたら、本当は「秒速二メートルくらい」だったけど。

その、秒速二メートルで落ちてくる桜の花びらを空中で三枚取れたら、願いごとが叶うらしい。試しに手を伸ばしてみるけれど、一枚、二枚、指先をかすめることすらままならないままハラリハラリと地面に落ちてあっさり他と見分けがつかなくなった。それでもたぶん願いは叶う。一度でいいから女の子から告白されてみたい、という願いなら。

学ランの右ポケットにしまいこんでいた手紙をもう一度取りだす。表に『都築四音様』と記された水色の封筒。桜の花びらを模したシールを剥がして封を開ける。便せんには『三月十八日、卒業式のあと校舎裏の駐輪場に来てください』と癖のある丸っこい字でたったそれだけが綴られていた。差出人は『大仁田蛍』。知らない名前だ。

「先輩!」

前方から花やいだ声が聞こえる。顔をあげると、散りゆく桜の花びらの中に、肩で切りそろえた黒髪と膝を隠した紺色のスカートの裾を揺らして女の子が一人走ってくるのが見えた。

「はじ、は、はじめまして」しばらく肩で息をしたあと女の子は「二年の、大仁田蛍といいます」と言ってささっと髪を整えた。

「手紙の」

「はい」

文字にするなら、にへへ、だろうか。そんなはにかんだ笑顔。初対面だが、かわいいなと思った。

「えと、それでですね。都築先輩を呼びだしたのは、あの、お願いがあって」

「はい」身構えて、こちらもつい後輩相手に敬語になってしまう。

「私、……ずっと先輩に憧れていました! なので、あの、もし迷惑じゃなければ、先輩の第二ボタンが欲しいです」

ドラマチックなタイミングで春のあたたかな風が二人の足元を駆け抜け、つかのま、桜の花びらが地面を旋回した。唾を飲みこむ。口の中にレモンを舐めたような酸っぱさが広がったのは、青春は甘酸っぱい、という世間の刷りこみのせいだろうか。

「俺の、こんなものでよければ」

学ランの、上から二つ目のボタンをつかんでプチッと取りはずす。格好よくできるか不安だったが杞憂だった。三年間、毎日開けては閉めたボタンだ。糸がゆるくなっていたのかもしれない。校章がデザインされた枯茶色の第二ボタンを大仁田蛍は両手で恭しく受けとった。ご褒美に大好きなお菓子をもらった子供みたいな、無邪気で、無防備な笑顔だった。

「ありがとうございます」

胸の前で第二ボタンを握りしめた大仁田蛍が深々と腰を折る。左の耳にかけていた髪の一房がさらりと垂れた。「こちらこそ」彼女にこれ以上かけられる言葉を僕は持ちあわせていない。恋をはじめるには、僕はあまりに彼女のことを知らなすぎたから。

「先輩、卒業おめでとうございます!」

顔をあげた大仁田蛍の瞳は所在なげに揺れていた。泣いているのかもしれないーーと思い至ったときにはもう、彼女は踵を返して、校舎のほうへと走りだしていた。

***

右、左、右、左。交互に足を踏みだすたびグングンと視線が下がっていく。校舎の中をめちゃくちゃに走っているうち、あれよあれよというまに、気がつけばそこはもうマツヨイが暮らす世界だ。あちらの世界でいうところの「縁日」のような提灯の連なりが、いつのまにかすっかり本来の四足歩行になっているマツヨイをにぎやかに迎える。

「おウ、マツヨイじャねェか」

飲み屋の一角から声があがり、ふりむくと、マツヨイにむかって右手で徳利を上機嫌に揺らす者がある。商売敵のセツナであった。

「おウ、セツナの旦那。景気はどウだい?」

「上々だナ。今シがたウタカタの爺さンのところへ行ってキたばかりナんだ」

「老イぼれ騙して金巻キあげンのは感心しねェや」

「あっチで人間ノ、シかも男ばかり好キ好ンで騙くらかシてる悪趣味ナおまえにャ言ワれたかナイね」

「はァ、これダから三流商人は。あのナ、この『第二ボタン』トやらニ込められたシシュンキのシタゴコロってノは闇市じャ結構な額で取引されテるんダぜ。人間ドモに悪戯ヤ復讐ヲしたいヤツがここにャごまンとイるからヨ」

「嫌ダねェ、そウいウ商売は」

「嫌デ結構。商品は被らねェほウが儲かるってもんヨ」

「違イねェ」

ケラケラ笑いあっていると通りから「アンチャン!」と呼ぶ声があり、見れば、それはうんと小さな賭博師であった。

「サイコロ振ランカネ。出目ノ数ダケ、ナクナルヨ。悩ミゴト。嬉シイネ。振ロウ振ロウ。嫌ナコトイッパイ忘レヨウ!」

「ははァ、賭博師か。他ヲ当たんナ。生憎ト俺は酒サえ飲めば嫌ナことはきれいサっぱり忘れられるのサ」

「ソチラノアンチャンハ?」

「まダ仕事があるンでナ。ソれじャあセツナの旦那、俺はコれで」

賭博師がうろついているということは、ぼちぼち闇市がはじまった頃あいだ。手をふる手間も惜しくて、マツヨイは代わりに尻尾をセツナへぞんざいにふって、一気に横丁を抜ける。

根気よく、明かりの消えた提灯を探して右へ左へ。マツヨイには大きすぎる扉の前、門番に合言葉を告げると、その先はとうとう闇市だ。

暗がりの中、首元にくくりつけた風呂敷包みがカチャカチャとやかましい音をたてる。ここ数日あちらの世界は卒業式ラッシュで、第二ボタンは豊作をむかえていた。これだけ売りさばけばしばらくまた遊んで暮らせるだけの金になるだろう。

「先輩たちの浅ましい下心がたーっぷり詰まった思い出の第二ボタン、大事に売りさばかせてもらいますね!」

あちらの世界と地つづきの空にむかってあざとく小首をかしげマツヨイは言った。闇市の不気味な通りに、大仁田蛍のころころしたかわいらしい声はあまりに滑稽に響いた。

★夢かうつつかシリーズ
掌編小説019(お題:サイコロの物忘れ)
掌編小説035(お題:片足だけのサンダル)
掌編小説047(お題:全力逆上がり)
掌編小説054(お題:両手いっぱいのエサ)
掌編小説157(お題:3番目の引き出しに入れておきたいもの)
掌編小説158(お題:良い・酔い・宵)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?