【創作】人生は主人公か、モブか。

 ガラス張りの壁は、日の光を集めている。午後2時前のカフェテリアは、ねむけをさそう。あくびを隠そうともせず、あさみは大きな口を開けた。となりに座っているさらさにも伝染して、彼女は目尻に涙をためる。
 透明のむこう側は、まだ夏のなごりを残しており、学内に敷かれているアスファルトは照り返しがきつい。そこで冷房のきいた室内で、2人は同じアニメを視聴していた。手帳型のスマートフォンケースによって立て掛けられ、1つのワイヤレスイヤホンを共有して。
 小さな画面のなかには、新しい学園生活に頬を紅潮させているピンク髪の少女が。その横ではまだ会ったばかりの、薄いブルー髪の少年が瞳を輝かせている。まるで運命のように、風が吹く。
 今度はさらさが自然に抗うことなく、口を広げた。
「もう。真面目にみなよ、さらさ」
「さきにあくびしたのは、あさみでしょ」
「あ、そうだっけ。ごめんごめん」と言いながら、液晶をみつめる。教室内には30人ほどいて、5人目立つ髪色のほかには、人だかりになっていた。黒山のように表現されている。彼らは背景に等しい。
「主人公たちって、カラフル」
 頬杖をついたさらさは伏し目がちに言葉を放った。春の教室では、物語がはじまりそうな香りがただよっている。
「現実世界には、めったにこんな頭した人いないのにね」
 視線は画面にあるものの、顎を右腕に乗せてあさみは言う。丸めがねの奥で、よりいっそう瞳が細くなった。
 恋にワクワクした歌詞が片耳に届く。曲に合わせてキャラクターが登場し、ヒロイン以外が切り替わる。
「日本人のたいがいの人は、黒髪か茶髪だし。わたしたちがアニメの世界に行ったら、モブみたいな存在なのかな?」
「えっ、じゃあ! あたしは推しのコンサートに通いまくっちゃう」
 画面のなかの少年に負けないくらい、わっと表情をきらめかせた。顔もテーブルから遠ざかる。
「いやそれ、いつものあさみと変わらないじゃん」
「なんかそう言われると、現実世界でもモブって言われてるみたい」
「そんなつもりはないけど……」
 意図しなかった受け取りかたに、さらさは眉を下げた。となりをうかがうことができず、カラフルな頭たちに視線を合わす。彼女の長いストレートの黒髪が、顔をかくしていく。


「でもさー」
 あさみはお好みで染めた茶髪をなでながら、会話をつづけた。レンズ中央は、動画を反射させており、アニメ色になっている。が、本人の関心はそこになかった。
「さらさ以外に、カフェテリアに友だちも知り合いもいなくて。同じ大学の人だけどさ、全く関わりもない。今この場にいるほとんどの人にとっては、あたしはモブかもね」
「うーん。考えたことなかったな」
 顎に手をやって、さらさは思考を整理するも、思いつかなかった。
「あたしはモブだ! と思ったら、すこしは気が楽になるよ」
「そうかな。生きているのが無意味に思えるけど。アニメじゃあ、絶対に主人公にはなれないし。主人公たちにもほぼ認知されないし。あさみも、推しにファンだと思われないかもよ?」
「う。でも、推しって遠い存在だからね。どんな世界線でも共通なんよ。だから、それはよくて。たいがいの人に知られていないと思ったら、自意識過剰にはならんでしょ」
 あさみは流れている動画に瞳を写すよりも、真剣な表情をしていた。丸めがねの奥にあることを忘れていたかのように、ぐっと開かれている。
「誰かに注目されていないと考えたら、変に肩の力が入ることもなくなると思う」
「なるほど。あさみの人生では、主人公はあさみになるけど、いかがお考えで?」
 さらさは親友につられて、おふざけを頭の端っこに追いやった表情になる。
「たしかにぃ」
 歯をぎしぎしさせ、うなずくあさみに、さらさはすこしだけいじわるをしたくなる。
「モブだからといって、課題提出できなかったら、単位危うくなるよ」
「落とさないように、そこそこ頑張ります」
「まぁ、後期ははじまったばかりだし。努力しだいじゃない」
  早くも単位におびえているあさみに、さらさは声をかける。ぐずぐずしていた茶髪は「あっ!」とひらめいた。
「努力ってのは、誰かに認められることもあるけれど。基本はその人本人にしか、わからないよね。24時間つねに自分以外といっしょにいるなんて、ほとんどの場合ありえないし。人といるときだけ頑張るなんて、器用なことをするのはむずかしい。その状況下をつくるのが面倒だし」
「つまり、一生懸命に活動しているときは、あさみも主人公なんだね」
「うん。でも、ヲタ活は兄貴共々モブだよ。推しのいる背景になることに徹しているから」
「あさみほど推しを前面に出したがる友だち、いないかも」
「光栄だよ」
 あきれたような、ほめているような、どちらも入り混じったニュアンスを含めて、さらさは笑った。
「でも、好きなアイドルの話をしているとき、すごい生き生きしてるよ。あさみさん」
「エナジードリンクみたいなものだからね。それを言うなら、さらさもじゃん。少年漫画を紹介してくれるとき、もうすっごい楽しそうにしてる」
「この世でいちばん好きなものだから、ね」
「やっぱ、推しが最強だなぁ」
 それぞれ好きなものがちがう2人であるが、うんうんとうなずきまくった。


「あさみとさらさも、見てくれたんだ!」
 2人のテーブルにきたまぁちゃんが明るい声を上げた。少女漫画原作のアニメを紹介したのは、彼女であった。
「ねぇ、どうだった?」
 あさみとさらさは感想を求められて、気づいた。カラフルな頭たちが、恋した、友情をみつけたという物語を視聴中だったということに。
 さきほど再生されていた1話は終わっており、またまた恋にワクワクしているオープニングが流れている。話が盛り上がり、ほとんど内容を知らぬまま、2話となっていた。「あー」とあさみが、言葉を探す。教えてくれたまぁちゃんの手前、下手なことは口に出せない。さらに、あさみは思ったことは表に出してしまう性格のため、ごまかしは苦手だった。
「えっとね。人生について考えちゃったよ」
 さらさがぎこちない笑顔で答えた。まぁちゃんは一瞬きょとんとしたものの、「深いねぇ」と感心してしまったのだった。