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構図について

“画面に二つのものは描けない”と麻生三郎は言っている。
それは絵で一番大切な要素の構図構成のことで、それがうまくいっていれば絵画はもうほとんど完成しているとレオナルド。

絵画は一から多への流出であって、また逆に多によって一を認識する。一から流出したものを入れることによってニになり、それらが互いに会話をしだすことによって、表出されたものを説明して見やすくなる、これが描写というやつで、二以上になるとお喋りばかりでわけわからなくなる。二を含むそれ以上は欠陥であり、しかし一だけでは認識できない。

“白いたまごが二つある。二つは等しく白色であるが、二つめのたまごはひとつめのたまごの像ではない、他のものの像であるべき物はその本性からでて来たに違いないし、それから生まれ、それと等しいに違いない。像とは本性的な産物で木から枝が出るように、その本性から出てきたものである”とエックハルト。

絵画は多を含め、ひとつ平面としての像である。だから全て無責任なものは無く、描かれたものは全て反省されなければならない。ここに一としての構図というものがある。西欧芸術の本流は、芸術家の描く行為や描かれたもの全てを、悔い改めという反省の中で一を見て、その描かれた像の素材とともに錬金してきた。

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