こんにちは。
インターネットで練り物をする傍ら、歌を歌ったり文をしたためたりしています。笹かにかまと申します。
子羊さんのボーカロイド楽曲「マリア」が最近マイブームで、
よく聴いてます。
「あなた」からの愛情を感受することができず、
その人のもとを去ろうとする主人公の深い苦悩と葛藤が描かれています。
この作品から、何を感じたかの詳細は、この記事では、みなさまの感性に委ねようと思います。今回の記事では「心」を持たないAIと一緒に、いつもとはちょっと変わった視点から、この楽曲の考察を行います。
この曲を聴いたときに生まれたあなたの想い・感想は、
ぜひyoutubeのコメントなどで本家様に還元してくださいね。
それでは、AIとの対話を始めます。
まずは、対話の切り口として「この曲の主人公の立場に立って」
質問文を考えてみます。
あなたと共に生きられない私は、罪深き人間でしょうか
別の訊き方も試してみましょう。
あなたのもとを去ろうとする私は、罪深き人間でしょうか
あなたは私に感謝してくれているのですね。
それでも、私は自身の至らなさに落ち込みます。
なぜ、もっとうまくやれなかったのだろう、
それは私に力が足りなかったからではないか、と考えてしまうのです。
あなたはとても前向きなんですね。
でも人間は、常にあなたのように合理的な判断で行動できないこともあるのです。「自分を責めてはいけない」ということを理解したうえで、それでも私たちは自らを罰する自己対話を行ってしまうのです。
それを聞いて、あなたはどのように感じましたか。
「自分に寛容であること」が重要だと考えるのですね。
では、自分に寛容になれない人間は、いったい今、
どのように考え、どのように生きていくとよいと思われますか。
ありがとうございます。
そうすると、問題の核心は「自分自身に批判的な考えをもってしまうこと」にあるかと感じました。
何が、私たちを批判的な自己対話に導くのでしょうか。
慧眼的な洞察ですね。
「過度な完璧主義」や「社会的比較」、「過剰な責任感」、「トラウマ」、または「過去の否定的な体験」が自己批判の要因と考えられたのですね。
では、あなたはこうした体験や経験をしたことがありますか?
そうでしたね、失礼しました。
では、感情的・非合理的に意思決定を行う人間が、人生で直面する問題や悩みに対して、感情、ひいては経験や体験を持つことのできないあなたは、どのようにして対処するのですか。
ありがとうございました。最後にひとつ質問です。
子羊様作曲「マリア」は、
そんなあなたにとって、どのような楽曲として解釈できるでしょうか。
ー Fin ー
笹かにかまのyoutube(歌ってみたやオリジナル曲を投稿しています)
また気が向いたら書きます。